世界中から人々が集う地・広島。宮島や原爆ドームなどの観光にとどまらず、広島を舞台に活躍する外国人が増えています。その一方では、広島と世界の架け橋となり、多文化共生の一助を担う日本人も多くいます。 世界を繋ぐ“広島人”へのインタビューをどうぞ!
今回ご登場いただくのは、「フィリピン人労働者を支援する会」代表の小松公寛さんです。“70まで現役!”を胸に、会社員時代に選択定年という道を選び、社会保険労務士として第二の人生をスタートさせた小松さん。以後、今日まで20年以上、広島で外国人の支援活動に携わってきました。今では県内の外国人にとってかけがえのない存在となった小松さんに、これまでの苦労や今後について聞いてきました。
―まずは、簡単に自己紹介をお願いします!
私は、1947年に広島で生まれました。父親の転勤や大学進学などの理由で、長崎や東京で生活をしましたが、就職のタイミングで帰広。その後、今日まで広島で生活しています。特にアクシデントもなく、順調に年を重ねてきたわけですが、一つ、人生の転機を挙げるとすれば、55歳の時に選択定年という道を選び、会社を辞めたことです。当時の私は、‟70歳まで働きたい”という思いを強く持っていました。そこで、今後の人生プランを考えたとき、「60歳で定年したら、新しく何かを始める体力が残っていないのではないか」という結論に至り、通常より5年早く会社を辞める決断をしました。その後、社会保険労務士となり、私の第二の人生が始まるわけですが、それと同時に、この後詳しくお話しする外国人支援という取り組みもスタートすることになります。
―思い切ったご決断をされたのですね。具体的に、外国人支援活動を始めたきっかけは?
開業してすぐのころ、偶然、「カトリック幟町教会」の月報を目にすることがありました。月報には、広島に来ているフィリピン人が「広島フィリピン人協会」というグループを設立したことが掲載されており、職業柄、“何か役に立てるのではないか”という思いから協会と接触。徐々に日常的な相談などを受けるようになりました。最初は分かりませんでしたが、関係が深まるにつれ、外国人が労働や税金、結婚・出産などに関する様々な問題を抱えながら生活していることを知りました。「フィリピン人協会」と関わるまでは外国人と触れ合うことなんて全くなかったものですから、それはもう驚きの連続でした。
最初に受けた大きな相談は労働に関するもので、「会社でけがをしたが労災が適用されない」という内容でした。労働問題については、会社と交渉する必要もあるので、市内にある労働組合「スクラムユニオン」と協力して対処しました。労働組合と協力することで、社労士と労組というお互いの強みを生かして問題に取り組めるし、より効率的に解決に向かうことができるので、今でも労働問題はユニオンと協力して取り組んでいます。例えば、実際に団体交渉を行うのは(労働組合の権利なので)ユニオンが、団交に持ち込むまでの証拠や書類の用意は私が担当するという感じです。結婚・出産の問題や、保険・税金に関する問題など、私個人で対応できる問題は、基本的には一人で対処してきました。こうして少しずつ活動を始め、相談件数が徐々に増えるようなった2008年頃、支援活動に使用する資金を管理する必要が出てきたので、「フィリピン人労働者を支援する会」を立ち上げて外国人への支援活動を本格化していきました。
―相談窓口以外にはどのような取り組みを?
日本語教室と料理教室の運営をしています。どちらも外国人、特に技能実習生が集まれる場所を作ろうという思いで始めた活動です。日本語教室については、主に実習生が休みとなる土曜日と日曜日に対面で、平日夜にはオンラインで実施しています。料理教室は月に一回、日曜日に「広島留学生会館」を中心に開催しています。最初は「フィリピン人協会」とのつながりから、フィリピン人と関わることが多かったのですが、次第にベトナム人や中国人、スリランカ人など、様々な国籍の若者と関わるようになり、日々、刺激を受けています。特に、日本語教室では実習生に分かりやすく伝えるため、ゆっくり話したり、頭の中で簡単な言葉に変換して話したりするので、私のボケ・老化防止の助けにもなり一石二鳥。このため、これらの支援活動は全てボランティアですが、お金とは別の対価を得ることができ、非常にやりがいを感じています。
―初めこそ慣れないことで大変だったものの、その後は今日まで順調にご活動を?
残念ながら、そうは問屋が卸しませんでした。70歳の時に病気になり、入院することになったのです。先ほど、70歳まで働きたかったとお話ししましたよね。丁度、70歳のときでした。神様に「もうやめろ」と言われている気がして。治療には抗がん剤が使われたので、髪は抜けるし、抗がん剤を打った直後は動けないし、かなり大変でした。ただ、入院中も相談は変わらず来ていたので、ベッドに横になりながらパソコンで書類を作ったり、私が講師として実施する予定だった講演会に参加するため、前日に無理やり退院して講演したりするなど、体に鞭を打って活動しました。結局、半年ほど入退院を繰り返して日常生活を送れるほどには回復しましたが、これまでのように、労働問題などでバタバタ動き回ることは難しくなりました。このため、徐々にメインの活動を日本語教室や料理教室にシフトしていき、今年3月には社労士も廃業。それでも相談は絶え間なく来るので、できる範囲で対応に当たっています。
―紆余曲折ありながらのご活動ですが、実際に活動を始めてみて感じることは?
大変なこと、驚くこと、嬉しかったこと、活動を通して感じたことは多々ありますが、今でも大変だと思っていることは言葉の壁ですね。言葉が通じない。外国人から相談を受ける際は、言語によって担当の通訳の人に同席してもらうのですが、通訳の人も完璧な日本語を話せるわけではないので、相談者の言い分を正確に理解するまで時間がかかります。加えて、通訳の人が自分の解釈や意見を織り交ぜて訳すこともあるので、私の言い分が正確に伝わってないこともしばしば。こうしたコミュニケーションの部分は、通訳の人たちに経験と知識を積んでもらって改善していきたいところです。
とはいえ、嬉しいことももちろんありますよ。現在、私の日本語教室で学んでいる実習生の女の子がいるのですが、彼女は、先日、航空機のチケットやホテルの宿泊予約を全て一人で行い、格安でディズニーランドに遊びに行ったそうです。初めて教室に来たときはほとんど日本語を話せなかった彼女が、自力で国内旅行ができるほどに成長している姿を見て嬉しくなりました。今度は韓国旅行を計画しているのだとか。
技能実習生制度については、新聞やニュースで悪質な労働問題ばかりが取り上げられることに加え、「それは制度の問題ではなく法律の問題ではないか。人間のモラルの問題ではないか」という事案も多く、なんでもかんでもひとくくりに“実習生制度の問題”として報道されている印象です。このため、世間一般の人々にとって、この問題を正確に理解することは難しく、また、制度や実習生に余り良いイメージがないかもしれません。しかし、少なくとも実習生に関しては、先ほど紹介した彼女のように、自身の置かれた環境で友達を作り、実習をこなしながら楽しく暮らしているのではないかと思います。
―今後取り組みたいことは?
終活ですかね(笑)。半分冗談、半分本気です。病気のことがありますから、どうやって自分の一生を終わらせるかということは常に考えています。もちろん、できる限り支援活動は継続するつもりです。その点、今後は、外国人に向けたセミナーがたくさん開催できたらいいなと。冒頭、最初に受けた大きな相談は労働問題だったと言いましたが、最も多い相談は行政手続きやビザ、偽装結婚、DVなど、生活に関する相談なんです。外国人の方は日本の法律や制度をほとんど知りませんし、知っていても理解できている人はほとんどいません。なので、日本で生活する上で最低限、知っておいた方が良い法律や制度について話すセミナーを開催したい。セミナーで外国人が集まれば、集まった人たちで新たなつながりができ、一人で抱え込んでいた悩みも相談できるようになるかもしれません。セミナーの開催には、こうした二次的効果の狙いもあります。
―最後に、これまでの活動を踏まえて、小松さんの思いを聞かせてください!
今日まで、たくさんの外国人、とりわけ技能実習生からいろいろな相談を受けてきました。中には、新聞で取り上げられるような悪質な問題を抱えた方もいました。こうしたリアルな部分を間近で見てきて思うことは、日本人と外国人がお互いを理解しようとする心を持つことが最も重要だということです。特に、技能実習に関わる部分で言えば、雇う側の、「日頃、これだけ面倒を見てやっているのだから、多少の残業代くらい見逃してくれ」という日本人気質な解釈はナンセンスですし、実習生側も、“技能実習”という技術を学ぶ名目で来日しているのだから、実習そっちのけで結婚や出産をして帰国するという行動は慎むべきだと思います。日本人と外国人では生まれた環境や文化が大きく異なります。したがって、お互いの常識は通用しません。そのことを心に留めて、少しだけ相手に寄り添う、思いやる。それだけで、みんなが今よりも暮らしやすい世の中になるのではないでしょうか。そのような未来が来ることを願っています。
●プロフィール
1947年生まれ(77歳)、広島県出身。55歳(2002年)で選択定年したのち、社会保険労務士の資格を取得し、「小松社会保険労務士事務所」を設立。同時に、広島県内に住む外国人の支援活動を開始。2008年に「フィリピン人労働者を支援する会」を立ち上げて活動を本格化。2024年3月に社労士を廃業。今日まで、主に技能実習生からの相談受付や日本語教室、料理教室を通じて、外国人を支援する活動を継続している。