こんち、これまた、ご機嫌いかが?流川の「レコードバー野中サンハウス」店主でございます。2018年冬に開店した「野中サンハウス」では、「アナログ・モノラル・ローファイ」を合言葉に、日々様々な音楽をお楽しみいただいております。
2020年冬、サロンシネマにて、映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」を拝見いたしました。不覚にも、否、予想通りちょっと泣いてしまいました。そこで今回は、ザ・バンドのお話。
さて、この映画のチラシ、1969年に出た、彼らのセカンドアルバム「ザ・バンド」のジャケット写真をアレンジしたもの。こう見えて5人中4人は20代。ではここでメンバー紹介。左から、リチャード・マニュエル(26歳)、リヴォン・ヘルム(29歳)、リック・ダンコ(27歳)、ガース・ハドソン(かろうじて32歳)、ロビー・ロバートソン(26歳)。皆老けとる。ちなみにアメリカ南部人のリヴォン・ヘルム以外はカナダ人。
これにはちゃんと理由がある。南部出身のロカビリーシンガー、ロニー・ホーキンスのバックバンドとして、リヴォン・ヘルムを含む南部人バンドは、アメリカより田舎なら売れるだろうとカナダへ巡業。すると、寒さとホームシックでリヴォン以外はやめてしまい、仕方なくメンバーを現地調達、集まった腕っこきがザ・バンドの原型「リヴォン&ザ・ホークス」なのであります。
さて、ここでボブ・ディラン登場。1965年からエレキ・ギターを使い始めたディランは、リヴォン&ザ・ホークスをバックバンドにしてツアーを行いますが、エレキを持ったディランには、かなりブーイングがあったようです。1965年、ディラン、オートバイ事故で怪我。療養のためのウッドストックで隠遁生活。そこに、5人を呼び寄せて地下室でセッション三昧。この時、ディランはロックっぽさを身に着け、ザ・バンドはディランから歌詞を教わる、そんな相互作用が起こったと思われます。
そしてある事情で、その録音楽曲がレコードになり、世界初の海賊盤登場といわれています。もちろん非常に話題になってしまい、しかたなく正規盤をリリースすることに。ゆえに、ボブ・ディランとザ・バンドの「地下室」は、8年も経った1975年の発売なのであります。
1968年、彼らのデビューアルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」リリース。ハードロック&サイケデリックロックの時代に、まさかの泥臭く、カントリー臭いシンプルなロック。賛否両論あった。リンカーン大統領のパーティーで演奏できる唯一のバンド、と揶揄される一方、ザ・バンドの音楽に圧倒された英国ギターの神、エリック・クラプトンは、サイドギタリストとしてで良いから、仲間に入れてくれと頼み、見事断られている。
ザ・バンドの音楽は誤解される。単純で古臭い音に聴こえるのだ。ある評論家が評して曰く「シンプルで伝統的に聴こえたが、彼らの音楽は、チームワークと長年磨き上げた職人技による複雑な音楽だった。」、実に的確な表現だ。A面5曲目の「ザ・ウェイト」は、アメリカン・ニューシネマの傑作「イージー・ライダー」の劇中歌として使われた名曲。ちなみにジャケットのヘタウマ絵は、ボブ・ディラン画伯の作品。急に良い絵に見えてくる。
セカンドアルバム「ザ・バンド」は、大きな家に録音機材を持ち込み、暮らしながらレコーディング。1969年リリース、プロデューサーは、1作目と同様ジョン・サイモン。超名曲「オールド・ディキシー・ダウン」含む全12曲、素晴らしい!仲の良い5人が組み上げた力強く美しく絡み合う音楽がそこにある。ちなみにジャケット写真の撮影の日、極寒だったらしく、あんな険しい表情に。しかし皆老けとる、やっぱり。
彼らの写真で一番好きなものが、このベンチに座る5人。仲がええでしょう?このCDはベスト盤ですが、はっきり言ってジャケ買いです。この写真が欲しかった。さて、ザ・バンドの歴史、前編はここまで。またいつか続きを書きます。
そんなこんなレコードが、そこそこある「レコードバー野中サンハウス」へ、ぜひおはこびください。シングル盤は、昭和歌謡から映画音楽まで、雑に約1000枚ございますが、レコードやCDの持ち込みも可能です。また弊店、蓄音機でSPレコードもお楽しみいただけます。月に一度ほど、RCCラジオの人気番組「バリシャキNOW」にお呼びいただき、蓄音機で2曲回しています。次回は、1月4日、月曜日に出演する予定です。
さて本日はここまで。今日も明日も、名盤聴こう!それでは、みなさん、ごきげんよう。