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Vol.8 平和と暮らし、福祉を良くしたい!広島県議会議員・河村ひろ子さん

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コロナ禍で世界中が混とんとする中、広島を舞台に目標や夢を掲げて頑張っている人がいます。様々な分野で活躍する“時の人”のインタビューをどうぞ!

福山市議会議員を3期11年務めた後、広島県議会議員になられた河村ひろ子さん(福山市、会派・日本共産党広島県議会議員団)。介護の仕事に17年間従事された経験を活かして、福祉政策を中心に様々な活動に取り組まれています。被爆地・広島の県議として、平和と暮らしを守るために県内を飛び回る河村県議にお話を伺いました。

初めに、プロフィールをお聞かせください。

1974年に福山市で生まれました。現在は、夫、息子、娘の4人で暮らしています。私が生まれた当時、母は働いていましたが、父が大学院生だったので、金銭的な余裕がなく苦しい生活を送っていたようです。小さい頃は、男の子の手を噛んで逃げたり、友だちと下駄箱までかけっこをしたら転んで怪我をしたりと、かなりやんちゃな子でしたね(笑)。高校時代には、母に負担をかけたくなかったので自分でお弁当を作って通学し、部活のない日には友だちの弟の家庭教師兼遊び相手役をする日々を送っていました。

議員になられる前は介護職に就いていたと伺いました。

介護現場には通算17年間いたんですが、介護職を選んだのには幼少期の経験が関係していて。小学生の時、近所に住む友だちが母親を亡くし、父親との生活が厳しいとの理由で施設への引越しを余儀なくされました。私は友だちと離ればなれになる事態にショックを受けたと同時に、「親がいない子どものための施設で働きたい」との思いに駆られ、福祉の仕事に興味を抱くようになります。中学生へと年齢を重ねると、大好きだった祖父が入院し、寝たきりの体に無数の管が繋がれた姿を見て泣いてしまった出来事も介護職への思いを加速させたと思います。こうした思いを胸に、高校卒業後には、日本福祉大学中央福祉専門学校に進学。専門学校を卒業してからは、福山市の特別養護老人ホームに就職、その後、2011年夏頃まで「社会福祉法人 備後の里」で働きました。

介護職からなぜ議員に?

実を言うと、自分は議員にはならないと思っていたんです。父・辻恒雄は福山市議会議員を2期7年、広島県議会議員を7期28年務めたのですが、私が中学1年生の時に父にとって初めての選挙がありました。その際に私は近所の一部の人から無視をされ、「政治ってこういう世界なんだ…」と子どもながらに傷ついた過去がありましたし、大人になってからも、私にできる政治へのアプローチは、一党員・一介護職員として住民の要望を集める活動だと思っていたので、自分は政治家にはならないだろうと。でも、一生懸命に活動をする分目立つというか、立候補を打診される側になってしまうんですよね。まだ子どもが小さい頃に福山市議会議員選挙への立候補を打診され、「要請の声が掛かる対象になっているのか」と認識が変わったのをよく覚えています。その後も福祉制度の矛盾を感じながらケアマネージャーとして介護現場に従事していたのですが、2011年に転機が訪れました。当時福山市議を務めていた式部昌子さんの後任として市議選に立候補するよう、党の福山市議団から「介護現場で政治問題に取り組む方法もあるが、本物の政治の場で取り組んでみてほしい」と改めて要請を受けたんです。

これは悩みましたね。親が政治家だと子どもに多大なる影響を与えることを身をもって体験しているわけですから。父はよく遊んでくれる人でしたが、議員になってからは家族団らんの時間が減って寂しい思いをしましたし、父を誇らしく思う反面、学校行事に来賓として訪れた姿を見た友人から「お父さん来てるね」と言われて複雑な気持ちになったこともあったので、私も子どもに何か嫌な思いをさせるのではないかと不安が渦巻いていました。頭を抱えた私は、当時小学4年生の息子に「市議会議員にならないかっていう話があるんだけど、一緒にいられる時間が少なくなるかもしれなくて今悩んでるんだよ」と相談すると、息子はただ一言、「いいじゃん。お母さんが正しいって思うんだったら、やったらいいじゃん」と言ってくれたんですよ。息子の言葉には本当に背中を押されましたね。立候補の決心がついた私は人生初の選挙に臨むこととなりました。

初めての選挙は大変だったのでは?

これまでは立候補した父の娘として、また、一党員として選挙活動に携わってきましたが、初めて選挙の“張本人”となるわけです。当然、周りから注目されますし、いろいろと考え過ぎて眩暈を起こすほどでした。公の人間となり、演説内容や立ち居振る舞いも “本人”として見られるというプレッシャーは正直しんどかったですね。

市議時代にはどのような政策を?

いろいろな問題に取り組みましたが、前職の経験から、特に介護問題には自然と力が入りました。介護保険料の引き上げをストップすることができた際には、担当課長が「やりました!今回は保険料を上げないことにしましたよ!」と嬉しそうに報告してくれたのを鮮明に覚えています。また、私が議員になる前から先輩議員が取り組まれていたことではあるのですが、福山市全ての中学校の学校給食を実現でき、温かくておいしい栄養バランスの取れた給食を生徒が食べられるようになったんですよ。

そして、福山市の全中学校へのエアコン設置も実現できました。市議の傍ら、息子が通う中学校のPTA会長をしていた際、「署名を集めればエアコンを設置できるの?」という声をもらったのをきっかけに、保護者を含む町内の人々に署名の呼び掛けを始めてみたんです。加えて、町全体のPTA会長が集まる場でこの取組みを周知すると他校も協力してくれる運びとなり、16,000筆もの署名を集めた結果、エアコンの完備にたどり着けました。これは本当に嬉しかったですね。

市議としてご活躍される中で、なぜ広島県議会議員になられたのですか?

父の引退に伴い、党中央委員会や広島県委員会から後任として立候補するよう打診があったからです。私としては市議を続けねばと思っていたし、父の後任となるとまさに地盤を引き継ぐため、“親の七光り”、“二世議員”と周りから言われるのが本当に嫌でした。市議として公約を掲げていたのに県議に挑戦するのはどうかと思いましたし、私が市議団を抜けることで会派要件を満たさなくなってしまうのも気にかかりましたが、中央からは「広島県の課題を議会に届けるためにも、28年間続いた唯一の議席は死守しなければならない」との要請が。別の人をこちらからも推薦はしてみましたが、即戦力として第一線で論戦を繰り広げていく重要性などについて説得されました。悩みましたが、市議団の仲間も納得してくれ、私自身も「反戦平和を掲げる日本共産党の議席を被爆地・広島からなくすことはできない。広島県のみならず、日本の平和問題に影響を与える大切な議席は絶対に死守しなければ!」という思いが芽生えました。

市議選との違いはありましたか?

県議選では何よりも、「市民にとって県政が遠い」ということを痛感しました。総選挙などで露出の多い国会や、自身の生活に密接している市区町村の議会は自分事として捉えられると思いますが、県政が自分たちの暮らしにどのように繋がっているのか県民には見えにくい。当然、県議選への反応も薄かったです。こうした状況下において、県政や公約、市民への影響などについて語ることにはひとひねりもふたひねりも必要でした。新たな挑戦というか、難しかったですね。

そして、広島県議会議員になられたと。手応えはいかがですか?

国民健康保険料の引き下げや中小企業支援、「こども医療費助成制度」の拡充、教育費の負担軽減などに取り組んでいます。県全体の課題に取りかかるようになり、府中市の有害鳥獣被害対策のほか、三原市の産廃処分場問題や東広島市のPFAS問題など活動の幅・深さ共に広がり、これまで関わってこなかった県民の声を聞けるようになったのは財産ですね。手応えとしては、県立高等学校の統廃合に関する基準を変更させることができました。統廃合が予定される学校の地域住民との活動や議会での論戦の結果、基準を変えることができ、地元の皆さんから喜びの声を頂けた時は嬉しさも達成感もひとしおでした。

また、国政に大きく踏み込んでいく感覚を味わう機会も多くなり、国政を変えなければ県政が抱える課題を解決できないと気付けましたし、利権に忖度することなく県民の立場で追及していくのが私たちの役割だと日々感じています。一方で、人数の少ない会派の場合、議会運営委員会や代表者会議に出席できないという閉鎖的な議会制度に矛盾を感じているのも事実です。そして、近年は国や県の政策を市に権限移譲する事例が増えていることに加えて、市議から県議となり、福山市民との接点が少し遠ざかってしまって寂しく感じる部分もあり…でも、広域行政を担うのが県政・県議の役目。県全体の水準を上げるため、より多くの自治体の課題を解決していくのが私の果たすべき責務だと思い、新しい出会いにワクワクしながら使命感に燃えてがんばっています!

最後に、広島県に対する今後の意気込みをお聞かせください!

県議一期目の折り返し地点を迎えました。「こども医療費」の無償化、介護職を含むケア労働者の処遇改善などに取り組んでいき、戦争のない平和な暮らしを守るための議論ができる県議会にしていきたい。「生きていてよかった!」と思える人生にするために公共の果たす役割は大きいです。広島県に住む皆さんが生きていてよかったと思える社会をつくっていきたいので、一人一人を大切にし、平和と暮らしを支える政策を一つでも多く実現できるよう粘り強く頑張っていきます!

プロフィール

河村ひろ子

1974年、広島県福山市生まれ。
広島県議会議員(福山市、会派・日本共産党広島県議会議員団)

【事務所概要】
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