【名盤紀行 】
Vol.19 エルヴィス・プレスリー

【名盤紀行 】


長崎市出身、広島市在住。映像&イベントの制作会社の広島本社に20年、東京支社に10年勤務。今は「レコードバー野中サンハウス」の店主。今日のレコードは、なあに?

こんち、これまた、ご機嫌いかが?流川の「レコードバー野中サンハウス」店主でございます。2018年冬に開店した「野中サンハウス」では、「アナログ・モノラル・ローファイ」を合言葉に、日々様々な音楽をお楽しみいただいております。2022年7月1日、ロック界の大偉人、エルヴィス・プレスリーの映画「エルヴィス」が公開されます。絶対に絶対の必見映画、そこんとこよろしく!であります。

タイトルはシンプルに「エルヴィス」。監督は、「ムーラン・ルージュ」のバズ・ラーマン。主演は、オースティン・バトラー。2019年、ジム・ジャームッシュのゾンビ映画「デッド・ドント・ダイ」に出演。続いて、クエンティン・タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」では、マンソン・ファミリーの一員を演じた。しかも、極悪マネージャー、パーカー大佐をトム・ハンクスが演じている。こいつぁ期待できるぜい。

エルヴィス・プレスリー、1935年ミシシッピに生まれ、1948年テネシー州メンフィスへ引っ越しをする。この「メンフィス」と言うのがキーワードなのであります。メンフィスには、貧しい黒人労働者階級が多かったため、若きエルヴィスは、黒人音楽を聴いて育ったようです。そして、もう一つのキーワードが「サン・スタジオ」。創業者は、サム・フィリップス。彼は白人であったが、黒人音楽を録音したいと強く思っていた。また、彼のスローガンは「何でも、どこでも、いつでも録音する」であった。さらにさらに、アマチュアが録音して、レコードを持って帰られるサービスも行っていた。ちなみに、この写真は、CD3枚組。ジョニー・キャッシュ、カール・パーキンス、ロイ・オービソン、ルーファス・トーマス等、錚々たる面々の録音だ。

1953年8月、18歳のプレスリーが、サン・レコードのドアを叩きます。その時は、母親にプレゼントするために2曲録音して、レコード盤を待って帰りました。翌1954年1月、エルヴィスはスタジオを訪ね、もう2曲録音。当時、サム・フィリップスは、「黒人のサウンドと黒人のフィーリングを持った白人」を探していた。そして紆余曲折がややあって、録音したのが「ザッツ・オール・ライト」。これが大ヒット。1955年までの間にシングル盤5枚をリリースしました。このLPレコード「サン・コレクション」に全部収められています。

エルヴィスとサン・レコードは、とても良い関係であったそうです。が、しかし、サン・レコードは、とある著作権問題で莫大な借金に苦しんでいた。さらに、エルヴィスを全国的に売り出すには、大手でなければ無理だとも思っていた。そこで、RCAレコードに移籍させました。移籍金でサン・レコードは財政が楽になり、他のミュージシャンの録音も活発に行えた。エルヴィスもRCAの元で、全米どころか、全世界の「キング・オブ・ロックンロール」になった。写真は、移籍直後のレコード。1956年の「冷たくしないで」と1957年の「監獄ロック」。

移籍後エルヴィスは、RCAレコードから57枚のLPをリリースしたと言われています。凄い数です。さて、写真のLPレコードは、ロックンロールの名曲名演24曲が、むぎゅっと詰まった2枚組、とてもスグレモノ。さて、映画「エルヴィス」で、彼の最期をどう描くかは、見ていないのでわかりません。1977年8月16日、エルヴィス死去、享年たったの43歳。ちなみに、3年後の1980年12月8日、ジョン・レノン死去、享年たったの40歳。なんだかなあ…。

今回は、映画「エルヴィス」が7月1日に公開されるので、慌ててエルヴィスのデビュー時期のお話を少々致しました。何より、映画をご覧いただきたく。さて、エルヴィス・プレスリーのレコードも、そこそこある「レコードバー野中サンハウス」へ、ぜひおはこびください。月に一度、RCCラジオの人気番組「バリシャキNOW」にお呼びいただき、蓄音機で2枚回しています。次回は、7月11日月曜日に出演する予定です。また、7月27日水曜日には、FMちゅーピー「イブニング・ストリーム」にて、レコードを数曲回します。さらに「タウン情報ひろしま」では“レコード女子のススメ”というコラムを書いております。毎回、レコードプレゼントがございますので是非!

さて本日はここまで。今日も明日も名盤聴こう!それでは、みなさん、ごきげんよう。

Hiroshima Personの最新情報をチェックしよう!