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Vol.3 「TikTok LIVE」出演のため広島に緊急凱旋 株主優待投資家の桐谷広人さんインタビュー!

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コロナ禍で世界中が混とんとする中、広島を舞台に目標や夢を掲げて頑張っている人がいます。様々な分野で活躍する“時の人”のインタビューをどうぞ!

元プロ棋士、株主優待券の生活で有名な広島県出身の桐谷広人さん。そんな桐谷さんが故郷に緊急凱旋し、TikTokが広島で開催した「Local Love TikTok LIVE」in 広島に出演しました。今回は、桐谷さんのこれまでの人生や地元広島への思いについて聞いてみました。

広島出身の桐谷さんですが、どのような学生時代だったのですか?

私は、竹原市の出身で、小中高の学生時代を竹原で過ごしました。幼い頃には、年に一度か二度、「福屋八丁堀店」屋上の遊園地に両親に連れて行ってもらいました。広島までの道のりは、蒸気機関車で片道2時間半もかかる長旅でしたが、竹原に住む幼い私にとって一番の楽しみでした。

竹原の町で過ごす中学校2年生の時、転機が訪れました。お昼休みの時間、クラスメートが肩を骨折するアクシデントが起きたんです。当時、私はクラスの管理委員を務めていたこともあって、そのクラスメートの付き添いとして接骨院に一緒に行きました。治療を待つ間、接骨院の待合室にいる大人や院長先生が将棋を指していたのが目に入ったので、私も一緒に将棋を指しました。将棋のルールこそ知ってはいたものの、経験は浅かったのですが、大人たちといい勝負をすることができて、そこから将棋が好きになりました。

中学校3年生になると、広島市まで遠征して将棋大会に参加するようになり、高校生にあがると、広島市役所の近くにあった〝将棋クラブ〟の大人たちと将棋を指すために電車に乗って広島まで何度か通いました。

高校卒業後、東京へ?

高校を卒業すると、当時、将棋界で人気ナンバーワンだった升田幸三名人の門下になりたく思い、プロ棋士養成機関に入るために上京しました。養成機関の試験に合格はできましたが、「21歳の誕生日までに初段にならなければクビ」というハードルが待ち受けていました。

養成機関に入った段階ではプロの卵である4級なのですが、20歳の誕生日を迎えた頃の私は未だ2級。残り一年間で、1級、初段とクリアしなければならなかったので、正直、初段になるのは無理かなと思っていました。しかし、奇跡的に勝利を重ねて、21歳の誕生日を迎えるまでに晴れて初段になることができました。プロになった後は苦しい生活が続いていましたが、25歳で4段となり、月給をもらえるようになってからは生活が安定してきました。

桐谷さんのプロ棋士人生が始まるわけですね。

プロ棋士になると、将棋の講師をする権利を得ることができます。私も講師としていろいろなところに行ったのですが、そのうちの一つに、証券会社が集まる団体の将棋部がありました。ここは毎日100人以上の証券マンが将棋を指しているところで、自分は20年以上の間、師範として毎月一回将棋を教えていました。

本来、私は臆病な性格なものですから、「証券マンはギャンブラー⁉」、「株はギャンブル!」と思っていたので、その団体で師範を務め始めた頃には、株に手を出していませんでした。師範を務めて5年が経ったある日、住んでいた街に証券会社の支店長が転勤してきました。この方は大の将棋ファンということで、「挨拶をしたい」と電話をくれ、私はその証券会社に赴くようになりました。証券会社に行くと、いつもお茶菓子などを頂いていたのですが、1~2か月の間、ごちそうになり続けていたので、「証券会社に何か利益を与えないといけないな」と感じ始めました。そこで、「株を売っているのならば、株を一つ買おう」と思ったのです。こうして私は株と出会うこととなりました。

そこから桐谷さんの優待生活が始まったのですか?

私が株を購入した話が団体の将棋部内で広まって、他の証券マンからも自社の株を買うよう声が掛かったので更に購入しました。当時はバブルだったこともあってすごく儲かりました。永久に儲かり続けるのではないかと思っていましたが、バブル崩壊で一気に大金をスッてしまったんですよね。バブル崩壊後の少し落ち着いた頃、何となく、また株をやりたくなったので再開すると、また少しずつ儲けていきました。しかし、今度は山一証券が倒産するという金融危機が起こります。その後、日本株が回復してきたこともあって、これまでの損を回復していきました。すると、今度はリーマンショックです。またまた大損をしてしまいました。

正直、老後をどうしようと思っていましたが、それでも優待株は持っていたので、株主優待品だけの生活を始めました。これが優待生活の始まりです。今では、優待では賄えない賃貸マンションの家賃と公共料金のみ、株の配当金で支払っていて、それ以外の服や持ち物は全て優待です。働かなくても優待で暮らせています。

ところで、優待生活で有名になったきっかけはなんですか?

株で失敗はしたのですが、実は、山一証券の倒産は、私のテレビ出演が増えるきっかけとなっています。あるテレビ番組に出演した際、私は台本を無視して、山一証券の倒産で紙切れと化した株券を見せながら話したら、私のその姿がMCのお笑い芸人の方に大変ウケたようで、「こんなに面白い素人は初めて」と言ってくださって。これを皮切りに当時のお昼の有名番組に出演させてもらえましたし、その姿が夜のバラエティ番組のスタッフさんの目に留まり、出演して色々な方に知っていただくことができました。

テレビで大人気の桐谷さんが、TikTokに関わるようになったきっかけは?

私の友人に、山口かおるという歌手がいます。2~3年前に、彼女がテレビのクイズ番組に出場するとのことで、番組の応援に来るよう私に声が掛かりました。でも、彼女は予選で敗退してしまいました。本選に出場できないのでは応援にも行けないということで、山口さんと芸能レポーターの友人の3人で赤坂に集まって彼女の残念会を開きました。

残念会が進む中、私は山口さんから、彼女が作詞作曲をした「牡蠣のうた」という歌に合わせて踊るように言われたんです。この時の様子をTikTokに投稿すると、TikTokさんから連絡があり、これまでに2回、TikTok LIVEを行いました。このLIVEが好評だったのか、今回の広島でのTikTok LIVEにも出演することとなりました。

山口さんの無茶ぶりから、ここまで人気が出たとは知りませんでした。地元広島でのLIVE出演が決定した際にはどのように感じられましたか?

故郷での開催ということで引き受けたところはあって、広島以外でのLIVEであれば出演しなかったと思います。この数年間、講演で数回は広島に帰って来ましたが、最近は新型コロナウイルスの影響でなかなか帰ってくることができなかったので、今回のLIVEで広島に帰れるのはいいなと感じました。

私は広島に帰ってきてお好み焼きを食べることが楽しみなんです。東京でも冷凍の広島お好み焼きを優待で頂いていますが、やっぱり広島に帰ってきて鉄板で食べるお好み焼きが美味しいですよね。それで引き受けたというのもありますね。

地元広島に対する思いはありますか?

広島県内には、地元に本社を構える上場企業が40社以上もあって、良い優待をしている企業が多いです。こうした企業にはもっと発展してもらいたいですし、広島に住んでいる人にはどんどん株主になってもらいたいです。日本人は、株はギャンブルのようで怖いと思っている人が多いと思います。そうではなくて、地元の企業を応援することが自分のためにもなり企業のためにもなる、そして、広島県のためにもなるということを知っていただき、余っているお金があれば県内の企業の株主になってもらって、広島県にはもっともっと発展してもらいたいです。

株の銘柄を狙って買って値上がりするか?は分からないですが、優待株の場合は一年に1~2回は必ず優待が届くので、優待を頂いて人生を楽しむのもよいのではないかと思います。私の場合も、食事券や地元の名産品、カタログ、いろいろな優待を頂いて生活していますから。余っているお金がある人は、良い優待のある株への投資を心掛けていただきたいというのが私の意見ですね。

最後に、今回のLIVEの注目ポイントをお聞かせください。

今回のLIVEで「いいね」、「コメント」、「ギフティング」の総数が10万を超えると、TikTokさんから広島県が所管する広島版「学びの変革」推進寄附金に100万円の寄付があるようなので、広島県のためにも何とかクリアできるようにしたいと思います。みなさん、ご協力のほど、よろしくお願いします!

※最終的に、「いいね」だけで190万以上となり、無事寄付が実行されることとなりました。

【情報告知】

桐谷さんが6月10日(土)20時から出演した「Local Love TikTok LIVE」in 広島は、6月24日(土)20時から以下、桐谷さんのTikTokアカウントにて再配信される予定です。

https://snssdk1180.onelink.me/BAuo/paypje98

●プロフィール

桐谷広人(きりたにひろと)
1949年広島県竹原市出身。元プロ棋士で投資家。

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