【名盤紀行 】
Vol.12 沢田研二

【名盤紀行 】


長崎市出身、広島市在住。映像&イベントの制作会社の広島本社に20年、東京支社に10年勤務。今は「レコードバー野中サンハウス」の店主。今日のレコードは、なあに?

こんち、これまた、ご機嫌いかが?流川の「レコードバー野中サンハウス」店主でございます。2018年冬に開店した「野中サンハウス」では、「アナログ・モノラル・ローファイ」を合言葉に、日々様々な音楽をお楽しみいただいております。2021年夏、ついにあの映画を見て参りました。「キネマの神様」であります。

松竹映画100年記念作品として、2020年3月にクランク・インするも、撮影半ばにして、志村けんが亡くなった。もちろんコロナ禍で撮影もできない。その逆境の中、山田洋二監督はじめ、スタッフ一同の努力が実り、ついに8月6日公開。なにより、志村けんの代役を果たした沢田研二がエライ!てなわけで、今回は沢田研二特集。

沢田研二と言えば、1974年の「恋は邪魔もの」。井上堯之バンドの写真をジャケットに多数あしらい、ロックバンドらしさを強調。それよりなにより、ヒコーキ野郎でもバイク野郎でもないのに、こんなにゴーグルの似合う男が、どこにいようか!

沢田研二と言えば、1975年の「時の過ぎゆくままに」。TBSのドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌として大ヒット、オリコン1位。ドラマの主演は、もちろん沢田研二、三億円事件の犯人を演じている。

沢田研二と言えば、1979年の「カサブランカ・ダンディ」。テレビの歌謡ショーでは、間奏部分で洋酒を口に含んで吹く。そのお行儀の悪いパフォーマンスがやたらと格好良く、良い子も悪い子も普通の子も、みんな真似しましたとさ。さて、向かって右が沢田研二のレコード。左のレコードは、1961年のビリー・ヴォーンのレコード。このデザイン、1960年代洋楽のシングル・レコード・ジャケットのひな型だったようで、左側のジュークボックス写真は固定。右上には演奏者の顔写真。それ以外は、テキストを入れ替えるのである。そのジャケットを正確にパクった沢田組、さすがである!

沢田研二と言えば、1980年の「TOKIO」。電飾がピカピカする派手なスーツを身にまとい、パラシュートを背負って歌うという、誰も思いつかないことをやってのけた。しかし、レコード・ジャケットでは、カウボーイの格好なのである、何故?

沢田研二と言えば、1980年の「恋のバッド・チューニング」。糸井重里が作詞。当時、ローリング・ストーンズがリハーサルでは、チューニングをばっちり合わせ、本番前に、ちょいと緩める、これぞバッド・チューニング!と、糸井重里がなにかに書いてました。信じるか、信じないかは、あなた次第。

沢田研二と言えば、1980年の「酒場でDABADA 」。隠れた名曲、何より、ジャケット写真が男前!スキャット部分が「沢田でんでんむし食べた」と聞こえるらしい。本コラム、写真は5点と決めておりましたが、今回は沢田研二の格好良さをお楽しみいただきたく、7点選びました。ご堪能いただけましたでしょうか。

今回は、沢田研二をレスペクト致しました。さて、そんなこんなレコードが、そこそこある「レコードバー野中サンハウス」へ、ぜひおはこびください。月に一度ほど、RCCラジオの人気番組「バリシャキNOW」にお呼びいただき、蓄音機で2枚回しています。次回は8月23日、月曜日に出演する予定です。さて、本日はここまで。今日も明日も名盤聴こう!それでは、みなさん、ごきげんよう。

Hiroshima Personの最新情報をチェックしよう!