【実践!里山生活術 】
Vol.7 「里山暮らし」その前に

【実践!里山生活術 】


里山とは、環境省によれば「原生的な自然と都市との中間に位置し、集落とそれを取り巻く二次林、それらと混在する農地、ため池、草原などで構成される地域」。日本人の原風景が感じられる北広島町の里山で暮らす“里山コーディネータ”山場淳史さんのコラムです。

今回からは「テーマ(イベント)別」にしてプライベートを中心に、これまで実践というより試行錯誤してきた、またこれから挑戦していきたい「里山生活術」、言い換えると「里山でのライフスタイルをさらに価値が高いものにするための戦術」をまとめる場にしたいと思っています。と前回高々に宣言したように見えますが、実はカッコ書きで(あ、ちょっとハードルを高くし過ぎたか?次回から大丈夫かな?)と付け加えていたのが編集段階で削除されてしまったので逃げ道がなくなりました(笑)。

ということで、読者の皆さんのライフスタイルを考える契機となるよう、まずは「里山暮らし」について、少し総論的にまとめてみたいと思います。ところで、似たような言い回しとして「田舎暮らし」というのもありますよね。ここでは「田舎」と「里山」との比較で考えながら、まずは両者の価値意識の違いを考察してみましょう。もちろん、どちらが正しいとか言うつもりはありませんよ。私自身がこの地で暮らすことを表現する際に、いつもその両者の違いを意識しているので、その思考プロセスのご紹介にすぎません。

まず先に、「田舎」で暮らすという表現には、「都会」や「都市」から生活拠点を相対的に移すという意味合いが強いと思います。「田舎」にはもともと「故郷」という意味以外に、家や人の少ない、逆に田んぼばかりの辺鄙な場所という、ちょっとネガティブな意味も含まれますよね。それを逆にポジティブに使う場面もあるかもしれませんが、その内容はどこか漠然としている印象を持つのは私だけでしょうか。

おっと、「田舎」に深入りするのはちょっとここまでにして、では「里山」暮らしと言った場合、どこがどう違うのでしょうか。これはあくまで私の考え方で偏りがあるかもしれませんが、「里山」という用語に置き換えるだけで、その暮らしの価値意識が容易に思い浮かぶ気がするのです。私が「田舎」の代わりになるべく「里山」を使うのは,そうした思いも含んでいます。

ここで、私のコラムvol.4(https://hiroshimaperson.com/jss0004/)では、「里山」の概念を「人の手が入ることで維持されている二次林とその周りの里地や草地、ため池なども含めた景観」とご説明しました。つまり,「里山に暮らす」と言われた時には,そこに具体的に憧れる景観があり,それを構成する森や田畑などに自ら関わりながら生きていく、それをライフスタイルに直結させたい、という意思を感じさせます。

実は、私が当地での暮らしを決意したのも、まずは旧千代田町と旧豊平町の境界となる「八重三山」のなだらかな稜線と、それらを背景に繋がる里山の田畑や家屋、これらのなんとも優しい景観に魅了されたこととが一番の理由です。そして今は生活に追われて充分ではありませんが、将来も含めて、この景観を維持するためにできることを自らもやっていきたいという強い思いは持っています。

※写真は自宅近くから見えるちょうどこの時期の八重三山の風景。

先輩面して偉そうに言うつもりはありませんが、読者の方で農村や山間で生活したい、そういうライフスタイルに興味を持っておられる方がいらっしゃったら、その目指す姿を「里山に暮らす」と置き換えていただき、またその地での里山との具体的関わりかたについてもぜひ思いを巡らせていただきたいと思っています。そのほうが後述することになると思う土地や住まいの選び方にもきっとプラスになるはずです。

そしてもちろん、「里山」の「里」には人が住んでいます。里は中山間地であることが多いと思われますので、都市部に比べると人数は少ないのは当たり前なんですが、少ない割に里にはそれぞれ個性的でかつ独自の得意分野をお持ちの魅力的な方々も多い気がします。次回はそうした「人」との出会いや繋がりも併せて、我が家がどのように「里山暮らし」を始めることができるようになったのか、いわゆる移住のノウハウにもなるような実体験をご紹介させていただきたいと思います。

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