【close-up 】
Vol.4 雑穀と有機野菜の日替わり弁当を届ける!NPO法人「よもぎのアトリエ」理事長・室本けい子さん

【close-up 】


コロナ禍で世界中が混とんとする中、広島を舞台に目標や夢を掲げて頑張っている人がいます。様々な分野で活躍する“時の人”のインタビューをどうぞ!

“ヘルシーライフはお薬よりもお食事で”をモットーに、広島市安佐北区において地域の人々に配食サービスを行うNPO法人「よもぎのアトリエ」。今回は、理事長・室本けい子さんのお弁当へのこだわりや施設の設立秘話などについて聞いてみました。

初めに、室本さんのプロフィールをお聞かせください。

1953年に鹿児島県鹿屋市で生まれ、熊本県や大分県で育った後、大学進学を機に広島に来ました。広島大学に進学する際、自衛隊員で頑固な性格の父から「女が大学に行く必要はないし、県外で一人暮らしだなんてとんでもない!」と猛反対されましたが、姉の説得もあり、私は広島と縁を持つことができました。学生時代、転校生いじめに遭っていたことから、知り合いのいない新境地での生活は不安でいっぱいでしたが、見ず知らずの自分でも親しげに話しかけてきてくれる広島人の心の温かさに惚れ、一瞬で広島が大好きになったことは今でも忘れられません。

実は私、大学生時代に学生結婚をしているんです。当時は南こうせつさんの「神田川」が流行った影響で同棲がブームになっていたこともあり、お付き合いしていた夫は私に同棲の話を切り出し、頑固な父のもとへと直談判に行ってくれました。当然、父は「順番が違う!同棲は結婚してからだ!」と許しませんでしたが、なんと夫はその場で結婚宣言をしたんです。あの時は本当にびっくりしましたね。その後、私が先に大学を卒業して、広島で幼稚園の先生をしていましたが、医者を目指していた夫から「必ず国家試験に受かるから仕事をやめてほしい」と説得され、専業主婦になって4人の子供を育ててきました。

専業主婦の室本さんが「よもぎのアトリエ」を設立した経緯は?

「よもぎのアトリエ」の設立には、障がいを持っている次女が関わっています。次女は18歳の時に障がい者の職業訓練校に通いました。障がい者差別を受けたこともあり、私は、いろいろな課題を抱えていて通常の就業が難しい人々の職場を作るためにも、“これはもう自分たちで働ける場を作るしかない”と決心し、1998年、NPO法人を目指すお弁当屋として、「よもぎのアトリエ」を設立しました。

新たな挑戦に取り組む私を見た両親は「どうしてそんなに大変なことを始めるのか…」と心配していましたが、娘も含め、障がいを持っている人、介護や母子家庭で苦労している人など、「普通に働けない人たちの職場を作りたい」という一心でがむしゃらに突き進みました。設立当時はNPO法の制定や介護保険制度が開始された頃で、ボランティア活動が盛んになってきた時代でしたが、まだまだボランティアの方への保障が整備されていなかったので「何としてでもアトリエを法人化させ、手伝ってくれる人たちへの保障を万全にしたい」という思いがありました。ひたむきに走り続けた甲斐もあり、設立から2年半後、「よもぎのアトリエ」は広島市安佐北区で初のNPO法人となりました。

施設の名前の由来は?

1986年にウクライナで起きた「チェルノブイリ原子力発電所」の事故に由来しています。悲惨な状況を見て、「私は未来の見えない子たちを産んでしまったのか?何かできることはないだろうか?」と思い悩みました。悩んだ末、私は、「食べることができて薬にもなるヨモギは、除草剤にも負けずにがんばっている。そんなヨモギのように行動しよう」という願い、そして、“チェルノブイリ”の日本語訳とされる“ニガヨモギ”を掛け合わせて、「ヨモッグの会」という団体を立ち上げたり、平和運動を始めたりしました。その意志を受け継いだのが、「よもぎのアトリエ」です。

ふだんは、どのような活動をしておられますか?

「よもぎのアトリエ」は、障がい者・高齢者・環境関連の問題に取り組む「就労継続支援B型作業所 龍馬ファーム」(以下「龍馬ファーム」)という事業を展開しており、メインの活動はお弁当の配食サービスです。アトリエには、娘のように普通の就職が叶わない人々が通っていて、お弁当作りの手伝いや内職を行っています。設立当初はたった6人でのスタートでしたが、現在では、職員3人、支援員(パートスタッフ)12人、「龍馬ファーム」の利用者さん約20人という大所帯となっています。

毎日のお弁当作りのスケジュールは?

辺りもまだ暗い午前5時、私、次女、支援員2人、「龍馬ファーム」の利用者さん2人の6人でスタートし、8時30分過ぎから他の支援員も加わります。お弁当は大体10時過ぎに完成するのですが、この頃にはアトリエの利用者さんが訪れ始めるので、皆さんと一緒にお弁当の配達に向かいます。また、昼食だけでなく夕食の配達も行っているので、午後1時からは夕食作りを開始し、2時30分頃から夕食の配達に向かうという忙しい毎日です。

お弁当作りの様子を拝見したところ、かなりこだわりがあるように感じましたが。

お弁当の具材には人一倍こだわりがありますよ!主食には、玄米、五分搗き米、三次市君田町から届く無農薬有機栽培米を使い、ミネラルや食物繊維が豊富な高きびなどの雑穀をおかずに使用しています。野菜ひとつをとっても、身はもちろんのこと、それ以上に栄養豊富な葉・皮を余すことなく使い、「皆様がまめ(達者)でありますように」という思いを込めて豆も入れます。このほか微生物の働きに注目し、チーズなどの発酵食品を必ず織り交ぜたり、味噌、海藻、きのこなども入れるようにしています。

食材へのこだわりはもちろんですが、それだけでは終わらないのが「よもぎのアトリエ」です。お弁当箱の洗浄には、次亜塩素酸ソーダやフマール酸素を一切使用せず、手作り廃油石鹸と酵素殺菌を行うことで地球環境にも配慮しています。

なるほど。さて、室本さんが食材にこだわるようになったきっかけは?

食へのこだわりは、私の子育ての歴史と深く関係しています。次女は発達遅延で筋力もなく、言語の習得や歩けるようになるまでにかなりの時間を要しましたし、他の子供たちはアレルギーを持っていて子育てには苦労しました。私が子育てに奮闘していた当時はタンパク質がかなり重視されていた時代で、完全栄養食としては卵が有名でした。その影響を受けて、卵を食事に取り入れるようにしたんですが、長女が卵アレルギーを発症してしまいました。以降、卵アレルギー対策のため、玄米食や無農薬野菜、大豆を中心とした食事療法に取り組んで、大豆にすがったのも束の間、今度は3番目の子が大豆アレルギーを発症します。そこからはもう、大豆抜きの食事のために醤油や味噌を取り寄せるなどアレルギー対策万全の食事に躍起になりました。ここまでくると、「4番目の子には完ぺきな食事を!」という思いが強くなり、牛乳・卵・大豆抜きの食事療法に一層力を入れました。

そんなある日のことです。今まで散々、食事制限をかけられてきた4番目の子がチョコレートを食べる一幕があったんです。生まれて初めてチョコを口にした娘が見せた「世の中にはこんなにもおいしいものがあるのか⁉」と衝撃を受けている表情は今でも忘れられません。しかし、家系なのでしょうか、かわいそうなことに4番目の子もアレルギーを発症してしまいました。

子育てをしながら、命の大切さや人間のすごさ、食べることの大切さを学んだことから、「よもぎのアトリエ」は“ヘルシーライフはお薬よりもお食事で”をモットーにして食材にこだわるようになりました。大変な思いをしてきた分、「子育てで培ったノウハウを活かしたお弁当を届けたい」と思ったことが食材にこだわり始めたきっかけです。

室本さんのこだわりがいっぱい詰まったお弁当を食べた人の反応は?

地域の人々からは「いつの間にか血液検査の結果が良くなった」という声をよく聞きます。また、地域の人だけなく、三育幼稚園、三育小学校、己斐緑幼稚園の子供たちにもお弁当を届けています。お弁当には野菜をたくさん使用していることもあり、届け始めた当初は、私たちがショックを受けるほど、中身が残ったお弁当が返ってきていました。でも不思議なことに、1年も経つと子供たちは野菜ばかりのお弁当を食べてくれるようになったんです。幼稚園児が酢の物を食べたり、辣韭を食べたりする姿を想像すると本当に嬉しいですし、幼い子が大人のおつまみのような食事をしているのは渋いですよね。ちなみに、幼稚園児に一番人気のメニューは“高野豆腐のチーズはさみフライ”です。

こだわりのお弁当でフードロス問題や就労問題に取り組む「よもぎのアトリエ」の理念は?

「自由発意・自由合意 能力に応じて働き、必要に応じて分配する」という理念があります。これは平和運動の場で出会った原爆詩人・栗原貞子さんが教えてくれたマルクスの言葉です。「みんなが平等で自由に発言でき、誰の意見も納得して妥協点を見つける」という意味が込められており、職員・支援員・利用者さんが分け隔てなく、それぞれの得意分野を活かして作業に取り組み、苦手なことは助け合える場所作りを目指しています。

今日まで活動を続けてきた中でのご苦労は?

理念を守り抜くことですね。人間、やっぱり安いものに目がいき、他と比較してしまう生き物だと思います。君田町から仕入れた野菜を安く提供する私の姿を見た人の中には、「室本さんは損しているんじゃないの?」と言う人もいます。“費用対効果の物差し”や“お金の物差し”に毒されている世の中を感じますよね。でも、「何のために人は生きているのか」と考えると、何かとの比較ではなく、「自分が幸せになるため」なんです。こうした世の中で理念を貫いて活動することが大変かな。

「よもぎのアトリエ」の今後の展望をお聞かせください。

今後は、地域の人々や「龍馬ファーム」の利用者さん、一人でいる人たちが一緒に過ごせる場所・空間を作りたいと考えています。ひと昔前は、ご近所の家族付き合いは当たり前でしたが、今の時代は地域でのお付き合いが希薄になっています。私は、“地域まるごと大家族”と思っているので、自分たちの活動を通して人間らしく生きていける居場所を作りたいですし、一人でいる人たちの終の住まいを提供していきたい、という思いも強いです。それと同時に、私の終の住処となった平和都市広島やアトリエの名前にも関係しているように、子供や孫たちみんなが笑って過ごせる核や原発のない世の中になってほしいと願っています。そして、障がいを持っている人たちのためにも、「よもぎのアトリエ」や私が居場所を作っていく役割を果たせれば、嬉しいですね。

プロフィール

室本けい子(むろもとけいこ)
1953年、鹿児島県鹿屋市生まれ。
NPO法人「よもぎのアトリエ」(https://www.yomoginoatorie.com/)理事長。

Hiroshima Personの最新情報をチェックしよう!