【広島人の履歴書】
File.10 棚田秀利さん 棚田秀利税理士事務所 代表 《後編》

【広島人の履歴書 】


広島と縁のある各界のオピニオンリーダー自らが語る今日までの足跡。知られざるエピソード満載の履歴書(プロフィール)には、現在を生きるヒントが隠されています。

転機は飲食業界カリスマ社長との出会い。
年間相談数300件以上「相続税の虎」へ!

早稲田大学卒業後、不動産業界に興味を抱き、不動産鑑定士を目指そうと安田信託銀行に就職。福岡支店に配属され、個人資産家を主顧客に相続相談や遺言信託の営業など、信託銀行マンとしての現場経験を積んでいたものの、自らの将来に疑問を感じ、士業を志した原点である税理士の世界へ飛び込んだわけですが…。創業した当時の事務所は、広島市南区金屋町の小さなマンションの1室。たまたま、修道時代の同級生の歯科医が2人、わたしと同じ頃に独立したので初めてのお客さんになってくれました。広島では経済界はもとより、医師を筆頭に様々な分野で修道出身の方が活躍しておられ、同窓生ということで恩恵に預かることも少なくありません。わたしの場合も修道の仲間のおかげで幸先の良いスタートを切れたわけですが、ほどなくして1人のビジネスマンとの出会いが自分の人生の大きな転機になりました。

貞廣一鑑氏との出会い。

そのビジネスマンとは、日本テレビの人気番組「マネーの虎」に出資者として出演して一躍有名となった株式会社商業藝術(※旧社名=株式会社ア・ルーム・ウィズ・ア・ビュウ。平成29年、株式会社ダイヤモンドダイニングに吸収合併)の創業者・貞廣一鑑さんです。税理士試験合格後、広島に帰って来て実務経験を積んでいた先で知り合い、顧問を引き受けていたのですが、当時の貞廣さんは広島飲食業界のカリスマ社長で、ベンチャーキャピタルから投資を受け、「ダイニングバー・カフェを全国展開して上場したい!」という夢を持たれていたんです。彼の話にロマンを感じ、どうにも一緒に夢を追いかけたくなったわたしは、開設したばかりの税理士事務所はさておき、平成10年から貞廣さんの会社に入社し、3人の幹部の1人、取締役副社長として飲食店の全国展開に参画することに。

入社後は、財務管理だけでなく、資産管理・労務管理・広告企画・店舗指導・不動産交渉・商標管理に至るまで広く担当しました。今だから語れる面白いエピソードも沢山ありますよ。例えば、全国展開に際し、広島で人気を集めていた和食居酒屋「JAPANESE DINER & BAR 茶茶」で東京進出を果たした時。白金台、渋谷公園通り、南青山などのお洒落なエリアに出店して、ずいぶん注目を集めたのですが、評判の割には経費も多く掛かるため、あまり儲かっていませんでした。このままでは好調に推移している広島の店舗売上にも響くとあり、次の展開を悩んでいた時に、ちょっとユニークな物件の情報を耳にしたんです。

その物件は、新宿歌舞伎町のホスト街の中の怪しい公園近くに立つ一軒家でした。先発店でお洒落路線を打ち出してきた和食ダイニングを出店するには、まず似つかわしくない場所です。ところが、わたしは早稲田の学生時代に友人たちと新宿歌舞伎町に繰り出すことも多かったので、立地的には広島の人が流川に飲みに出かける感覚とあまり変わらない気がして違和感は全くありません。逆に、この場所に一軒家で朝まで空いているお洒落なダイニングバーがあれば、近隣のホストさんやホステスさんがお店帰りのアフターにも使ったりするだろうし、絶対流行る手応えを感じたくらいです。出店を提案すると、予想通り関係者のほとんどが反対しましたが、わたしは周りの反対の声を押し切り、貞廣社長を説得して出店する方向へ。

実は、わたしの頭にもうひとつ勝算がありました。当時、テレビ朝日の「トゥナイト」という深夜番組で山本晋也監督が歌舞伎町をレポートする名物コーナーがあったので「この店がオープンすれば、必ず取材されるはず!」と踏んでいたんです。その思惑通り〝日本一ディープな歓楽街に誕生するお洒落な和食ダイニングバー〟は番組にとっても、またとないネタとなったようで、開店1週間前にディレクターの方から「オープン当日の様子を独占生中継させて欲しい」と連絡がありました。喜んでお受けすると、オープン日に一時間、丸々生中継していただけたんです。反響はすさまじく、門出を後押しする強力な援護射撃になったことは言うまでもありません。

テレビで大々的に取り上げられたのを追い風に、ビル・テナントの飲食店が主流の歌舞伎町には、まず見当たらない一軒家スタイルのダイニングバーとして話題を呼んだこの店は、結果的に月商2,500万円を達成する東京の看板店舗となりました。ちなみに、トゥナイトの放送から1ヵ月も経たないうちに、貞廣さんの元へ、店の評判を聞いた日本テレビから「マネーの虎」への出演オファーが届いたんです。その後の会社の発展は、みなさんもご存知のとおり。わたしの飲食業界における唯一の誇らしい実績です。

こうして30代は、全国展開する飲食業界の現場で様々な経験を積みましたが、全国展開と聞こえはいいものの、当時の資金繰りは、飲食業界の宿命でもある、いつ倒産するのか微妙なバランスで維持されており、沢山の従業員や多くの債務を抱えて失敗するわけにはいかないという、常に不安と緊張感の中で日々を過ごしてきました。絶え間ない忙しさとストレスで疲労が蓄積し、流石に心身ともに悲鳴を上げてきたため、健康上の理由で、ひとまず会社から身を退くことを決めたんです。

志半ばで袂を分かつことにはなりましたが、経験不足ながらも副社長に抜擢していただき、一緒に夢を追いかけた貞廣さんからは、経営者の心得について沢山学ばせていただきました。特に忘れられないのが次の3つの教えです。

〇やらない言い訳をするな!
〇大手に負けないココロを持つこと
〇仕事環境をプロデュース・演出すること(スタッフが面白く仕事ができる雰囲気づくりを怠らない!)

カリスマ社長〝貞廣語録〟として、今も自分の中に染みついています。株式公開を目指していた貞廣社長の傍らで、何百人もの組織を運営した約5年間は、自分にとって輝かしい日々であり、大きな財産になりました。

個人事務所として再び独立。

貞廣さんの会社を離れた後は、平成18年に広島の調剤薬局チェーンの専務執行役員に就任して個人開業医のコンサルタントとしての活動をスタートしたりしていました。いつの間にか40代に突入し、その都度、立場を使い分ける日々を過ごす中で、ふと気づいたのが貞廣さんの会社の副社長となった頃から然り、「自分が主人公?にならない癖がついたのではないか?」という疑問でした。それまでは、わたし自身、税理士は「クライアントの幸せが、我が幸せ!」的な思い込みがあったのか?企業の看板の下で経営者の参謀的な役割、即ち人のための仕事に生きがいを感じていたのですが、もう若くはないこともあり、自分のマーケティングをする意味も含めて独り立ちしたくなったんですよ。

これからは、わたしが先頭に立って自分の道を切り開いていこう!―こうして本業回帰することを決め、個人事務所として再び独立。税理士事務所としての業務はひと通りこなすものの、ウチの事務所は、あえて〝相続専門税理士〟を看板に掲げることにしました。その理由とは?…。一般的な税理士が先生と呼ばれて、相談者を待つ受動的な〝待ち〟のスタイルで、クライアントと1対1で対応、事務所ではスタッフと雇い主と雇用者の1対1という単調な人間関係となるのが基本です。これに対し、相続専門税理士は、相続に関連する様々な専門家と連携して一緒に業務にあたることからチームワークも必要だし、相談者に対しても能動的な〝攻め〟のスタイルを求められます。信託銀行時代から相続に携わってきた自分としては、いろんな専門家と協力したり、多くの人と関わって、お客さんを開拓する後者に魅力を感じたんですよ。〝マネーの虎〟にちなんで、お客さんを狩りに行く「相続税の虎」になることを決意した次第です。

そんな矢先、大学の後輩で弁護士法人山下江法律事務所の企画業務を務める山口亜由美さんから「一緒に相続に関する啓蒙活動をやりませんか?」と誘われました。相続問題の解決のためにワンストップで適切な専門家に相談できる組織の設立を目指していたようで、わたしも快諾し、平成27年には「一般社団法人はなまる相続」を設立する運びへ。はなまる相続には、相続のあらゆる問題や悩みをサポートするため、弁護士、税理士、司法書士、宅地建物取引士、行政書士、不動産鑑定士、不動産コンサルタント、賃貸不動産経営管理士、相続アドバイザー、終活アドバイザー、遺言アドバイザー、シニア・ライフプランナー、CFP1級ファイナンシャルプランニング技能士などのエキスパートが在籍しています。

設立後、最初のイベントを西区観音のマリーナホップで行った際にメンバーの弁護士さんが、はなまるのチラシの付いたティッシュ配りをする光景を見て「立派な先生方が消費者金融のアルバイトの女の子と同じことをしている⁉」と驚き、日本最高峰の資格の弁護士さえもマーケティングには真摯に向き合わなくてはいけないことを思い知らされました。これらの地道な活動が実を結び、現在はホームページのキャッチコピーに掲げた「広島で相談するなら〝はなまる相続〟は外せない」と言われるくらい、知名度も定着してくれたようです。

50代の税理士として。

税理士事務所としての機能をさらにパワーアップするため、わたしが50歳を迎えた平成28年にアクセスのよい広島市中心部の八丁堀に現在の事務所を開設。以前から力を入れている相続セミナーの開催はじめ、色々目新しいことにも積極的に挑戦することになりました。セミナーといえば、思い出すのが10年以上前、自分が講師をやり始めた頃の苦い経験です。そもそもセミナーのテーマが、安田信託銀行時代に銀行の顧問税理士がやっていた相続関係のテーマと全く被っていたのも情けないのですが、通り一遍のつまらない内容だったので、参加者もあまり聞いてくれないどころか、睡眠する方が続出したほどでした。

いたたまれない気持ちになり、しっかり聞いてもらうには「どうしたらよいものか?」と考えて、頭に浮かんだのは両親の存在でした。長年学校の先生を務めてきた、いわば授業のプロフェッショナルなので父に事情を話して相談してみると、返ってきた答えは「慣れること」でした。なるほど、場数を踏めば、聴講される方の反応を見ながら講義を進めることが出来そうです。あと、相続とか、税金とか、どうしても難くなりがちな話なので、つい耳を傾けたくなる親しみやすい内容も工夫すべきだと思いました。ちょうど「磯野家の謎」という漫画の世界を現実と仮定して考察していく研究本がブームになっていたので、自分なりにその手法をアレンジしてみることに。

相続の仕組みをわかりやすく解説するため、誰もがよく知る人気アニメや話題のドラマの設定を各回のテーマに当てはめてパロディ化するなど、遊び感覚を取り入れて説明すると、みなさんの食いつきが良いこと、この上ありませんでした。以後のセミナーでは、これらのシリーズも何度か使いましたが、最近では、既製品ではなく、自分が考案したキャラクターを使うことも計画しています。

一方、平成30年からはFMちゅーピーで、月2回「そうだぁ!棚田税理士の相続相談室」というラジオ番組をスタートしました。正直に言うと、当時、士業の大先輩、弁護士法人山下江法律事務所の山下先生がラジオやテレビで活躍しておられたので、わたしも真似してみたんです。ラジオ番組を持ったからといって、すぐに仕事につながるとは期待していませんでしたが、有形無形のメリットはありましたね。例えば、初対面の人と会う時に「ラジオをやっています」と自分の肩書の一つに使えたり。あと、人を惹き付けるセミナーのトークについて相談した父のアドバイスにもありましたが、マイクの前でしゃべる機会が増えて、内容をゆっくり丁寧に話すことや、聞く人が面白く感じる雰囲気での話し方に慣れることができました。トークの技術も磨けたのでセミナーの講師をする時には、ずいぶん役立っていると思います。

棚田税理士事務所の現在、そして今後。

ところで、日本全国の税理士の人数をご存知ですか?その数は77,000人以上、広島県内でも1,500人近くいます。そして、ほとんどの税理士は会計・税務申告ができると言われていますが、わたしは、会計と税務申告のみを行う税理士ではありません。これまで綴ってきたように、自分自身が外食・医療関係など様々な企業の幹部として従事した現場の経験から、社長が理想の経営を行えるように会社の運営上、起こりうる様々な問題の解決や事業計画・資金調達・販促・不動産物件調達・採用活動などの経営課題を全面的にサポートします。そのためにも現在、わたしの事務所には、税理士2名(うち国税局OB1名)、社労士、 行政書士2名、宅地建物取引士2名の専門家が在籍し、適切なタイミングで適切な専門家に相談できる環境を整えています。

一方、〝相続専門税理士〟を看板にしている通り、信託銀行で23歳から相続に携わった経験に基づく、適切な相続税申告はもとより、節税対策も提案させていただきますし、昨今、人気の認知症対策のための〝家族信託〟にも対応できるのが強みです。今後は遺言・家族信託業務も拡大していこうと計画しているので、近い所では、税理士事務所の機能を活かして「相続分野で活躍したい」と考えておられる司法書士や行政書士のみなさんを支援する活動に取り組みたいと思っています。併せて、従来は広島市を中心に活動してきましたが、県東部の福山市など、備後地区や信託銀行時代を過ごした福岡市など、他の地域での展開も視野に入れていきたいですね。貞廣さんの教えにあったように、わたしもスタッフも仕事を楽しめるように専門家としてのビジネスを面白くしていかなくては!

信条は坂本龍馬の金言

いくつもの挫折、そして多くの出 会いを通じて、税理士となり、今日まで歩んできましたが、個人的に昔から信条にしてきた言葉が「死ぬ時はたとえドブの中でも前のめりに死にたい」です。セミナーでも引き合いに活用した名作漫画“巨人の星“の中で悩む主人公に伝えられる坂本龍馬の金言として紹介されたものです。「いつ死ぬかわからないが、目的のため、坂道を登っていく。たとえドブの中で死んでも、なお前向きに死んでいたい!それが男だ!」という坂本龍馬ほどの使命は背負っていませんが、わたしも、やるからには積極的に生きていきたいと思います。

おかげさまで、近年は「年間300件以上の相続税の相談を受ける〝相続税の虎〟」として、微力ながら地元のみなさまが抱える問題の解決に貢献できる税理士になれた手応えを実感しております。50代も後半に差し掛かり、人生の折り返し地点を過ぎたいま、行く手に何があるかはわかりませんが、「限りなき目的への前進」を心に刻んで、まだまだ坂道を登っていく所存です。これから自分の履歴書に、どんな新しいページが加わるか?楽しみにしています。

《棚田秀利(たなだ ひでとし)PROFILE》

昭和41年12月27日、呉市生まれ。早稲田大学商学部卒業。安田信託銀行勤務を経て、平成7年税理士試験合格し、同9年税理士事務所開設。税理士になった頃、日本テレビ「マネーの虎」出演企業で、取締役副社長として365日24時間、レストランの全国展開に奮闘。その後、開業医の経営支援などでコンサル実績を積んで、元信託銀行マンの経験を活かし、相続税・家族信託にも進出。現在事務所は、年間300件以上の相続相談件数をこなし、相続の啓発活動として相続税関連セミナーを毎月1回以上開催するほか、FMちゅーピーで毎月2回番組にライブ出演して相続に関するトークを発信中。趣味はドライブ、B級グルメ、マラソン、テニスなど。

【事務所概要】

事務所名 棚田秀利税理士事務所
代表 棚田秀利
税理士・医療コンサルタント・宅地建物取引士
住所 〒730-0013 広島市中区八丁堀12番3号 KITAYAMAビル6階
     ※ご来所の際はインターホンで「601」を押してください。
連絡先 TEL.082-962-8411 FAX.082-962-8412
メールアドレス tanada@tanada-zei.com

◎棚田秀利税理士事務所ホームページ https://tanada-zei.com/
◎相続税申告相談プラザひろしま https://hiroshima-souzokuzei.jp/
◎一般社団法人ひろしま相続・不動産ホットライン https://souzoku2103.com/
◎一般社団法人はなまる相続 https://hanamaru-souzoku.com/ 

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