【広島人の履歴書】
File.6 寺西由美子さん 有限会社 寺西設備 代表取締役《後編》

【広島人の履歴書 】


広島と縁のある各界のオピニオンリーダー自らが語る今日までの足跡。知られざるエピソード満載の履歴書(プロフィール)には、現在を生きるヒントが隠されています。

夫が急逝し、水道工事屋の社長へ。
美容事業やミュージカルでも活躍!

23歳で水道工事屋の2代目の嫁になり、30半ばになった頃、降ってわいたようにトラブルや業界不況が重なって、家業に大きな危機が訪れました。仕事が激減して売上が見込めず、従業員の給与カットに着手せざるを得なくなると、2人残った古株の社員も一人が辞めることになり、いよいよ深刻な状況を迎えました。それからは、主人たちも水道工事組合から回ってきた当番の仕事や、同業者の友人の手伝いをこなして糊口をしのぐのが精一杯です。わたしも事務所で経理を担当するほか、娘のPTAの活動もありましたが、家計を助けるために何とかせねばなりません。とはいえ、義母とわたしで担当していた店番もあって事務所を空けられず、パートには出かけられないので「どうしたものか?」と思案にくれていたところ、友人から誘われたのがノエビア化粧品の販売でした。

昔から「化粧品や保険のセールスは友だちを失う」とよく聞いていたし、最初は乗り気ではありませんでした。ただ、わたし自身も美容については、三女が小学校に上がる頃から顔のしわが気になっていたんです。家計が困窮する中、高い化粧品を買う余裕はないのでドラックストアの安価な化粧品を使っていましたが、一向に効き目がありません。ところが、知り合いが扱っているノエビア化粧品を試しに使ってみると、驚くほど改善できました。よく聞いてみると、わたしの信頼する友人や主人の友人の奥さんも販売しているとのこと。「あの人たちがやっているのなら…」と、当初の不安も解消され、この仕事ならば、自宅をサロン代わりも使えるので、店番で外出しにくい家業と並行してできる気がしてきました。

ひとまず、主人に相談してみたところ、「本気でやるのであれば、仕入れと売上げが後手、後手にならない点だけ気をつけるように!」とアドバイスされたので、意を決して挑戦してみることに。ノエビアの研修やマッサージの練習、わたしのグループとなる販売スタッフの育成、化粧品の納品など、がぜん忙しくなってきましたが、本来、体育会系で人とのコミュニケーションが得意なわたしです。自分のやりたい仕事を見つけて本領発揮、半年もするとワンランク上の代理店の権利を得ることができました。

ノエビアの仕事の本格稼働に伴い、家業の店番にも配慮していたつもりですが、徐々に外出する機会が増えたことで、義母は少しご機嫌ななめでした。わたしが「ちょっとでも家計を助けたくて、自分なりに藁にもすがる思いで覚悟を決めて、頑張っているんですよ」と泣きながら訴えると、流石に義母も認めてくれたようです。こうしてノエビアの代理店として美容の仕事を続けていくことになりましたが、家業の方はわたしが40歳を過ぎてもまだまだ大変で、資金繰りなどに追われる中、義母が急逝しました。主人とわたしに「あんたたちが一生会社を続けていくのならば、自分がなんとかするから」と、いつも無理をされていたので義母には計り知れない心労もあったはず。病気や事故で苦しむことのない突然死でしたが、最期まで気苦労させてしまったのが悔やまれます。

その後、次女と三女が、それぞれ鈴峯高校と中学校に通うようになると、わたしの母校でもあるご縁からPTA会長を引き受けることになりました。当初は「家業とノエビアの仕事もあるので無理です」と、ずっとお断りしていたのですが、適任者が見つからずに困っているようでもあり、「学校が自宅の近所にあるし、恩返しのつもりで」と思い直して承諾した次第です。昔から“断る理由を述べるより、受ける方が良い”と考えてしまうタイプでしたから。そんな矢先、今度は義父が難病に指定されているパーキンソン病にかかってしまいました。普段はシャンとしていて車の運転もできるのですが、手足が震えたり、歩いていたら止まらなくなったりすることもあるので、まわりが注意していなければなりません。寺西家に嫁いで以来、寡黙な職人だけど、優しい性格で「何か壊れてもお義父さんがいれば直してくれる」と思えるくらい、頼りになる義父のことが大好きなわたしとすれば、介護をするのは当前の役目です。PTA会長の活動、ノエビアの仕事、月に2回だけど家業の経理に義父の介護が加わり、ますます忙しくなったところに新たな試練が訪れました。

中学3年生になった三女が大病に見舞われたんです。学校で「お腹が痛い」と倒れて、呼び出しがあり、救急車に乗るのを怖がるため、わたしの車で学校近くの病院に連れて行ったところ、大きな病院の婦人科で検査する必要があるとのこと。まだ病名までは伝えられなかったのですが、紹介された市民病院を訪ねると、すぐに開腹手術を勧められ、がんが見つかりました。6月初旬の緊急手術が終わると3か月間にわたる闘病生活の始まりです。幸い早期発見だったので完治することができ、秋の修学旅行にも参加が叶いました。休学中は鈴峯中学校に高校進学を踏まえて便宜を図っていただき、安心して治療に専念することができましたし、抗がん剤による治療を伝えた学校の友だちにも過剰に心配されることなく自然に接してもらえ、娘は良い環境に恵まれたと思います。振り返ってみると40代の後半は、思いもよらなかった娘の大病があったり、義父のパーキンソン病がとうとう要介護4にまで進行したり、家族の病気が重なって、ほんと大変でした。

さて、他界した義母に「わたしたち夫婦で一生会社を守る」と約束したものの、家業の業況は昔のようにはなかなか回復しません。ともすれば、愚痴や不平不満を口にしてしまうわたしとは対照的に、主人は状況を悲観せず、目の前のことを粛々とこなすタイプでした。驚くことに結婚以来、わたしを一度も叱ったことがないんですよ。わたしが会社の業務で失敗をやらかしても「済んだことを責めても仕方ない。これからどうしたら良いかを考えていこう」といった調子です。器が大きくて、いつも相手を許して認めてくれるので、人としての安心感がありました。

唯一、耳をかさなかったのは自分のことでした。まわりに自分の考えを押し付けたり、とやかく言わないから、自分も言われたくないんです。身長175㎝で体重が100㎏もあって、太っていたし、ヘビースモーカーなので、健康を心配して気をつけるように注意しても「健康診断では特に引っ掛からないから大丈夫!」と耳を貸してくれません。元気が取り柄の人でもあり、このまま、仲良く一緒に年を重ねて行けると信じていたのですが…。それまでも決して平坦とは言えなかったわたしの人生で最大の試練を迎えることになりました。

2015年春、主人は組合関係の要請で熊本県に甚大な被害をもたらした熊本地震の修理班として応援に出かけました。現地から連絡があった時に「雨に濡れて、風邪をひいたみたい」と伝えられていたのですが、広島に帰って組合の当番から帰宅すると、声がガラガラでした。とりあえず点滴を打ちにいったところ、病院の待合室で倒れたのだそうです。そのまま大きい病院に運ばれた時には既に脳幹が切れており、手術ができない状態でICUへ入院。思いもよらなかった事態となり、結局5月13日に倒れて20日に亡くなりました。死因は急性くも膜下出血で享年52。もともと肥満体質で、お酒はあまり飲まないけれど、タバコが大好きで、とにかくよく食べる人でした。

実は、その10日くらい前に夫婦で「わたしたちの友だちには、年齢的にも“くも膜下出血”になって後遺症を抱える人が多いので、気をつけんといけんね」と話したばかりなんです。まさか主人が発症して、帰らぬ人になってしまうとは…。そういえば、主人は亡くなる直前に、家族ぐるみで付き合いのあった保護者会の行事のカープ観戦や、同級生とのゴルフ、岡山のお姉さん宅訪問など、毎週のように出かけていました。病院で倒れた時の朝は、当時一緒に暮らしていた次女とわたしと主人の普段はめったに揃うことのない3人が全員、家にいたのも不思議な偶然でした。家族や仲間を大切にする人でしたから、最期に別れを告げたかったのかもしれません。

あまりに突然の出来事で呆然とするばかり。何も考えられないでいると、主人が倒れた日から同業者の方が「ご主人が復帰するまでは僕らが手伝いますから」とサポートを申し出てくださり、家業の方は一日も休まずにすんでいました。仕事のことでは一番頼りになる義父も、その一年半くらい前に亡くなっているので、葬儀が終わるとすぐに「奥さん、これから寺西設備をどうする?」という話に。相談に乗ってもらった水道工事組合の関係の方には「現場仕事が多い業種柄、女性が社長になった業者がつぶれる例をよくみているので、化粧品の仕事もされているのなら、そちらに進まれるのも手ですよ。奥さんに作業服を着て現場に出る覚悟がありますか?」と本音を確かめられました。そして最後の一人となった従業員には「由美子さんが会社を続けるのならば、僕は残ります。でも、僕がいるから会社をたためないのであれば、心配されなくても大丈夫ですから」と言われ、迷いは募る一方です。

初めて自分の置かれた立場を認識することになり、とどのつまりは、わたしが自分で決断しなくてはいけないわけですが、考えてみればみるほど「やっても地獄、やらなくても地獄。こんな大事なことをわたしには決められない」と悩みはつきません。ともあれ、身内にも話を聞いてみようと、本当の姉妹のように仲の良い義姉に「お義姉さんの実家だし、どうすればいい?」相談してみると「由美子さん、無理をしないで。会社をやめてもいいよ」とのこと。そしてもう一人、義父の本家筋のいつも仕事でお世話になっているお嫁さんにも助言を求めてみると「わたしだったらやめる。身体をこわしてまでやらない方がいいよ」との返事をいただきました。2人の言葉に肩の荷を軽くしてもらうと、ある思いが頭をよぎるようになりました。それまで大きな節目の度に唱えてきた「後悔する生き方はしたくない」という自分の気持ちです。

ノエビア化粧品を始めた時も然り、わたしは「もし今やらなかったら、あとできっと後悔するだろうな」と考えて、踏み出す覚悟を決めました。実際、中学3年生の頃、試験に落ちるのが恥ずかしくて決断が鈍り、高校選択で公立受験を諦めたことや、剣道3段の昇段試験を諦めたことなどは、大人になってもずっと心に引っ掛かっていましたからね。特に剣道の昇段試験については、高校を卒業して剣道から離れたものの、30代になると、なぜか竹刀が振れなくなる夢をよく見るようになりました。受かる自信がなくて試験から逃げたことを悔やんでいたのでしょう。どうしても3段を取りたくなり、ママ友に誘われたのを機に剣道を再開。その年に受験して3段を取得したら、さっぱり夢を見ることがなくなり、再び前向きになると3年後に4段、それから4年後に5段を取ることができました。“強い覚悟がなければ次に進めない”のを思い出したことで、「もしダメだったら、全財産を無くす前に会社をたためばいい。お義母さんとの約束もあるし、主人の代わりにわたしが社長になって寺西設備を続けよう」と腹をくくった次第です。

こうして前を向いて動き出すと、好転したこともありました。会社が不況に入った頃、一度辞めた従業員が古巣の一大事を知って、カムバックしてくれたんです。ベテランの復帰は心強く、とてもありがたかったですね。一方、長女は婚約中の彼とすぐさま広島に帰って来てくれて、その夏に入籍。年末には娘婿が勤め先を辞めて、家業を手伝ってくれることに。ありがたいことに同業者の下で面倒を見ていただき、10か月間修業を積んで、ウチの会社に入社しました。

月日が経つのは早いもので今年、主人の7回忌を迎えます。あまり頼りにならない女性社長がバトンを受けたとあって、まだまだ大変ではありますが、一時の先の見えない不況から少しずつ仕事も回復してきました。現在は、水道局や組合から斡旋してもらったメーター交換などの業務と関連修理、工務店や不動産会社、知人などから紹介された水回りの設備工事と修理を主に手掛けています。娘婿らも加わり、従業員の数も6名まで戻りましたが、現場を回すのが大変な時は、わたしも現場に出動することもあります。目下の課題はベテランが在籍するうちに若い人材を増やして育成すること、これに尽きますね。わたしもそうですが、何かをする時には自らの覚悟が必要だと思います。経験豊富な先輩の背中を見て、次の担い手が育ってくれれば嬉しいです。

経営者としては、わたしが会社を継ぐ決断をした時に一人だけ残り、なんの保証もないのについてきてくれた従業員に「この会社に残るんじゃなかった」ではなく、絶対に「あの時、残って良かった」と思ってもらえる会社にしていきたい。ウチは大きな会社ではないので、従業員が駒ではありません。一人ひとりの個性を認めて、それぞれに会社のためだけでなく自分の幸せのために頑張ってもらいたいんです。延いては、それがお客さんのためになり、会社のためになり、そして自分の喜びとして返ってくるのではないでしょうか。数々の試練を思い出すと、まわりの方々に沢山助けていただいたおかげで今があり、感謝しかありません。何もできない社長ですが、従業員はどんなことがあっても見捨てないし、「最後は200%わたしが責任取るから安心して仕事して欲しい」という気構えでいます。

さて、寺西設備の事業の一方、周りから心配されていたのが、個人サロンを構えてお客さんも増えていたノエビアの仕事は継続できるのか?ということでした。わたし本人としては、それまでも水道工事とノエビア、介護、PTAなど何足もの草鞋を履いてやってきたので、優先順位が変わる時もあるかもしれないけれど、お世話になったお客さんのためにも、どちらも続けていく覚悟がありました。幸い優秀なスタッフに恵まれたので、美容事業の方も今年で18年目を迎え、女性の美を「心と健康と美容」をトータルでサポートするワンストップサロン「placidez.」(プラシデス)として業務の充実化を図ることができました。現在は、「美容」=フェイシャル・ボディ、メイクアップレッスン、パーソナルカラーほか、「心」=ヒューマンカラー診断、四柱推命、「身体」=健康機能食品“サプリ”、腸から元気にするインナービューティーなどをメニューに、女性が自立するために必要なお手入れや資格取得のサポートを行っています。

美容に関する専門知識を身に付けるために、わたしもスキンケアやメイク、四柱推命鑑定士などの資格を取得し、水道工事の方も人生初の国家試験を受けて2級土木を取得したので、両方の事業で保有資格が増えていきました。そういえば、わたしが寺西設備の社長になって初めていただいた仕事は、ノエビアのお客さんの実家の別荘の浄化槽やシャワー室、台所やトイレなど水回りの工事なんです。何ごとも一生懸命続けていれば、嬉しい結果につながるものですね。このような良い巡り合わせを増やすためにも、わたしは常に邁進し、情報のアンテナを広げながら興味があることには挑戦するよう心掛けています。

はじめて14年目になるミュージカルもそのひとつ。切っ掛けとなったのは長女の存在です。音楽高校・大学に進学してミュージカル学科を専攻した長女は義母に懐く典型的な“おばあちゃん子”でした。東京の学校に進んだこともあり、そのままむこうに腰を据えられて疎遠になる危機を感じ、共通の話題でコミュニケーションを深めるために彼女が勉強しているミュージカルを自分も体験してみようと思いました。娘を応援する気持ちも含めて広島でミュージカルをはじめたところ、同じ話題でしっかりコミュニケーションがとれるようになり、教えてもらうことで長女を尊敬できるようにもなりました。また、ミュージカルのご縁で色んな広がりもあり、シャンソンや自主製作映画、ポップス、CM出演などにもつながることに。今ではミュージカルや歌を唄うことがわたしのライフワークです。

このほか、昨年からは“50代のチャレンジ”として日本発信のミセスコンテスト「ミセスオブ・ザ・イヤー大会」や、シングルマザーが女性としての美しさと母としての輝きを競う「シングルマザービューティーアワード大会」など、新しい挑戦にも意欲的に取り組んでいます。最近は、何かひとつ行動を起こすと、そこからまた新しいご縁が生まれるのを痛感するようになりました。美容事業を通じて女性が自立するためのサポートも行ってきましたが、わたしの願いは自分の人生を責任もって生きる人が増えていくこと。新しいテーマに挑戦する私の背中をみた人が「寺西さんがやっているのなら、自分もやってみようかな…」と勇気を出して一歩踏み出したり、元気になってくれればこの上ない喜びです。何かを目指す人がいたら、ハードルを下げてあげて、背中を押してあげる自分でありたいですね。

今日に至るまで数々の試練もありましたが、思い出を整理するには良い機会になりました。楽しかったこと、悲しかったこと、様々な出来事が頭に浮かびます。天国の主人に報告したい話は沢山ありますが、一番知らせたいのは、3人の娘たちがみんな成人して、それぞれ自分の生きる道を見つけてくれたことです。わたしをミュージカルの世界に導いてくれた長女は旦那さんと一緒にウチへ入社して、現在は子育てをしながら仕事を手伝ってくれています。学生時代、テニス部だった次女は、結婚して高校の体育の先生となり、テニス部の顧問として奮闘中。そして、大病を克服し、すっかり健康を取り戻した三女は看護師になって、毎日職場で頑張っています。経営者として、母として、女性として、わたしの人生はまだまだ続きますが、覚悟さえ決めれば、恐いものはありません。いつも支えてくださるみなさんへの感謝を忘れることなく、新たな挑戦を続けていく所存です!

■寺西由美子(てらにしゆみこ)PROFILE

有限会社 寺西設備 代表取締役。
トータルビューティーサロン placidez.(プラシデス.) 代表。
1965年6月14日生まれ、広島市出身。鈴峯女子短期大学卒。

【保有資格】
〇配管工 〇給水装置主任技術者 〇排水設備主任技術者 〇2級土木施工管理士 〇スキンケアアドバイザー 〇MAKE UP CREATOR 〇パーソナルカラーリスト 〇ヒューマンカラーアナリスト 〇スマイルクリエーター 〇四柱推命鑑定士 〇剣道五段

【趣味】
ミュージカル鑑賞、スポーツ、ミュージカル、歌
※「寺西 悠里惠」名義でも活動中!

〇フェイスブック https://m.facebook.com/yumiko.teranishi.31/
〇インスタグラム https://www.instagram.com/yumiko_0614/
〇YouTube https://www.youtube.com/channel/UCWyQMe-OLOh4S7UIgoXvj8Q/featured

■有限会社寺西設備

【業務内容】
配管工事、衛生設備工事、管工事、給排水設備工事、水道衛生工事・保守、水道衛生設備工事、水道衛生設備保守、井戸ポンプ工事

〒731-5125 広島県広島市佐伯区五日市駅前2丁目6−30
電話 082-921-3531 FAX 082-921-6061
〇フェイスブック https://www.facebook.com/teranishisetsubi/

■Relaxing salon placidez.〈プラシデス〉

【業務内容】
トータルビューティーサロン(スキンケアサービス フェイシャル・ボディエステ他)

〒731-5125 広島県広島市佐伯区五日市駅前2-6-30
営業時間 10:00〜19:00 日祝定休、他不定休
〇ホームページ http://placidez.net/
〇フェイスブック https://www.facebook.com/profile.php?id=100056212996774
〇インスタグラム https://www.instagram.com/placidez_salon/

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