
電気設備の設計・コンサル掲げ独立
「金よりロマン」を追求する生き方
電工としての第一歩を踏み出してから約20年、満を持しての独立です。電気設備の設計とコンサルタントを看板にわたしを含め3人のスタッフでスタートした「井村設備設計事務所」では、東京と広島を拠点に様々な現場で培った自分の経験とスキルを存分に生かさなければいけません。自身が組織を率いる立場となり、仕事相手の窓口もサラリーマン時代のように担当者でなくオーナーに代わったことから、事務所の代表としての姿勢を打ち出そうと基本理念に据えたのは「どんな案件でも逃げずに引き受ける」こと。例えば、大規模で工期が読めない案件や高度な工事の案件は、普通はどこの会社も尻込みしがちですが、ウチは迷うことなく引き受けようと決めました。全く初めて手掛ける仕事でも“ノー”ではなく、“イエス”と応えてチャレンジするわけです。

いま振り返ってみると、この理念は、時代がアナログからデジタルへ移る転換期にも役立ちました。創業した昭和50年(1975年)当時の世の中は、まだアナログ全盛期でしたが、1980年代以降、2000年にかけてパソコンや携帯電話などの情報通信技術が急速に普及してデジタル化の波が押し寄せてくると、我々の世代の工事関係者は、日進月歩で進化する情報系の仕事には対応するのが難しいと判断して協力会社や下請けに回すのが通例だったんです。周りがデジタル化をまだ見ぬ技術として特別扱いする風潮にあって、電気畑出身のわたしは、もともと“デジタルも電気工事の一環”と考えていたので戸惑ったり、気負うこともなく、自分で企画した案に専門家に知識や技術のアドバイスをもらいながら図面を描いて納めていました。ウチで作成した図面ならクライアントにも詳細を説明できる利点もありますからね。“チャレンジ精神”が今日に続く、我が社の源流になっていることは間違いなさそうです。
組織を法人化し、本稼働へ

独立当初、ウチのお客さんは建築事務所がメーンでしたが、施工会社でそれほど懇意な先がなかったので、サブコン(※専門工事会社=Subcontractor)の近畿電気工事株式会社(※現・株式会社きんでん)や日本電設工業株式会社を紹介していただき、設計の仕事を回してもらって急場をしのぐなど、発足して2年目くらいまでは資金繰りに苦労しましたね。上向く切っ掛けとなったのは、仕事の受注に向けて業界の仕組みが変わったことでした。それまで我が国の建築業は、建築設計と設備設計が一括りにされていたのですが、独立を機にわたしも加入していた業界団体“一般社団法人広島県設備設計事務所協会”の尽力で、広島は全国でも逸早く建築設計と設備設計の分離を図ったんですよ。設計部門の分離により、建築会社を経由しなくても自ら直営業して設備設計を受注できるようになったので、ご縁をいただいた県や国交省はじめ、三原・尾道といった市町村を訪ねると、規模の大きい公共工事も回って来るようになりました。従来のサブコンからの下請け仕事に加え、直営業の成果も上がり、なんとか資金も回り出したのを機に昭和55年(1980年)4月、対外信用面を踏まえて組織を法人化して「株式会社アイ・シー・エム設備計画」を設立。社名の横文字“アイ・シー・エム”の由来は、井村のアイ(I)、コンサルタントのシー(C)、創業メンバーだった社員の苗字のエム(M)で、「電話帳の業種欄の一番上に掲載されそうな社名にしよう」と考えて命名しました。
“井村流”設計・コンサル

実績を積んでいくにあたり、我が社が得意分野としていたのがランドスケープ、つまり公園や街路、庭園など屋外空間のデザインです。サブコンからの依頼などで設計・コンサルとして広島県下や山口県の大型屋外公園施設の基本構想から実施・管理システムを手掛ける機会が増えていきました。わたしたちが設計・コンサルティングを担当する設備とは、電気・空調・給排水設備の総称ですが、案件ごとに環境や条件が違うため、その都度、調査や研究・解析して向き合わなければいけません。“常に勉強が基本”の日々にあって自分自身、基本構想に着手する際に心掛けていたのが「テーマを決める」と「将来を予測したアイデアを盛り込む」です。実際に提案した例を紹介してみると、ある国営公園を担当した時に掲げたテーマは、スリが多発していた時代背景を考慮して“スリ被害を減少させる”こと。わたしは、まず「警察白書」を買って読み込む作業からスタートしてスリの犯罪データを集め、件数を減らすために有効だと着目したのがキャッシュレス化です。そこで提案したのが支払いを磁気カードで行うシステムで、このアイデアはたしかNTTのテレフォンカードより早かったと記憶しています。また、この公園は広大な敷地だったのでゴミの搬送が大変でした。“ゴミ掃除の効率化を図る”もテーマに加え、思いついたのが土木工事で掘削する時に地下へ大きなパイプを通し、園内の要所要所にゴミステーションのポストを設けて集積場へ圧縮空気で一気に送る“ゴミ搬送システム”です。予算的に実現は出来ませんでしたが、提出した報告書を読んだ当時の現場の所長さんに感心されましたね。ほかにも老人ホームの建設に関わった時は「厚労省白書」を入手して、データを基に10年~20年先の介護現場の環境を予測して、それに見合ったシステムを電気屋として考えてみたり。設計およびコンサルを生業とするわたしの原点は「基本構想のテーマを決めてから必要な情報やデータを収集し、数年先まで見据えたアイデアを模索する」スタイルにある気がします。
広がる活動と組織強化

こうして独自の手法で設計・コンサル業を推進していく中、1980年代前半のNHK連続テレビ小説『おしん』が日本中で大ヒットしている頃だったと思いますが、横浜市の松下電器(※現・パナソニック)の関連会社とわたしがアナログとデジタルの機能を融合したような管理システムを共同開発し、広島市内のマンションに1号機と2号機を納めたんです。このシステムが注目され、同管理システムは東京にも広がっていきました。ちょうどマイコンやコンピュータが話題になり始めた時期でもあり、デジタルの分野で活躍する人材としてNHKのテレビ番組に広島大学の教授と一緒に出演して、自分が手掛けた現場から生中継されるなんて経験もしましたね。また、同時期には東京で先行していたテレビの共聴ケーブルを利用したマンションの総合管理システムを西日本で初めて広島市内の複数のマンションに採用してみたり、我ながら時代に即応した新しい試みをよくやったものです。設計関係者は自分が手掛けた案件を“作品”と呼んでいますが、その後も広島市立矢野小学校の被爆55年記念事業の新設工事の設備設計を担当して表彰されるなど、小学校や高校の建築工事にも声がかかるようになり、作品の数は増えていきました。活動の場が広がっていったことから、さらなる飛躍を期すべく平成10年(1998年)9月、「株式会社アイ・シー・エム」に社名変更。組織を強化して、より一層、業務に励むことに。

社名変更に伴い、ロゴマークを一新し、業務案内に掲げたのは以下の通りです。
■広島を拠点に、確かな技術と実績 公共・商業施設の電気設備設計はICM。
当社は広島を拠点に住宅・商業施設・公共インフラなど幅広い分野で電気設備設計を手がけてまいりました。「暮らしに、光を」という企業理念のもと、快適で安心な電気環境を提供することを第一に、設計の品質と安全性、そして省エネルギー性能の向上に注力しています。経験豊富なスタッフとともに、設計段階から施工・保守まで一貫したサービスを提供し、お客様のニーズに合わせた最適なソリューションを実現します。地域社会に根ざした企業として、広島のまちづくりと暮らしの質向上に貢献することが私たちの使命です。電気設備設計のことなら、どうぞお気軽に株式会社アイ・シー・エムにご相談ください。お客様の期待を超える価値をお届けできるよう、これからも全力で取り組んでまいります
■サービス
① 設計
基本設計・詳細設計(省エネ設計、非常用電源設計、照明設計など)
② コンサルティング
省エネ対策、法規対応、運用改善によるランニングコスト削減の提案
③ 施工管理
工程管理・品質管理・安全管理を一括で実施し、確実な施工をサポート
④ BIM設計(3D)
高精度3D設計と干渉チェックで施工性を向上させ、工期短縮とコスト削減を実現
■選ばれる理由
〇豊富な公共・商業施設の設計実績(広島・全国)
〇コストと安全性を両立する実践的な提案力
〇BIMを活用した高精度設計による施工リスク低減
〇広島を拠点とした迅速な対応力
■現在に至る主な施工実績(2025年4月末時点)は、
〇江田島市 農業改善センター太陽光発電設備 実施設計業務
〇広島市 安芸区役所自家発電機設備更新工事 実施設計業務
〇広島市 国際会議場発電装置更新 実施設計業務
〇廿日市 廿日市スポーツセンター音響設備改修 実施設計業務
〇国土交通省 太田川河川事務所外6件照明設備改修設計 実施設計業務
〇広島市 平和記念資料館祈りの泉電気設備改修工事 実施設計業務
〇広島県 県庁舎本館中央監視設備更新工事ほか5件に伴う実施設計委託
〇広島県 県立広島病院北棟受変電設備新設その他工事に伴う実施設計業務
世代交代、そしていま思うこと

広島で起業して業績を重ねる間には、広島商工会議所はじめ、一般社団法人日本設備設計事務所連合会、一般社団法人広島県建築士事務所協会や、わたしが長い間、副会長を務めた一般社団法人広島県設備設計事務所協会などの業界団体にも所属し、沢山のご縁をいただきました。みなさんとの出会いや活動が現在のアイ・シー・エムの糧(かて)になっていることは言うまでもありません。業界でも古参となったわたしですが、流石にいつまでも現役というわけにもいかず、78歳を迎える平成30年(2018年)11月には長男の井村俊文に代表取締役のバトンを渡しました。長男は広島工業大学工学部土木工学科を卒業後、弊社に入社して一級建築士や設備設計一級建築士の資格を取得。他の設計事務所とはひと味違う弊社の強みを増やすなど、電気畑が専門の自分と両輪で会社をけん引してきてくれました。会長として退く自分の後任を安心して任せることができた次第です。

というわけで電工を皮切りに設計・コンサルへと電気の仕事に携わって、あっという間に70年(※2026年現在)が経ちました。鉱石ラジオ好きだった少年時代のわたしの夢は無線通信士になることだったんですよ。中耳炎を患って聴覚に難があったので諦めて、家庭の事情でこの道へ進んだことが自分の人生の分岐点になったのかな。今回改めて自分が歩んで来た足跡を振り返ってみると、紆余曲折の一言では言い表せない色んな出来事がありましたが、自らの思いを形にできる仕事が実に楽しく、充実した日々でした。ちなみに人生の大半を電気設備と向き合い、快適で安心な電気環境を提供する使命を果たす上で、昔からわたしが信条としてきたのが「優先すべきは、お金よりロマン!」です。ビジネスでは利益や損得が何より重要視されますが、同じ取り組むなら夢やロマンを抱いて仕事に対峙する方がやる気も生まれます。そしてもう一つ、ある書道家の方にいただいた色紙に書かれ、わたしが長年、座右の銘として心に刻んできた言葉をご紹介します。「金を失うことは小の損失。信用を失うことは大の損失。自信を失うことはすべての損失」。人生の先輩として、次代を担う若い人たちには、この心掛けで自分の道を切り開いて欲しい。被爆を体験し、昭和~平成~令和の時代に自分のできること、やりたいことに全力投球してきた“広島人・井村紀昭”の生き方が、みなさんの日々の元気につながれば幸いです。

《井村紀昭(いむら のりあき)PROFILE》

株式会社アイ・シー・エム会長。昭和15年(1940年)12月21日、広島市西区出身。
広島市立祇園中学校卒業後、広島市内の電気工事店に就職。電工として働きながら広島市立工業高校定時制電気科を卒業した後、上京。名古屋が本社の株式会社川瀬電気工業所東京支店に就職し、昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催を控え、建設ラッシュの東京や広島県大竹市・三井化学の現場で電気設備工事の管理部門を学ぶ。
昭和40年(1965年)広島に戻り、市内中区のヱビス電工株式会社に就職。国交省、建設省、防衛省の公共工事を担当してキャリアを積み、手腕が評価される。昭和50年(1975年)4月、電気設備の設計・コンサルタントを主業務とする井村設備設計事務所を創立。昭和55年(1980年)4月、組織を法人化し、株式会社アイ・シー・エム設備計画を設立、平成10年(1998年)9月、株式会社アイ・シー・エムに社名変更。ランドスケープを得意とし、県・国交省・地方自治体などの公共工事で施工実績を増やす。平成30年(2018年)11月、長男・井村俊文氏に代表取締役のバトンを託し、会長に退く。
【会社概要】
社 名 株式会社アイ・シー・エム
本社所在地 〒733-0021 広島県広島市西区上天満町2-16 BAUHOUSE 2F
TEL 082-296-5522 FAX 082-296-5757
創 業 昭和50年(1975年)4月
資本金 1000万円
事業内容 電気設備設計・コンサルティング・施工管理・BIM設計(3D)
事務所登録 一級建築士事務所 広島県知事登録 23(1)3118
設備設計一級建築士 第2174 号
従業員 6名
有資格者 設備設計一級建築士 1名 建築設備士 2名 1級電気工事施工管理技士 5名
加入団体
一般社団法人日本設備設計事務所連合会
一般社団法人広島県建築士事務所協会
一般社団法人広島県設備設計事務所協会
広島商工会議所
主取引先 広島県・広島市・他市町
〇ホームページ https://kk-icm.com/

