【士業に訊け!司法書士・岡野慎平 】
Vol.7 モチベーション上がらず!?

【士業に訊け!司法書士・岡野慎平 】


弁護士、司法書士、土地家屋調査士、税理士、弁理士、社会保険労務士、行政書士、海事代理士など、「士業」(通称さむらい業)の面々が指南するお役立ちコラムです。

例年のごとく2021年もあっという間に2月に突入。厳しい寒さも、オミクロン株によるマンボウもまだまだ続きそうですが、みなさまお元気ですか?司法書士法人キャストグローバル広島事務所代表社員の司法書士、岡野慎平です。今回は札幌営業所での3年間の勤務を経て、新支店の開設に赴いた埼玉大宮編をどうぞ!

埼玉県での支店開設準備を命じられたのは28歳の頃です。開設地に指定された大宮は、かつての埼玉県大宮市が2001年に浦和市、与野市と合併して“さいたま市”になり、2003年、同市の政令指定都市移行・区制施行に伴い、旧市域の一角に位置する大宮区となった街でした。東京都心から30 ㎞圏内に位置し、上越新幹線と東北新幹線の分岐点、言うなれば「北日本に向かう玄関口」であり、需要が見込めそうなエリアとして拠点の新設が決まったようです。

札幌に赴いた時は独身でしたが、今度は妻と娘を連れて関東に帰ってきたわけで、何はともあれ、住むところを探さなければなりません。大宮と言えば、栃木出身のわたしからすると、昔は東京に向かう際に栃木の県庁所在地・宇都宮市の次に通過する大きい街のイメージがありました。とはいえ、それまで暮らしていたのが“北の大都会・札幌”の街が一望できるタワーマンションなので、家族と住むのは、やはり“花の都・大東京”でなければ物足りない。というわけで“日本一住みたい街”の誉れ高い東京都武蔵野市の吉祥寺に居を構えて、通勤することを選んだ次第です。

こうして、まずは新しい事務所を開く現地の物件を決め、テナント契約も終了したので「さあ4月からの稼働に向けてがんばろう!」と準備を進めていた2011年3月のこと。そうです。東北大震災に見舞われたんです。関東地区でも建物の崩壊や液状化現象の発生など、多くの被害があり、入居するはずだった事務所の壁にもひびが入ったため、4月からの事務所オープンが延期になってしまいました。建物が修繕され、数か月後になんとかオープンには漕ぎつけたのですが…。

前回お伝えした通り、札幌事務所では社会問題となった過払い金や借金整理に関する業務が主体でしたが、債務整理からの撤退を決めた会社の方針もあって、大宮事務所は司法書士の本業でもある登記関連の業務を強化することが重要なミッションでした。ただ、登記関連の仕事は地域の人と付き合いを深め、信頼関係がきちんと構築されてはじめて成り立つ業務です。事務所を開いたものの、わたしの場合は東京から通って地元に住んでいるわけでもないし、そう簡単にはいきませんでした。

加えて、しばらくたつと自宅から会社まで徒歩圏内だった札幌時代に比べ、乗り継ぎがうまくいけば1時間、悪いと1時間半もかかる毎日の電車通勤が嫌になり、マイカー通勤に切り替えたものだからお酒を飲むことができず、歓楽街へ足を運ばなくなってしまいました。飲みに行かないと、人と親睦を深める場がなくなるので人脈も広がりません。少なからず震災の落とした影もあって、街に活気がないし、正直なところ、自分のモチベーションが上がらなくて困りました。いま思うと、どんな仕事でも同じとは思いますが、その街や地域を好きにならないとダメですね。

「大宮はどうも自分に合わない」と思いながらもひとりで事務所を切り盛りしていたところ、東京から女子事務員さんがひとり、若い男性社員がひとり転勤してくることになりました。その若い社員が、のちに広島事務所でもわたしの部下となり、現在は山口県の徳山支店長として頑張っている今井正人君です。結果的に、その後も腐れ縁?が続くことになった今井君と出会えたことは良かったのですが、自分の中では「このままではいけない!」という気持ちが日増しに強まっておりました。

その頃、我が社は広島営業所を出店したばかりで、立ち上げ部隊として上野興一社長自らが広島に赴任していたんです。煮詰まっていたこともあり、「社長と一緒に仕事がしたい!」と志願してみたところ、社長から「広島に来いよ」とのお返事。本来、社長は東京の本部にいるべき人であり、後任を探していたのでしょうね。わたしは早速、入社した時に教育係としてお世話になったコワモテスキンヘッドの先輩に大宮支店のバトンを引継いでもらうことをお願いして、広島への転勤に備えることに。結局、大宮での活動期間は1年余り、自分としては少々ほろ苦い経験となりました。

新天地となる広島では、ヤル気に溢れていた頃のモチベーションをなんとしても取り戻さねばなりません。ちなみに以前、赴任した札幌と同様、広島にはそれまで縁もゆかりもなく、仕事で一度、登記書類を取りに福山へ出張したことがあるぐらい。事務所のある広島市に足を踏み入れるのは、もちろん初めてです。県外の人に広島で連想することを聞くと、牡蠣、もみじ饅頭、映画「仁義なき戦い」の舞台のコワい街などのイメージがよく浮かぶようですが、わたしの場合は、なんといっても小学校の頃、母に読むことを勧められた「はだしのゲン」でした。原爆で焼け野原となった市内を被災された方が凄惨な姿で歩く絵が子供心には衝撃的だったのでしょうね。

戦後、見事に復興を果たした広島の街で、わたしも心機一転できるのか?いよいよ現在へと続く、広島編の始まりです。乞うご期待!

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