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Vol.6 広島県政をもっと身近に!広島県議会議員・山形しのぶさん

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コロナ禍で世界中が混とんとする中、広島を舞台に目標や夢を掲げて頑張っている人がいます。様々な分野で活躍する“時の人”のインタビューをどうぞ!

「私の議員としての強みは超一般人であること」と話す広島県議会議員の山形しのぶさん(安佐北区、会派・自由民主党広島県議会議員連盟)。“政治を人任せにするのは違う”と感じ、政治の世界に進まれたそうです。3人の子育てに奮闘する山形議員の議員生活や、これまでの暮らし、目指す広島県像などについて聞いてみました。

初めに、プロフィールをお聞かせください。

1973年、広島県広島市安佐北区で生まれ、学生時代も同区で育ちました。今と変わらず活発な子どもで、小学校の時には水泳とバレーボール、中学校から大学まではバスケットボールに熱中していました。

大学卒業後は、教員採用試験が難関だったため、臨時採用でしたが、中学校社会科の教員を約10年間務めました。教師という仕事は大変です。ただ、99パーセントを占めていても、残り1パーセントで逆転できるというか、行事に成功した時の子どもの顔は最高に輝いていますし、卒業式は私にとってご褒美のようなものでした。

余談ですが、教師時代のエピソードが一つあります。廿日市市で教員をしていた頃、生徒を連れて廿日市市議会の傍聴に行きました。議長が「今日は中学校の皆さんが来ています」と発言してくれたんですが、当時の私は議会や傍聴のシステムを何も知らず、生徒に向かって「みんな、立って手を振ろうや!」とやってはいけないことをしてしまいました。今ではいい思い出です(笑)。その後、学校では、本番さながら議会の氏名標を作成した模擬議会の授業を行い、議員さんにも参加してもらいました。

長男の出産後には、司会業に転職し、今も続けています。学校現場が嫌いで転職したわけではなく、「私には戻ることができる場所がある!」と思い、憧れだった司会業の道を歩み始めました。元々やってみたいという思いがあったので、就職したいタイミングですぐに行動に移せるよう、教員生活を送る傍ら、アナウンススクールに通っていたんです。教員時代、午後8時頃に帰宅できる貴重なタイミングを狙って通っていましたが、思い返してみると激務でしたね。転職後には、結婚式場で偶然私を見かけた教え子から司会の依頼を受けることもあり、これまでに教え子の式の司会を20回以上担当してきました。親御さんが喜んでくれたり、ゲストにも教え子がいたりするので、プチ同窓会みたいで嬉しくなりますね。

ちなみに、私には高校二年生の長男、中学校三年生の次男、小学校五年生の長女の3人の子どもがいます。次男は安芸高田市にある野球のクラブチームに入っていて送迎が大変ですし、長女が入っているバスケットボールチームでは、毎週火曜日・木曜日の夕方に指導をするという忙しい日々ですが、“体力おばけ”の私にとっては全然平気なんです。

夢の司会業から政治の道に進んだきっかけは?

「千代田中学校」(広島県山県郡北広島町)に勤務していた時に主人と出会い、結婚を機に、主人の地元である北広島町に移住しました。同校に勤務していた頃から「なぜ、北広島町には父子家庭が多いの?」と不思議に思っていたことや、当時北広島町に女性議員がいなかったことも相まって、子育て世代や女性の思いを伝えることができる機会が増えれば、この町はもっと良くなるのではないかと感じていました。「誰かが選挙に出て、代わりに思いを伝えてほしい」と心の中で思っていたのですが、ふと、「人任せにするのは違うかも」という考えが芽生え、自分が選挙に挑戦しようという気持ちに変わったんです。

北広島町では、他の地域から来た女性が選挙に出るという前例がなく、ましてや突然の決断ですから、主人や家族はもちろん大反対。話し合いを重ねていき、最終的に主人から「選挙はどうしたい?今日決めよう」と聞かれたのですが、話の最中で「絶対に出る!」と伝えたほど私の意志は固かったです。私の返事を受けた主人は「今日から俺は応援に回る!」と心強い返事をくれました。

初の選挙で大変だったことは?

直前まで別の仕事をしていたので、選挙活動のための事務所や車は当然ありません。私と主人の二人は、「本人です」と記載した旗を持って自転車で地域を回るところから始めました。ママ友がSNSで活動の様子を発信してくれたのですが、当時、SNSで選挙関連の情報をアップしている候補者が他にはおらず、自転車で活動する人もいなかったので、ある意味、北広島町では斬新な選挙運動だったのかなと思います。

初めての選挙は、大変というよりは楽しかったですね。司会の仕事や選挙ウグイス嬢の経験から選挙に関する知識があったことも大きいと思います。一方、選挙に携わった経験のない夫は丸一日ダウンしていた日もありましたが、「自転車で走っていると、多くの人たちが車から手を振ってくれて嬉しくなった」と言っていましたよ。結果的には、トップと5票差の2位で当選することができました。

北広島町議時代に取り組まれたことは?

父子家庭や子育て世代に関する政策に取り組んだほか、教員の経験を活かして、学校教育に関することにも取り組み、文教厚生委員会委員長と議会運営委員会委員長を務めました。町議になってからも、自転車での取組は変わらず、年に4回、自分で議会広報を作成して約1,000軒の家に配付して回りましたよ。

思い入れの強い北広島町議から、なぜ、広島県議会議員に?

町議時代に広島県議会議員のお誘いはあったのですが、私の取り組みたかったことは、北広島町をよりよい町にすることだったので、当初はお断りしていました。ただ、予算についていえば、北広島町だけで決められることではなく国や県の決定が関わってくるため、自分ができることに限界を感じ始め、「広島県議会議員になれば、今以上に思いや声を届けることができることができるかもしれない」と気持ちに変化が生じてきていました。

県議のお誘いを初めて頂いた時は北広島町からの挑戦だったのですが、二回目は安佐北区からの挑戦ということでした。数か月間、誰にも相談せずに一人で考え抜いた末、広島県議への挑戦を決意しました。県議選では自転車での選挙活動と並行して選挙カーも使用して、無事、広島県議に当選することができました。

県議になられて大変なことは?

個人的に最も驚愕したことは、政策の理解を深めるために開催される会派の勉強会が多いことです。県議になるまでは、ここまで頻繁に勉強会が行われるとは想像していませんでした。例えば、県議会の本会議開催中、午前の一般質問終了後のお昼休憩が午後零時から1時まであるとすれば、丸々休むことはまずなく、すぐに20分程度の勉強会が始まりますし、勉強会の後には幹事会もあるため、昼食をとっていない議員もいるはずです。また、本会議終了後にも様々な会合がありますし、県民からの要望を受けている際には、担当課の職員さんとお話をしたり、いろいろな人にお話を伺いに行ったりしています。

議会がない期間はどのような活動を?

住民の方々から要望の電話がかかってくることも多いので直接会いに行っているほか、県内外、国内外問わず、視察にも赴いています。あと、安佐北区のイベントに積極的に参加させてもらっているのですが、イベントに参加させてもらえることにはすごく意味があって。困りごとを解決できれば生活が安定するという思いから、住民には政治を身近に感じてもらいたいのですが、全く知らない議員には連絡しづらいはずです。仮にイベントで触れ合うことができていれば、「この間のイベントで話した議員だ!」と感じてもらうことができ、より相談しやすい空気感が醸成されると思いませんか?正直、自分が議員になるまでは、「議員がイベントに参加するのは選挙で票が欲しいだけでしょ?」と思っていた部分がありましたが、今では、相談してもらいやすくなる雰囲気を作ることができるイベントは本当に有難いなと思っています。

山形議員の政策についてお聞かせください。

選挙にあたり、次の7つを掲げました。

1.頼れる存在になりたい

2.災害対策・地域交通対策に取り組みます

3.教育の充実と心の充実を!

4.経済対策に取り組みます!

5.今こそ女性の思いを!子育て世代の思いを!

6.安心して働ける地域づくりを!

7.清潔な政治を!

「頼れる存在」というよりも「頼ってもいい存在」になりたいです。地域の人々は私よりも人生の大ベテランですから、「頼ってね」というよりは、何かあった時に頼ってもらえるようになりたいです。そのためにも、私は「県政をもっと身近に」をモットーにしていて。政治家と聞くと難しい印象を抱きがちですが、税金も道路も生活のあらゆる事象が政治に関わっていると理解してもらえれば、皆さんも政治について本気で考えられるでしょうし、頼ってもらいやすくなると思うんです。

少しでも県政に興味を持ってくれた人に対して政策を分かりやすく伝えていきたいところですが、「難しい話をするの?」となると壁ができてしまうので、普段触れ合う中で「今こんなことをやっているんだけどね」というように伝えていきたいです。また、議会についても、一度傍聴してみるとハードルが下がって身近に感じられる部分があるはずなので、「大人の社会見学はどう?」などとSNSで発信もしています。

元教師ならではの政策もありますね。

「3.教育の充実と心の充実を!」のため、入学式や運動会などの学校行事の際には、現場の先生方から「働き方改革」や「部活動の地域連携」等に関する意見を聞かせてもらっています。また、私の子供が小中高と各年代にいるので、教師目線だけではなく、幅広い年齢層の子どもたちから若い世代のリアルな声を聞かせてもらっています。

「5.今こそ女性の思いを!子育て世代の思いを!」についてですが、「ネウボラ」という言葉をご存じでしょうか?フィンランド語で「アドバイスの場」を意味し、妊娠・出産から子育て期まで、保健と子育て支援のサービスが一体となったワンストップによる切れ目のないサポート体制のことです。以前、友人から、発達障がいのお子さんがいらっしゃる方で、フィンランドに旅行に行かれたことのある子育て熱心な方を紹介していただきました。その方と話してみると、フィンランドに行かれたことはあっても「ネウボラ」については知らないという事実が判明し、「ネウボラ」を含む広島県における子育て支援に関する周知が不足していると痛感しました。「頼ってもらえる」にも共通することですが、子育て世代のサポートとなる制度を知ってもらうことができれば、我が県の子育て支援を促進させていくことができるのはないでしょうか。

広島県議会だけでなく、全国で女性議員が増えていることについてお聞かせください。

2023年に実施された広島県議会議員選挙において、県議会の女性議員の人数はそれまでの約2倍となりました。ただ、今でも女性の声が届きにくい部分はあると思うので、私は各種委員会に出席した際には、女性や子育て世代に関する質問を行うように心掛けています。こうした取組みを通じて、「山形議員のような考え方は今までなかった」、「思いをもっと伝えた方がいい」という声を聞くようになりました。

従来とは異なる目線で考えられるといいますか、最近増えてきた女性議員ならではの意見を取り入れてもらえると政策の幅も広がると思います。私の通らなかった意見ではありますが、一度、妊婦さんの歯科検診について質問したところ、ベテランの女性議員さんから「今までは、しのぶちゃんのようなことを考えていなかったから分かりやすかったよ」と言ってもらえた時は嬉しかったですね。実際に歯医者さんに話を聞きに行くと、歯医者さんとしても県の方針の方がベターという回答ではありましたが、別の視点もあるということを伝えることは重要だと思いますし、新たな視点を基に別の視点も生まれると思うんです。

最後に、今後の展望をお聞かせください。

綺麗な言葉かもしれませんが、一人一秒でいいから笑顔になれる時間が増えてほしいです。みんなの笑顔の時間が増えるってすごくないですか?笑えない時はどうしてもあるとは思いますが、みんなの笑える時間が少しでも増えると幸せな時間が波及し、住みやすい広島県になっていくのではないかと思います。

また、子ども連れの家庭を想像してみてください。「大変ですね」と声を掛けられている母親が浮かんでくるかもしれません。子どもはかわいいですし、大変ではない時もあると思うので、私は、子育てを大変な期間だと感じてしまうような県にはしたくないんです。私も過去に「かわいいね。今がいい時期じゃね」と言われた時には「この人、大変なのが分からんのんじゃ」とやさぐれていた時期もありましたが、同じ言葉一つをとっても、「そうなんです!今が楽しいんですよ!」と素直に言えるような世の中になってほしいし、そんな広島県にしていきたい。

これからも、県民の思いをしっかり受け止めて県へと伝え、県民によりよい広島県をお返ししていきたいです。

プロフィール

山形しのぶ(やまがたしのぶ)
1973年、広島県広島市生まれ。
広島県議会議員(安佐北区、会派・自由民主党広島県議会議員連盟)

【事務所概要】
●事務所名 山形しのぶ事務所
●所在地 〒731-0231 広島市安佐北区⻲⼭7丁⽬6-13
●連絡先 Tel (082)516-5128
◎公式サイト https://yamagata-shinobu.jp/
◎公式FB https://www.facebook.com/profile.php?id=100087253344679

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