【実践!里山生活術 】
Vol.5 マツタケ山とおじいさんとネズミサシ

【実践!里山生活術 】


里山とは、環境省によれば「原生的な自然と都市との中間に位置し、集落とそれを取り巻く二次林、それらと混在する農地、ため池、草原などで構成される地域」。日本人の原風景が感じられる北広島町の里山で暮らす“里山コーディネータ”山場淳史さんのコラムです。

思いがけないスナックデビューから数日後、さっそくH課長さんからご提案いただいた地区へ行ってみました。到着すると、周囲よりもいっそう勢力を感じるアカマツ林を背景とした木造小屋の前に、小柄で痩せてはいるけれど肩幅が広い、黒縁眼鏡のどことなく懐かしい雰囲気の「おじいさん」が立っていました。後々、調査や行事のたびにお世話になるYさんでした。挨拶をすると、和やかな広島弁で「ようきんさったのう」と嬉しそうに返されました。小屋の中に案内されると、ほかにも数人のおじいさんが仲良さそうに座っておられました。

※写真は数年後にJICAの研修生をマツタケ山に案内した時のもの。前列左から3人目がYさん、後列左端がN先生、筆者は後列左から5人目。

少し緊張して今回の経緯などを説明しようとすると、H課長さんからもう聞かれていたのか、Yさんが取り組みの内容を説明され始めました。これも後から分かったのですが、実はYさんも県の林業職OBで、退職後は地元の山づくりに仲間と熱心に関わられていたのです。その熱心さから、話は非常に多岐にわたって正直長かったのですが(笑)。

簡潔にまとめると、Yさんたちの取り組みは、「長寿会」と呼ばれる地区の高齢者組織が主体となって、地区のランドマークである小高い山麓の「財産区」所管のアカマツ林を「マツタケ山」として手入れすることで、その景観を守りつつマツタケをテーマに地区内の小学校と連携して環境教育や食の恵み体験で交流することにより、故郷の原体験を共有することを目的にされていたのです。

※写真は地元の保育園児や小学生を招いて「マツタケご飯を食する会」。

説明のあと、さっそく手入れされているマツタケ山を案内してもらいました。盗掘防止のため周囲に有刺鉄線が張られていたのには驚きましたが,それくらい収穫時期になると実際に不審者が絶えないそうです。ゲートに入ると遠くから見たよりもさらに迫力のあるサイズのアカマツの立木と丁寧に下刈りされた草地の間に、ヒサカキやコバノミツバツツジなどの広葉樹低木が整然と並んでいました。春になると、ツツジの赤紫色の花が咲き揃い公園のように綺麗な空間になります。このように手入れしたアカマツ林は明るく気持ちの良いものだと知ることになります。

※写真はコバノミツバツツジが咲き揃う春のマツタケ山。

入り口付近はほぼ平坦でしたが、奥に進むと少し手入れの行き届かない雰囲気の森林と接するようになります。ふと見ると、低木よりも少し高く細長い、アカマツとも違う初めて見る針葉樹が生えていました。触ると指先に刺さるように痛い枝葉の間に黒〜緑褐色の小さな丸い実(球果)がなっていました。ひとつ取って割ってみると、松脂のような粘つく中に種が入っていて、匂うと青臭くて甘い、けれど爽快な不思議な香りがしました。

ジロジロと観察していると「あーその木はネズミサシ、地元ではモロギ言うてマツタケ山には欠かせん木なんじゃ」とYさんが教えてくれました。後で調べると、正式和名は「ネズ」でヒノキ科、材はハデぼしの基礎や納屋の土台に使われたらしい。マツタケの発生に良い環境を地下部で形成するともありましたが、一番気になったのは実が蒸留酒ジンの香りづけに使われるとの記述でした。当時は洋酒が大好きで、生意気にもバーや自宅でもバーボンやシングルモルトなどを好んで飲んでいたのですが、たまにジンもライムと一緒にロックにしていたので、その風味とネズミサシの実の香りが重なりました。

※写真はネズミサシの枝葉と球果。

こうしてマツタケ山でYさんとネズミサシに出会ってから、私はそこを研究フィールドとすることに決め、研究室から自転車で30分程度かけて通い始めました。まずは得意な社会学的アプローチとして、高齢者組織や財産区と地域コミュニティの関係性や、山林の利用・管理に関する意識の住民属性による差異を明らかにするために、地区の集会に参加して聞き取りしたり、各戸へアンケート調査票を配って回ったりもしました。

出遅れたもののなんとか結果をとりまとめて年度末には卒論を提出でき、大学院修士課程に進んでからはN先生の研究室に正式に所属して、マツタケ山の維持管理作業に伴う植生の多様性を評価することにしました。マツタケ山の内外にいくつかの調査区を設置して、実際に下刈りなどの作業にも参加しながら、植生の違いや変化を調査・記録しました。それにしても作業をされているYさんや地元のおじいさん、おばあさんの本当に仲の良い様子は新鮮でした。いつか自分も里山のある土地に住んで、地元の仲間と一緒に汗をかき笑い歌いながら樹々の手入れを楽しみたいという気持ちになりました。

大学院修了後は、いろいろとお世話になった広島県の林業職として、いったん自然保護関係や森林計画関係の業務を経験したのち、現在の林業技術センターで研究業務に従事して今に至っています。職務としての研究対象は森林の立木や土壌のバイオマス(炭素)量調査や、根の防災機能評価、ドローンによる湿原や森林の計測など、学生時代とは全く異なる分野の研究や調査事業に15年ほど関わってきました。

その間、プライベートでは結婚して子どもが産まれたこともあり、北広島町に移住して遂に念願の里山暮らしを始めました。ここ2・3年は業務でも「里山」の活用とそのコーディネートに直接関われるようになったのは何かの運命かもしれません。さて次回からは、いよいよ本編として、自称「里山コーディネーター」として自分の知見と経験を業務に生かすことができた事例や、プライベートで里山暮らしを楽しむ術、というより試行錯誤の実例をご紹介します。このコラムで最初に少し時間をかけて里山「研究」を振り返ったのは、ここ数年の取り組みに、その知見や経験が大きく影響することになったからです。

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