【広島人の履歴書】
File.5 蓮見和章さん 弁護士法人リーガルジャパン 代表弁護士 《前編》

【広島人の履歴書 】


広島と縁のある各界のオピニオンリーダー自らが語る今日までの足跡。知られざるエピソード満載の履歴書(プロフィール)には、現在を生きるヒントが隠されています。

学生時代は陸上やラグビーで活躍!
身長186㎝の大型弁護士、広島へ。

法律は人の生活のあらゆる場面で適用されるもので、法律についての悩みも思いもよらぬことから発生します。わたしたち弁護士法人リーガルジャパンは、「人に寄り添い未来を護る」をテーマに様々な法務相談に対応しています。現在、広島、山口(徳山)、東京に拠点を開設していますが、発祥地である広島に関東出身のわたしが司法修習生としてやってきたのが2006年12月。その後、弁護士となり、2012年に現在の法人で独立してから早くも10年が経とうとしています。「ご依頼者様にとって“わかりやすい”“親しみやすい”“アクセスしやすい”存在として、トラブル解決のために迅速に行動すること」を信条に、今日まで歩んできた自分の足跡を振り返ってみます。

わたしは1979年(昭和54年)12月11日、埼玉県川口市で生まれました。父は東京都庁の職員、母は中学教師という公務員一家です。上に兄がいたのですが、わたしが3歳になる前に事故で亡くなり、寂しく思っていたところ、しばらくして弟が生まれ、男ふたりきょうだいで育ちました。生まれた時から身体が大きく、母は母子手帳の成長記録を見るたびに驚いていたようです。小学生の時は身長順に並ぶと後ろから2~3番目だったものの、中学2年生になると180㎝を超え、それからはずっと一番後ろでした。今では身長186㎝、体重95㎏。好き嫌いもなかったせいか、すくすくと育ちすぎてしまいました。

生家は川口市と浦和市との市境にあり、最近では住宅街に様変わりしていますが、わたしが子供の頃は家の周りを“見沼田んぼ”と呼ばれる田園に囲まれたのどかな農村地帯でした。祖父も農業を営んでいたし、蓮見家はもともと農家だったようです。自然に恵まれた環境の中、幼少期から野山を駆けまわり、身体を動かすことが大好きで、小学校では水泳のジュニア選手として、中学校では陸上部の選手として県や市の大会に出場するなど、とにかくスポーツに明け暮れていました。

勉強の方は、小学生の頃は社会科が好きなくらいで、決して得意ではなかったですね。社会科を好むようになったのには理由があります。とにかく無類の高校野球好きだったので、埼玉県下の出場校を皮切りに、甲子園に出場する全国の高校について、地図や本を見ては片っ端から調べていたんです。都道府県をおぼえたのをはじめ、高校野球から得た知識や情報は少なくありません。おかげで、友だちからは“物知り”だと思われていたみたいです。中学生になって、近所で叔父が経営する塾に通い始めると、家では勉強しないのに、話の面白い叔父の塾の時間だけは楽しく勉強できた記憶があり、徐々に成績も上がっていったようです。

高校は、県下の公立では進学校とされる埼玉県立浦和高校へ進学しました。わたしの大きな身体と足の速さに目を付けた監督に誘われてラグビー部に入部することに。放課後は楕円形のボールを追ってグラウンドを走り回る日々が始まりました。日本中がラグビーに沸いた2019年のW杯以来、ラグビー人気も高まっていますが、何しろ格闘技のように激しい競技です。ケガとは常に隣り合わせであり、わたしも高校2年生の冬の新人戦で膝の前十字靭帯を切る大怪我をしてしまいました。手術をして松葉杖のお世話になる生活が続き、試合に復帰できるまで半年以上かかりましたよ。苦楽を共にしたラグビー部の仲間とは、高校卒業後も毎年大晦日に校庭のグランドに集合してカウントダウンを続けたり、いまでも一番深い関係です。

ラグビーに熱中する高校生活ではありましたが、その頃、好きだったテレビ番組が織田裕二主演のドラマ「正義は勝つ」でした。裁判に勝つためには手段を選ばない敏腕若手弁護士が巨大な陰謀と戦うシリアスな社会派ドラマで、弁護士役の織田裕二が何しろカッコよかった。弁護士といえば、中学3年の時に課外授業の一環で様々な職種の方を訪ねて職業についてインタビューする機会があり、わたしが出向いたのは弁護士事務所でした。現役の弁護士さんの活動について子供ながら興味深くおたずねしたものです。その体験やドラマの影響もあり、大学進学を考える頃になると、将来の進路として、なんとなく「弁護士」という職業が頭に浮かんできました。

「弁護士になるためには法学部に入らねば」と、ラグビー三昧の日々から頭を切り替えて受験勉強に励んだところ、運良く早稲田大学法学部に合格し、第一関門はクリアーしたのですが…。入学してすぐにケンタッキーフライドチキンのアルバイトを始めると、これが楽しくてたまらない。いつのまにか大学に行くよりもアルバイトに熱が入ってしまいました。その結果、法学部では1年生の7~8割が取得する必修科目“民法”の単位を落とす羽目に。まさに「やばい」という感じでしたね。

そんなある日、中学時代の友人から「ちょっと相談に乗って欲しい」と連絡がありました。彼からすれば、わたしは小・中学時代に“物知り”とか勉強ができるイメージがあり、法律を専攻する法学部で学んでいるので、自分が抱えている悩みを解決してくれると思ったようです。話を聞いてみると、お父さんが経営する会社の資金繰りに関する難しい問題でした。アルバイトにうつつを抜かし、大事な必修科目の単位を落としてしまうような学生にもちろん対応できる内容ではありません。せっかく自分を頼りにしてきた友人の困りごとに何もできないことが情けなくなりました。

そもそも法学部を専攻した学生の全員が司法試験に向けてコツコツ勉強して弁護士を目指すわけではないし、遊び人を気取って学生生活をエンジョイする人も結構いるんですよ。弁護士にならなくても良い会社に就職している先輩も沢山いたので、自分もそういった生き方に気持ちが傾いていたのかもしれません。しかし、友人の相談に応えられなかった出来事が「企業に就職する道よりも弁護士になって困っている人の役に立ちたい」と、思い直す切っ掛けになりました。心を入れ替えて真摯に勉強に取り組み始めたのは、大学2年生の終わりの頃のことです。

友人の相談を境に司法試験の受験に向けて学業にも身を入れるようになりましたが、実はこの頃、我が国の司法制度が激変する時期でした。当時は、司法試験の受験回数制限などが今と違っていて3回の受験までは優遇されるといった仕組みもあり、年齢の若い受験者は合格できる自信がつくまで受け控えする風潮もあったんです。法学部在学中に受けることもできましたが、わたしは大学を卒業してしっかり実力をつけてから受けようと決めました。そのため、社会に出るまでの猶予期間をいただく、言うなればモラトリアムな考えで進路を選んでしまい、両親には申し訳なかったのですが、ひとまず大学院(早稲田大学法学研究科民事法学専攻)へ進学することに。

研究室で勉強しながら2回受験した頃に、新たな司法制度として法曹(弁護士、検察官、裁判官)養成に特化した教育を行う専門職大学院「法科大学院(ロースクール)」が創設されたんです。わたしは、早稲田の大学院を中退し、学習院大学大学院法務研究科に入学することで、この制度の一期生になりました。ロースクールを2年で終了し、満を持して受験に臨んだところ、新制度の試験1回目(※通算3回目)で無事合格することができました。2006年、わたしが26歳の時です。

日本の場合は、弁護士などの法曹資格を取得するためには、試験に受かった後に最高裁判所による約1年間の司法修習を修了する必要があります。その司法修習の一環として全国各地で実務を学ぶ修習があり、同じ年の12月から行われる実務修習の配属先にわたしが希望したのはマツダに就職した大学の友人がいる街「広島」でした。関東でしか暮らしたことのない自分にとって、広島は縁もゆかりもありません。春にロースクールを終了し、司法試験を終えた6月にその友人に会いに“青春18きっぷ”を使って鈍行電車で遊びに行ったのが生まれて初めてでした。

右も左もよくわからない広島での新生活がスタートしましたが、研修は楽しかったですね。裁判官、検察官、弁護士と一緒に行う研修では、生身の人間、生身の裁判と対峙して、座学が実学になるというか、ペーパーで知った頭でっかちの法律知識ではなく、人とのコミュニケーションの重要性を教わったり、大いに勉強になりました。一番おぼえているのは、広島に来てすぐに雪が降りしきる中、弁護士さんと同行して東広島西条の簡易裁判所で依頼者の方の相談に対応した時のこと。お金の関係の問題でしたが、実際の現場で依頼者の話を聞くのは初めてで、とにかく必死で対応したものです。裁判所の窓から見えた雪景色も忘れられません。

当初は「東京で弁護士をやっていきたい」という思いがありましたが、広島での研修に馴染んでくると、地元の法曹関係の人は良い人ばかりだし、瀬戸内の魚をはじめ、食べ物は美味しいし、いつの間にか広島の街が大好きになってしまいました。加えて、まだ20代半ばで元気いっぱいの頃です。広島に来てからは毎週金曜日に仕事が終わると、オールナイトで営業していた廿日市吉和の“めがひらスキー場”にスノーボードに出かけたり、休日はゴルフや海釣りを楽しんだり… 関東では一日がかりで足を運ばないとできないレジャーを近場で気軽に満喫できるのが何よりの魅力でした。日が経つごとに、弁護士として「東京でも活動したいけれど、広島でも仕事がしたい」と思うようになり始めたんですよ。以下、《後編》に続く。

《蓮見和章(はすみ かずあき)PROFILE》

弁護士法人リーガルジャパン代表弁護士。1979年12月11日生まれ。

埼玉県川口市出身。埼玉県立浦和高校卒業後、早稲田大学法学部へ進学。早稲田大学法学研究科民事法学専攻(商法)単位取得を経て、学習院大学大学院法務研究科修了。2006年より弁護士として活動。東京弁護士会所属。

趣味
〇スポーツ全般(※観戦もプレーも)
〇ドラマ観賞(※特にラブコメ)
〇3人の子供と遊ぶこと(※5歳の長男、3歳の次男、生後間もない長女)

【法人概要】
〇法人名  弁護士法人リーガルジャパン

〇事務所  【広島事務所】
〒730-0031
広島市中区紙屋町1丁目3-2 銀泉広島ビル5階
TEL 082-545-7728 FAX 082-545-7729
受付時間 AM9:00~PM5:30

【徳山事務所】
〒745-0015
山口県周南市平和通1丁目23番地 宮崎ビル2階
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受付時間 AM9:00~PM5:30

【東京事務所】
〒100-0005
東京都千代田区丸の内1丁目6-2 新丸の内センタービル20階
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■リーガルジャパンホームページ
https://www.legaljapan.hiroshima.jp/

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