被災者支援や避難民支援、地域振興支援など、国内外問わず幅広い地域で活動を行う「NPO法人ピースウインズ・ジャパン」。アジア地域のマネージャーとして約10年間東南アジアの国々を駆け巡ってきた事業部の束村康文さんに、国際協力活動の取り組みや現在、広島県神石高原町の本部で推進するプロジェクトについて聞いてみました。
―束村さんが国際協力の活動を始めたきっかけは?
1988年から1990年、私が東京の大学院に通っていたころ、NGOでボランティア活動を始めたことがきっかけです。もともと、海外旅行に行くのが好きで、特にアジアの国々に関心があったこともあり、ボランティア活動を通じて国際協力の面白さや魅力にどんどん惹かれていきました。そして、大学院卒業後、本格的に仕事として国際協力のフィールドで活動するようになり、以来、30年近く、ずっと国際協力に関する活動を行っています。
―最初に取り組んだ活動は?
最初は、チャリティーコンサートなどのイベントの立案と、農業の調査研究を行いました。調査研究では、化学肥料や農薬の使用を抑えて環境に配慮して行う“環境保全型農業”という形態を扱い、特に東南アジアの“環境保全型農業”の事例を研究していました。私が28歳の時、研究の一環でタイやラオスなどの東南アジアの国々に足を運ぶようになったので、この時から日本と海外を行き来しながら本格的に活動開始。
まずは、最初に就職した職場で経験を積んだのち、一緒に活動をしていた数人の仲間と共にNGOを立ち上げ、ミャンマーでロヒンギャ難民の支援活動を始めました。具体的には、ロヒンギャの人たちが社会に出て職に就けるよう、専門技術を学ぶための職業訓練学校を作りました。学校では、機械の修理の仕方や、板金、溶接といった技術を身につけてもらい、ある程度の技術を身に付けた難民は、出稼ぎに出たり、現地の会社に就職できるようになりました。
―学生時代のボランティアから始まり、若い時から世界でご活躍されてきたのですね。「ピースウインズ・ジャパン」での活動は、いつ頃から始められたのでしょうか?
2013年です。「ピースウインズ・ジャパン」は1996年に設立され、東京に本部を置いて活動していました。2013年に本部が広島の神石高原町に移ることを知り、求人に応募。「ピースウインズ」に入ってからは、アジア地域のマネージャーとして、各種プロジェクトの企画や資金調達、現地の人との調整やリクルートなどを行ったのですが、これがなかなか大変で…。マネージャーになってから約10年間、ミャンマー、タイ、スリランカ、ネパール、バングラデシュ、パラオ、フィリピンなど、東南アジアの国々をほとんど網羅するような勢いで様々な事業に携わりました。しかし、さすがにこれだけ国が増えると一人で管理するには、行き届かない部分が出てくるようになってしまい、周りの人に助けてもらいながら少しずつ担当を絞っていき、現在は、タイとネパールで主に活動しています。
―タイとネパールでは、どのような活動をされていますか?
タイでは、ミャンマーから逃れてくる避難民の支援をしています。ミャンマーでは、国軍によるクーデター以降、多くの避難民が近隣諸国へ渡っており、タイもそのうちのひとつです。避難民への支援は、主に避難民の子供とお母さんに対する保育支援のようなもので、避難先で子供やお母さんが日常生活の困りごとなどを相談できるよう、地元のアドバイザーを育成するというプロジェクトを進めています。一方、ネパールでは、農業・農村開発を行っています。ネパールでの取り組みは、広島の神石高原町と大きく関わりがあるため、少し詳しく説明しましょう。
そもそも、ネパールで事業を始めたのは、2015年にネパールで起きた大地震がきっかけです。最初は、「ピースウインズ」のレスキューチームが現地に派遣され、救助活動が行われました。10日ほどで救助活動が終わり、その後は復旧作業を進めていったのですが、同時に被災地においては地震前から存在する課題を解決するために、新たな事業を開始しました。ネパールの農村部は、山間地域に存在するため、土地が狭い上に斜面が急峻で農業生産性が低く、年間の収入を農業だけでは賄えないので、都市部や海外に出稼ぎに行かなければならないという課題を抱えていました。
このため、事業では、農業だけで1年間生活できるようになることを目標に、収入向上につながるような作物栽培を導入しました。また、収入向上につなげるためには、生産技術に加え、販売に関する指導も必要だったので、ネパールの法律に則って組合登録を行ったり、口座開設を行ったりしました。結果として、2018年から開始した農村開発プロジェクトは、2021年に一区切りを迎えることができ、現地のお母さんからは、「息子が出稼ぎに行かなくてよくなったので、家族みんなが家で過ごせるようになった」と感謝され、事業をやってよかったと心から思いました。
―ネパールでの事業がひと段落し、いよいよ、神石高原町の登場でしょうか?
そうですね。先ほど、簡単に農業や農村開発の概要を説明しましたが、実はこの事業では、神石高原町内の有機農業農家の方を専門家として現地に派遣しています。また、逆にネパールからも、2018年から現在までの間に、短期研修として計14名、長期研修として計2名の研修生を神石高原町の農家や企業で受け入れています。短期研修は、現地の農村開発を進めるための研修でしたが、長期研修の方は、2023年に新しく始めた試験的なプロジェクトで、ネパールと神石高原町双方への貢献を見据えています。というのも、ネパールで事業を進める中で、我々スタッフ間で、日本の地方、とりわけ、「ピースウインズ」の本部がある神石高原町に対しても、何か貢献していかなければという意見が多く出てきたんです。当然ですよね。私たちは神石高原町に日頃とてもお世話になっているわけですから。
我々が神石高原町のために何ができるか考えた結果、人材面での貢献ができるのではないか、という話になりました。神石高原町は人口減少率が非常に高く、昨年末まで8000人台だった人口が、今年3月には7000人台にまで減少しています。そこで、長期研修では、農業研修だけでなく日本語学習も取り入れ、研修生が特定技能の資格を取得し、神石高原町で働き続けることで、人材不足に貢献することを目標としています。加えて、町内の休耕地を活用して、研修生が独自に栽培できる農園を提供し、研修中に学んだノウハウをその場で実践できるような環境作りにも取り組んでいます。また、研修生の出身地では生姜が特産品なので、生姜の生産・加工を行っている企業で研修を行うなどして、研修生がネパールに戻っても、特産品開発で力を発揮できるような研修プランを組んでいます。現在、ネパールでは、無肥料・無農薬で高品質な生姜であるにも関わらず、隣国のインドの業者に安価で出荷されているため、「将来的には、フェアトレードで日本に出荷できないか?」ということも検討しています。
―まさに、日本と世界をつなぐ取り組みですね。試験的プロジェクトの一番の特徴はどのような点でしょうか?
このプロジェクトの特徴は、地方と地方をつなげているという点です。国際協力の分野では、「東京と途上国」のような、都心×地方みたいなイメージが強いし、実際にそのような事例が圧倒的に多いのですが、私たちのプロジェクトは、あえて、地方×地方という取り組みをしています。地方同士をつなげることで「お互いに、お互いの苦労や工夫が共有できる」というメリットがあります。このメリットは非常に大きく、価値観が近いために、互いの考えを理解しやすく、関係性が深まりやすいため、継続的に活動を続けていくことができます。また、支援する側とされる側、という関係性ではなく、互いに平等な立場であるため、それぞれの考えを素直に言い合えて、より効果的な解決策、改善策をみんなで考えることができるという点も有効だと思っています。
―確かに、お互いの気持ちが分かるのは、とても大切なことだと思います。これからさらにプロジェクトを進めていくために、どのような課題がありますか?
始まったばかりのプロジェクトなので、細かいことを考えると課題だらけなのですが、一番は、受け入れた研修生をどのようにフォローするかという課題ですかね。プロジェクトの一環として、今後も定期的に研修生を神石高原町で受け入れる予定ですが、「ピースウインズ」は、あくまでNPO法人なので、いわゆる監理団体のように“技能実習生として人材を受け入れて企業に斡旋して”みたいなことはできないだろう、と思っています。従って、研修生を受け入れてくださる地元企業の方々を探す必要があるものの、外国人を雇用する場合には、「国籍を理由に待遇を変えてはならない」とか、「実習生を受け入れる際は監理団体に毎月数万円納めないといけない」とか、もちろん、言葉の壁や文化の違いもありますので、日本人を雇用する場合と比べて企業側の負担が大きくなるのが現状です。このようなことを理解していただいた上で、町全体で受け入れていただけるか、という部分が非常に難しい課題だと感じています。
この活動は、神石高原町にある本部事務所で組織されたチームで協力して取り組んでいます。現在、研修生の受け入れなどについては、神石高原町出身スタッフの山内さんがリーダー的な立場で担当してくださっています。チームの考えとして一致しているのは「研修生が単に労働力として来日するだけでは意味がない。彼らが日本を訪れ、仕事以外にも地域の活動に携わる中で地域づくりに参加することで、その経験自体が彼ら自身の勉強にもなり、ネパールに戻ったとしても農業と地域づくりに貢献できる!」というような人材を育てていきたいということです。
―束村さんは、これまで様々な事業を経験されたと思いますが、国際協力の活動をする上で、大切にしていることはありますか?
一番は人間関係づくりですね。基本的に、お金だけで事業を進めていくと、あるところまで進んだときに、そこから進展が止まってしまうんです。特に避難民支援などでよくありがちなのですが、私たちが海外で活動する際には当然、ある程度お金を用意していくわけですが、そうすると現地の人との関係で、私たちがお金を持っている側になってしまうんです。だから、気を付けないと“支援をしてあげている”という対応になってしまう。
たとえ私たちが思っていなくても、現地の人からしたら、『どうせ、この人たちは日本ではいい暮らしをしているんでしょ』、『どうせ支援が終わったら日本に帰るんだから、今のうちに支援を受けれるだけ受けとこう』みたいな捉え方をされることは多々あります。だからこそ自分が上の立場だと勘違いしないように常に心がけています。やっぱり人間同士なんで、下心が見えてしまうんですよね。それは相手が外国人だろうと日本人だろうと同じです。仕事だからという義務感ではなくて、外国で初めて会う人でも、一緒に働いたスタッフでも、一度きりの出会いを大切にして相手を思いやることを忘れない。国際協力の活動では、それが最も重要ではないかなと思います。
―最後に、今後の活動に対する思いを聞かせてください!
そうですね、先ほども少し触れましたが、人材育成に力を入れていきたいです。私自身は、海外でガンガン活動する年齢ではなくなってきているため、海外と日本、両方の人材育成に取り組みたい。海外での活動が日本での人材育成につながったり、日本で育成した人が海外で活躍したり、必ずどこかでつながっていると思うので、国際協力の場を使って人の育成が出来たらいいなと考えています。そして、その活動を地方に広げていく。日本でも海外でも地方が抱える問題は共通ですから、まずは地方の問題・課題の解決に力を注いでいきたいですね。
●プロフィール
1961年2月27日生まれ、愛媛県出身。現在は、島根県邑南町在住。大学院を卒業後、NGOで経験を積み、2013年から「NPO法人ピースウインズ・ジャパン」として活動中。休日は、畑をいじるか、家族とお出かけすることが好き。