【広島人の履歴書】
File.3 高橋雄幸さん 医療法人ゆうこう・ゆうこう歯科院長 《続編》

【広島人の履歴書 】


広島と縁のある各界のオピニオンリーダー自らが語る今日までの足跡。知られざるエピソード満載の履歴書(プロフィール)には、現在を生きるヒントが隠されています。

現役歯科医でいられる時間はあと僅か!
医院のこれから、そして故郷への想い。

大崎下島(呉市豊町)のみかん農家の息子であるわたしが歯科医となり、平成5年(1993年)に広島市郊外のベッドタウン安佐南区安東で「ゆうこう歯科」を開業…今日までの足跡を「広島人の履歴書」としてまとめてから、もうすぐ2年が経とうとしています。この間に世間を騒がせたコロナ禍も収束に向かい、人々の暮らしも落ち着きを取り戻しつつありますが、当院も今年(2023年)6月で開業30周年を迎えることができました。一方で、自分自身は還暦を過ぎ、歯科医として診療現場に立てる時間も残り少なくなっていることから、現実的に考えなくてはならない課題が増えてきたのも事実です。今回の履歴書の続編では、コロナ禍を経た現在の活動や、これからわたしが向かう先についての想いを記しておこうと思います。

コロナ期間の歯科医院

ここ数年、世界中で猛威を振るった新型コロナも我が国では季節性インフルエンザなどと同じ“5類感染症”に移行し、ようやく下火となってくれました。コロナ禍によって社会の仕組みや生活様式が一変した期間は、ニュースでよく医療現場の困窮ぶりが報道されていましたが、われわれ歯科医も然り。患者さん、当院スタッフへの感染拡大を防止するため、消毒剤、マスク、グローブの確保を皮切りに、半日休診など変則的な出勤シフトを編成してみたり、平常時とは違う対応を余儀なくされたものです。もちろん、コロナで売上が減少した一般企業や店舗と同様に、感染拡大がピークを迎え、緊急事態宣言が発令されて外出を控える人が増えた頃は、当院も患者さんが3割くらい減少しましたよ。助成金を申請して、やりくりできたので経営を逼迫するほどには至りませんでしたが、いろいろ頭を悩ますことも多く、何はともあれ収束に向かってくれて、ひと安心といったところです。とはいえ、まだ完全にコロナが収束したわけではないので気を抜くことなく、地域のための安心かつ安全な歯科医療に努めていきます!

目下の課題は医院の今後

よく言われるように何の事業にしろ、立ち上げるよりも仕舞う方が大変です。50歳半ばを過ぎた頃から、自分が診療現場に立てるタイムリミットを考慮して、「この先“ゆうこう歯科”をどうするべきか?」を考えるようになりました。わたしには33歳(※2023年時点)の息子がおりますが、彼は原子力や太陽光エネルギーを扱う会社に就職して歯科医とは違う道に進んだため、身内に後継ぎがいません。もっとも、昔から家業として代々続く歯科医院では、親子であっても、やり方の違いで衝突するといった話をよく耳にするので、うちは息子にバトンを渡せなくて逆に良かった気もしますが…。従って、自分が一線を退く時は、医院をたたむか?誰か医院を引き継いでくれる人材を探すか?のどちらかです。廃業を選択しない場合は、誰か後継者を探す必要があるわけですが、安心して後を託せる人材をみつけるのもそう簡単ではありません。

なぜなら、わたしが歯科医になった頃と比べて最近は、歯科医療を取り巻く環境が大きく変化していますからね。歯科医師国家試験の難易度が高まったこともそのひとつです。かつては歯学部の卒業生が多く、ピーク時には年間3800人くらいが試験に合格し、歯科医院の数の過剰ぶりが巷で話題になることもありましたが、近年では厚生労働省が歯科医師の数と質を適正に保つために、歯学部の定員減や歯科医師国家試験の合格水準の引き上げによる新規参入歯科医師の削減を行っています。歯科医になるための国家試験が難しくなったことで、今や受験しても3人に1人は不合格という狭き門になりました。つまり、歯科医になれる若い人が少なくなるというわけです。現役の歯科医の高齢化が進む中、10年先にはリタイヤする医師も増えることから、このままでいくと、そう遠くない先に歯科医師不足の時代が訪れると予想されています。実際、わたしの故郷、呉市豊町でも昔は3軒あった歯科医院が全て廃業して無歯科医地区になっているし、70歳を区切りに引退する同業者も少なくありません。患者さんの口の中の一点を見つめて、歯を削ったり、治療したり細かな作業をする仕事なので、加齢とともに集中力が続かなくなるんですよ。還暦を過ぎ、現役歯科医としてのカウントダウンが始まったいま、自分に相応しい幕引き方を模索しているところですが、諸事情を踏まえ、結果を出すにはもう少し時間をかけてみます。

歯科医としての自分とは?

口の中という小さな世界で朝から晩まで根を詰めて治療を行うのが歯科医である自分の仕事です。現在は1日15~16人、体力も気力も充実していた若い頃はもっと沢山の患者さんを診てきましたが、毎日毎日、同じことを繰り返していると、正直に言えば、「この稼業は面白くないな」とか「チマチマした仕事で嫌だな」との気持ちが湧いてきて歯医者を辞めたくなった時期もありますね。昔から理工系が好きだったので、時には「コンピュータやIT関係の仕事の方が面白そうだな」なんて、転職を頭に浮かべたことも。前回の履歴書にも記したように“好きこそものの上手なれ”で自分のやりたい仕事を選び、全力で取り組んでいる方は幸せだと思いますが、ひと足先に広島大学歯学部に入学した高校時代の同級生に感化されて同じ大学へ入学し、流れのままに歯医者になったわたしは、「この仕事が好きだから」という理由で、今日までやってきたわけではありません。

30周年を迎えるまで歯科医師を続けてこられたのは、この仕事が好きでたまらないわけではないけれど、嫌いじゃないし苦にならない、むしろ得意な分野だったから…これに尽きると思います。加えて、企業や事務所が集積するため、会社員など社会保険本人が患者の主体である都心部の歯科医院とは異なり、安佐南区の住宅地に立地する当院の場合は、扶養家族や国民保険加入者である高齢者を患者の主体とする“郊外型”です。「好きな仕事なのでさらに大きくしたい」などと、大きな目標を掲げたり、気負うこともなかったので、一般診療はもとより、地域の高齢者の口腔ケアや義歯調整を主体とする訪問診療といった自分自身が必要と考える歯科医療に取り組むことにやりがいを感じたのかもしれません。あと、当院には歯科医師のわたしの他に2人の優秀な歯科衛生士が常勤しています。自分をバックアップしてくれるスタッフの存在があったのも大きいですね。歯科業界自体も急速に変化する中、都市開発が進み、開業当時とは街並みの風景も様変わりした安佐南区安東で地域の歯科医院として30年もの月日が経過したことは感慨深いですよ。

63歳のいま、想うこと

歯科医の引き際と並行して、高橋家の長男である自分は、生まれ育った呉市豊町の実家の今後についても考えなくてはなりません。これまでずっと、共に80代後半の高齢になった両親のケアを弟と交代で行ってきましたが、父は昨年(2022年)3月に亡くなりました。現在は、認知症を発症した88歳の母がひとり残ったので、毎週一回は帰省するようにしています。家業のみかん農家の方は、2018年の西日本集中豪雨でみかん山が崩れたのを機に完全に辞めていますが、実家の畑の土地の面倒を見る仕事もありますからね。いまのところは、野生のイノシシが管理してくれていますけど(笑)。ちなみに実家のある豊町は、かつては3,300人いた島の人口がいまや1,500人に減少するなど、過疎化が年々進んでいます。加えて、わたしも弟も広島在住のため、帰省するのにクルマで片道2時間弱かかるんですよ。離れて暮らす親が居なくなった後の実家をどうするべきか?同年代の人と話すと、みな同じような問題を抱えているみたいですが、ウチは広島から距離が遠い過疎化が進む島しょ部なので、とにかく自分が元気な間に片付けたいものです。

わたしの平日のルーティンは、夜11時過ぎに寝て、朝7時に起床、8時に医院へ出勤すること。何か予定がない限りは、仕事を終えて帰宅してビールや自家製の梅酒で晩酌してボケ~ッとするのが自分にとって“至福の時間”です。ゴルフもやらないし、プライベートで昔から趣味らしい趣味はありません。強いて言えば旅行するのが好きですね。朝から晩まで医院に缶ヅメな日々を送るせいか「どこか遠くへ行きたい」という気持ちが強いんですよ。コロナが世間を騒がす前までは、国内外を問わず、リゾート地など思いついた先に妻と出かけていました。特に目的を持たず、観光地を巡ったり、地元の人が通うような店で食事するだけで楽しいものです。コロナも落ち着いたので、ぼちぼち旅行を再開しようかな。

さて、これから歯科医の退き際や実家のことを無事に解決したのちは、自らも高齢者となる自身の生き方を模索せねばいけません。還暦を過ぎて以来、「自分が10年先に何をしているんだろうな?」ということをよく考えるようになりました。天変地異、災害、戦争、経済不安、病気や事故など、いつ何が起こるか分からない世の中ですが、あと10年先の自分は果たしてどうなっているのか?楽しみでもあり、不安でもあり…。決して欲張りはしませんが、願わくば「ボケることなくボケ~ッとする」ことでも幸せを感じるような、のんびりした日々を過ごしていたいものです。73歳になった時にそんな生活を実現できるように、明日からもうひと踏ん張りしなくては!

※「広島人の履歴書続編・高橋雄幸」(2023年11月制作)

《高橋雄幸(たかはしゆうこう) PROFILE》 

1960年生まれ。呉市出身。1987年広島大学歯学部卒業後、医療生協健文会・宇部協立歯科診療所勤務。1992年から医療生協・健生歯科なるとに勤務したのち、1993年6月「ゆうこう歯科」開業。2014年4月「医療法人ゆうこう」を設立。

〇矯正:床矯正研究会会員
〇インプラント:POI インプラント・マスターコース修了
〇歯周病:国際歯周内科学研究会会員
〇全身と噛み合わせ:全身とかみ合わせとの関係を考える会会員
〇義歯:アーチフェイシャル咬合研究会アドバンスコース修了
〇塩田義塾会員

【医療法人ゆうこう ゆうこう歯科】
所在地:〒731-0153 広島市安佐南区安東2丁目10-2 エムタウンビル4F
電 話:082-872-7878 FAX:082‐872‐7588
休診日:水曜日(不定期)、日曜・祝日

■ホームページ http://www.you-cou.com/

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