北広島町の里山の麓で暮らしております山場と申します。はじめまして。私は広島県の研究機関である林業技術センター(三次市)に研究員(現在は企画・広報担当)として勤務しながら、自分なりに理想のゆったりとした里山での暮らしかたを模索しつつ、現実には家庭(特に子どもたちの世話)や地域社会の役割など多忙なスケジュールに追われています。
今回、主に里山とヒト、コト、モノの繋がりについて連載させていただくことになりました。仕事として関わっている面白い繋がりもたくさんあるので、それらのストーリーも追々ご案内しますが、まずはプロフィールのご紹介も兼ねて、私の里山との関わりを振り返りたいと思います。
私の故郷は福井県勝山市で、その地名のとおり周囲を白山連峰など比較的標高の高い山々に囲まれた盆地の中で育ちました。今では恐竜博物館で有名ですが、当時は豪雪地帯としても全国ニュースに取り上げられることが多くありました。昭和56年豪雪の際には家の2階の窓まで積もり、援助に来られた自衛隊員と雪合戦をした思い出があります。
実家自体は市街地にあったのですが、当時(1970-80年代)はすぐ周辺にまだ豊かな自然環境が残っており、釣りキチ少年だった私は自転車であちこちの河川、渓流、湖沼の魚と遊んでいました。もちろんその背景には里山があり、釣りに飽きたら森の中に入ってクワガタを捕まえたりアケビなどを食べたりもしていた記憶があります。
その一方で、当時はリゾート開発ブームで、特にレジャー施設の建設や道路の拡幅のため、山が無造作に削られ、遊んでいた森が消え、川の流れや水質も大きく変わっていくのを目の当たりにした時代でもありました。子ども目線でも、なんだか悲しく疑問に感じていたのだと思います。
このような経緯もあってか、地元の高校から大学を受験する頃に興味を持っていたのは「環境問題」でした。いくつかの書籍を読む中で、こうした問題は「自然」と「社会」の関係の中で生じていくことを知りました。文系と理系の学際的な教育・研究組織の先駆けである広島大学総合科学部を志望校に選んでいたのは必然的だったと言えるでしょう。
次回は、広島での学生時代に「里山」研究に出会ったお話です。