こんち、これまた、ご機嫌いかが?流川の「レコードバー野中サンハウス」店主でございます。2018年冬に開店した「野中サンハウス」では、「アナログ・モノラル・ローファイ」を合言葉に、日々様々な音楽をお楽しみいただいております。
2020年冬、横川シネマにて、音楽ドキュメンタリー映画「ランブル」を拝見いたしました。サブタイトルは「The Indians Who Rocked The World」、つまり「世界をロックしたインディアン達」。 アメリカ先住民の血を引くミュージシャンがポピュラー音楽に与えた多大なる影響のお話。
1492年、コロンブスが新大陸を発見。つまり、ヨーロッパ人にアメリカ大陸が見つかってしまった。しかも、インドと間違われて。それまでは、基本、先住民しか住んでいないのだ。その先住民を「インディアン」と名付けるのも、非常に乱暴である。1493年、ヨーロッパ諸国から植民が始まると、当然混血も増え、人種のるつぼの中で、様々な文化が混ざり合って「アメリカ文化」が育まれていくのである。
さて、生粋のネイティブ・アメリカンで有名なミュージシャンは、なんと言っても、ジェシ・エド・デイヴィス。父はコマンチ族、母はカイオワ族。写真は、1970年のソロ・デビュー・アルバム「JESSE DAVIS」と1972年の「ULULU」。どちらも名盤。元ビートルズのジョージ・ハリスンやレオン・ラッセルと仲が良く、1975年、ジョン・レノンの「スタンド・バイ・ミー」でスライド・ギター・ソロを弾いているのもジェシ。しかし、さらに重要な逸話がある。1968年、黒人ブルースマン、タジ・マハールのファースト・アルバム2曲目「ステイツボロ・ブルース」で、見事なスライドギターのソロを弾いているのがジェシ。それを聴いた2歳年下のデュアン・オールマンは、スライドギターを始めたという。いい話だなあ。ジェシエドなくして、オールマン・ブラザーズなし!名ギタリスト、ジェシ・エド・デイヴィス、1988年没、享年43歳。
こちらはネイティブ・アメリカン4人組「レッドボーン」。デビューは1970年。B面の「チャント」が素晴らしい。訳すれば「祈祷・詠唱」である。1973年のシングル「カム・アンド・ゲット・ユア・ラブ」はかなり売れたらしい。なんと「おどるポンポコリン」の元歌といわれている。さすがに、このレコードは持っておりませんので、you tubeなどでお確かめください。それにしても、やるなあ、織田哲郎。
スワンプ・ロックのいかつい奴、トニー・ジョー・ホワイト、南部生まれの白人と思っていたが、チェロキー族の血を引いていたらしい。左の黄色いジャケットは、映画「マイラ」の主題歌で、オーティス・レディングの「ハード・トゥ・ハンドル」をカバー、荒っぽいギターがたまりません。歌う前に必ずえずくのも下品でよい。さて、右の「ポーク・サラダ・アニー」は、トニー無名時代の名曲だが、エルヴィス・プレスリーのステージでの定番曲。動画で見ると、エルヴィスが空手風の振り付けでノリノリ、見所ですぞ。さらにB面の「ジョージアの雨の夜」、普通は「雨のジョージア」と記載される曲だが、1970年、ブルック・ベントンが歌ってヒット。かつて近藤房之助もライブで歌っていたなあ。トニー・ジョー・ホワイト、2018年没、享年75歳。
ザ・バンドの映画「ラスト・ワルツ」にも出演していたカントリーの歌姫、エミルー・ハリスもチェロキー族の血を引くらしい。写真は、1979年のアルバム「ブルー・ケンタッキー・ガール」。このアルバムで、1980年グラミー賞で最優秀女性カントリー・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞した。A面2曲目の「ビニース・スティル・ウォーターズ」は、ジャック・ダニエルズCMで使われた名曲。それにしても、ジャケットが美しい。エミルー・ハリス73歳、ご存命。
今回は、ネイティブ・アメリカンをリスペクト致しました。さて、そんなこんなレコードが、そこそこある「レコードバー野中サンハウス」へ、ぜひおはこびください。シングル盤は、昭和歌謡から映画音楽まで、雑に約1000枚ございますが、レコードやCDの持ち込みも可能です。また弊店、蓄音機でSPレコードもお楽しみいただけます。月に一度ほど、RCCラジオの人気番組「バリシャキNOW」にお呼びいただき、蓄音機で2枚回しています。次回は、2月8日、月曜日に出演する予定です。さて本日はここまで。今日も明日も、名盤聴こう!それでは、みなさん、ごきげんよう。