球春到来! 2021年のプロ野球が開幕した。去年は世界中に新型コロナウィルスが蔓延し、日本のプロ野球は120試合制で交流戦なしとなった。6月19日(金)に無観客で公式戦が開幕、その後観客の人数制限をしながらの佐々岡カープ一年目は、52勝56敗12分 .481。首位に13ゲーム差の5位の結果だった。
悔しかった。チームも、もちろんファンも。そんな中できらりと光ったのが、一年目の森下暢仁投手だった。有効得票数313のうち303と圧倒的な支持を得て、セ・リーグの最優秀新人賞に輝いた。10勝3敗、防御率1.91は圧巻のリーグ2位の成績だった。
森下の活躍で、21年のシーズンに楽しみができた。チームの成績、優勝も当然期待するが、森下が何かやってくれるのではないか、楽しみになる。何かとは?2013年の田中将大(東北楽天イーグルス)のような活躍である。この年、田中は24勝0敗と無敗を記録した。セ・パ両リーグを通じて最高の投手に贈られる沢村賞の選考会は、わずか10分、満場一致で田中に決まった。田中にとっては、2011年に次いで二度目の受賞だった。
沢村賞は1947年から始まったもので、先発完投型のセ・リーグの投手を表彰するものだった。89年からは、セ・パ両リーグの投手が授賞対象になった。三度戦争に徴兵された悲運の名投手・沢村栄治を顕彰したものだ。選考基準は次の通り。
・登板試合数-25試合以上
・完投試合数-10試合以上
・勝利数-15勝以上
・勝率-6割以上
・投球回数-200イニング以上
・奪三振-150個以上
・防御率-2.50以下
2018年より補足として、投球回数7回で3失点以内の試合が占める率というのができた。メジャーで言うクオリティースタートより、1イニング長い。もちろん、全項目クリアしなくても受賞はできるが、投手が分業制になった現在、この選考基準に複数項目届く成績を上げるのは、限りなく難しい。カープから沢村賞を受賞した投手は、7人。延べ9回ある。外木場義郎(1975年)、池谷公二郎(1976年)、北別府学(1982年・1986年)、大野豊(1988年)、佐々岡真司(1991年)、前田健太(2010、15年)、クリス・ジョンソン(2016年)。 沢村賞の制定は、先にも書いたが1947年。カープ球団ができたのが1950年。沢村賞よりも3年もあとで、述べ9回の受賞は投手王国の面目躍如だ。
ちなみにメジャー・リーグには、サイ・ヤング賞というのがある。こちらは1890年から22年間で511勝を挙げた大投手を顕彰したもので、亡くなった翌年の1956年に制定された。アメリカン・リーグ、ナショナル・リーグ各一名に与えられる賞で、日本のように先発・完投型というしばりはない。2020年は、惜しくも受賞ならなかったが、前田健太(ミネソタ・ツインズ)がア・リーグの、ダルビッシュ有(シカゴ・カブス=2020年当時)がナ・リーグの2位につけたのは、記憶に新しい。
話を戻す。この沢村賞で、忘れられないシーンがある。1975年、カープ初優勝の時の外木場義郎だ。41(選考基準25以上、以下同)登板、17(10以上)完投、20(15以上)勝利、.606(6割以上)勝率、287(200以上)投球回、193(150以上)奪三振、2.95(2.50以下)防御率と、当時の選考基準7項目中6項目をクリアして、堂々の受賞だった。
悲願のセ・リーグ制覇を成し遂げ、続いて日本シリーズで迎えるは、上田利治率いる阪急ブレーブス(当時)。上田はカープ出身で、古葉竹識とはOB対決となった。このときカープは外木場を擁したが、阪急には山田久志や山口高志、足立光宏がいた。明らかに阪急の方が、投手陣に厚みがあった。
日本シリーズのマウンドで、外木場は投げまくった。第一戦に先発した外木場は、8回1/3、124球を投げ、金城基泰につないだ。試合は3-3の引き分けだった。シリーズは阪急が押していた。0勝2敗1分け、二つリードを許しての第四戦、中四日おいて外木場が二度目の登板をした。試合はシーソーゲームになった。延長13回、4-4の同点で引き分けに終わった。カープのマウンドには外木場が最後まで立ち続けた。まさに仁王立ちだった。この日外木場が投げた球数は200球になった。球数制限など、ない時代だった。200というこの数字は、NPBのホームページにしっかりと刻み込まれている。
日本シリーズは、4勝0敗2分と阪急の圧勝だった。外木場の投げた324球が2分という結果になった。翌年、外木場は10勝するも、その後は1勝しかできない年が2年続いた。めっきり球速が落ちていた。遅い変化球を決め球にしたが、ストレートも負けずに遅くなっていた。外木場は79年を0勝で終えると、その年引退した。
2013年11月25日、外木場義郎の「野球殿堂入りを祝う会」が開かれた。野球界、経済界と名士が集まり、広島の老舗ホテルの会場は熱気にあふれた。この会の少し前、外木場をつかまえて聞いてみた。
「75年の日本シリーズは球数が多すぎた。あれが引退を早めたのでは?」
外木場はしばらく考えていたが、小さな声で返してきた。
「いや、あの頃はもうすでに、肩や肘がボロボロだったんですよ」
続く言葉は、どちらにもなかった。
パーティーが始まった。会場で配られたリーフレットには、外木場の球歴が記してあった。
<1972年、三度目のノーヒットノーラン達成>沢村栄治は、14番を背番号にしていた。時代が変わって、カープの同じ背番号をつけたピッチャーが沢村賞を受賞した。沢村栄治が記録した、三度のノーヒートノーランを成し遂げて。いや、外木場の方が上だ。三度のうち一度は、完全試合を達成している。沢村栄治が出来なかったことだ。
2021年、プロ野球が始まった。新型コロナウィルス蔓延のこの時代、関係者の開催にかける思いには頭が下がるばかりだ。4月11日現在、カープは3勝6敗1分と、阪神に続いて2位に着けている。この時点で、九里が3勝、大瀬良と森下が2勝ずつしている。
冒頭で、森下に期待したいと書いた。3月30日、vs阪神1回戦。0-0と同点のまま迎えた4回表、森下は1死満塁とし、打席に佐藤輝明を迎えた。オープン戦で、歴代最多の6ホームランを放った、今シーズンの新人王ド本命である。森下の追い込んでからの勝負球は、ストレートだった。この日最速の152キロ。佐藤を空振りの三振に切って取った。森下の顔から汗が流れた。一見華奢なこの青年が選んだ渾身のストレートに、今シーズンの活躍が期待される。それで森下オシだった。
だが、長年二けた勝利の壁が破れないでいた九里が、もう3勝した。去年右ひじのクリーニング手術を受けた大瀬良は、今シーズンは休み休みだろうと思っていたが、こちらも2勝している。今は阪神が首位にいるが、まもなく来日後待機中だった外国人選手が試合に出場するようになる。順位と勝ち星は、まだまだ波乱があるとみている。そう言えば大瀬良は、2018年の沢村賞は大本命だったが、菅野にうっちゃられた。
大瀬良、九里、森下が沢村賞を最後まで争ったら、今年は美味しい酒が飲めるかもしれない。そういうシーズンの終わりを見据えて、今から酒を飲む毎日である。
(参考;『ベースボールマガジン 沢村賞物語』別冊紅葉号2018年11月、『沢村英治 裏切られたエース』太田俊明著 文春新書)