【世界に羽ばたく広島人 】
Vol.3 「特定非営利活動法人カンボジアひろしまハウス協会」・友廣壮希さん

【世界に羽ばたく広島人 】


世界中から人々が集う地・広島。宮島や原爆ドームなどの観光にとどまらず、広島を舞台に活躍する外国人が増えています。その一方では、広島と世界の架け橋となり、多文化共生の一助を担う日本人も多くいます。様々な国籍の“広島人”へのインタビューをどうぞ!

カンボジア国内で、貧困家庭の子供たちに食料・教育支援などを行う「特定非営利活動法人カンボジアひろしまハウス協会」。協会の現地マネージャーが広島出身で、元プロサッカー選手という異色の経歴を持つ友廣壮希さんです。友廣さんは、どのようなきっかけで活動を行うようになったのか?今後、どんな未来を見据えているのか?協会の今後の展開や活動に込めた思いを聞いていきました。

友廣さんがひろしまハウスの活動を始めたきっかけは?

活動を始めたきっかけはサッカーなんです。なぜサッカーからNPO?となると思うので少し詳しく説明しますね。

僕は大学までずっとサッカーをしてきました。大学3年生のとき、プロサッカー選手を目指そうと思いましたが、当時の自分にはJリーガーとして生活していけるほどの実力はなく、どうしようかと迷ったのち、海外で挑戦する道を選びました。そして、2014年、大学4年生の時にタイのプロサッカーチームに入団テストを受けに行きましたが、結果は不合格。その後、知人に紹介してもらったカンボジアのサッカーチームのテストに合格することができ、カンボジアでプロサッカー選手として歩み始めました。最終的に2020年までカンボジアでプロとしてプレーすることになりますが、2016年に転機が訪れます。

僕が所属した「カンボジアン・タイガーFC」(現在のチーム名はアンコールタイガー)では、『1Child 1Ball Project』という活動を通して、支援者から寄付していただいたサッカーボールを、カンボジア全国の子供たちに届ける活動を行っています。カンボジアでサッカー選手というのは子供たちの憧れの的ということもあり、ボールを手にした子供たちは大興奮。どこに行っても喜ばれました。このプロジェクトに取り組む中、2016年、現地の学校に通うことができない子供たちが集まる“ひろしまハウス”という施設を訪問。僕はここで初めて、この施設の存在を知ります。ちなみに、“ひろしまハウス”というのは僕たちの団体名「カンボジアひろしまハウス協会」の一部でもあり、現地にある建物の名称でもあります。

初訪問以降、『1Child 1Ball Project』やサッカー教室など、チームの活動として何度か“ひろしまハウス”に足を運びました。また、施設の設立に、カンボジアに住む知人(日本人)が関わっていたと知り、彼から「カンボジアひろしまハウス協会」について話を聞くこともできました。このようにして、少しずつ協会の活動に参加するようになり、2017年に「現地の代表者として活動します」と協会側に伝え、本格的に携わるようになりました。

元プロサッカー選手だったとは驚きです。現地責任者となったときの様子をもう少し詳しく教えてください。

当時、“ひろしまハウス”内部の活動は別のNPOが担当していて、学校に行けない子供たちへの教育や、食事の提供を行っていました。このため、協会としての役割は、建物の維持と、常駐するスタッフの管理のみでした。しかし、2017年頃、ハウス内部の活動を担っていたNPOの資金が底をつき、活動を継続できなくなったと連絡が。この頃、“ひろしまハウス”には50人くらいの子供たちと数名の先生がいたので、「彼らを見捨てるわけにはいかない」という思いから活動を引き継いだものの、「カンボジアひろしまハウス協会」にもまとまったお金はありません。

ひとまず、資金を集めるためにクラウドファンディングを開始し、無事、半年分ほどの活動資金を集めることはできましたが、具体的な使い方を決めないまま集めてしまったので、どのように資金を配分するかを考えるのが大変でした。集めた以上、きちんと活用する責任はありますからね。そこでまずは、資金があるうちに日本で会員を集めて、会費で運営費用を賄えるようにしようと思いました。この計画がなんとかうまくいき、安定して会費が集まるようになって、ほっとしたのも束の間、資金の次の使い道を考えなくてはなりません。このタイミングで、『半端な関わり方ではやっていけない。現地の責任者として活動しよう』と決心し、協会側に「代表者をやります!」と伝えました。

その後、活動はどのように進めていったのでしょうか?

最初は、“ストリートチルドレンが集まれる場所を作ろう”という感じで、「ひろしまハウスに来たら勉強ができるよ」、「文字の読み書きを教えるよ」、「お昼ご飯も食べられるよ」というように、こちらが一方的に施しを与える活動でした。しかし、年々、カンボジアという国がものすごいスピードで経済発展を遂げるにつれ、必然的に求められる活動もどんどん変化し、単なる施しだけでなく、継続した教育の実施や、“ひろしまハウス”で育った子供たちが社会に出て収入を得るということまで見据えた取り組みが必要になってきました。

こうした時代の変化に合わせて、僕たち自身の意識も変えていったし、子供たちに対する先生の指導方法なども少しずつ変えられるよう工夫していきました。現在の目標は、子供たちを大学まで進学させること。大学まで進学できれば、きちんとした給料をもらえる仕事に就けるので、低所得世帯の負のサイクルから抜け出すことができるのではないかと考えています。したがって、今、勉強で力をいれているのは、母国語(クメール語)、日本語、英語の三か国語と、パソコンです。現在のカンボジアでは、外資系企業で働くことが一種のステータスであり、給料も高いので、将来に役立つよう、第二外国語の取得とワード・エクセル・パワーポイントなどの簡単なパソコン操作を身につけさせています。

時代によって活動方針を変えるというのはかなり苦労もあったのでは?

そうですね。一つ課題を解決したらまた一つ課題が出てくるといった感じで、日々、試行錯誤の連続でした。中でも、現在進行形の悩みの種は先生たちに対する教育です。子供たちが将来、大学・社会に出て一人前になれるようにと考えたとき、カンボジアの貧困層・低所得者層の子供たちに圧倒的に不足しているものがあります。それは、小さな成功体験です。カンボジアの学校というのは、日本でいう学習塾のようなイメージで、いわゆる主要5教科しか学びません。近年になってようやく、副教科と呼ばれる体育や美術の授業を取り入れる学校も出てきましたが、基本的にはテストのために勉強をする場所でしかなく、日本のような体育祭や、文化祭はありません。このため、生徒が主体となって何かを成し遂げて達成感を感じることや、活動する中で課題という壁にぶち当たり、苦労して乗り越えるといった体験ができないんです。

先生も同じです。学生時代は今の子供たちと同じような生活を送ってきましたから、勉強以外の体験をほとんどしたことがありません。なので、僕が先生たちに対し「子供たちが主体的に取り組める企画を考えましょう」、「子供たち自身が考えて、この課題を解決するためにはどんなアドバイスをしたら良いと思いますか?」などと聞いても、どう考えたらよいか分からず、答えはでません。先ほど、力を入れている教育に語学とパソコンを挙げましたが、もう一つ、“小さな成功体験を子供たちに経験してもらう”という活動にも力を入れています。中間層以上の子供たちは、習い事に行くなどして、お金で成功体験を買っていますが、“ひろしまハウス”に集う子供たちにお金はありません。そうであるならば、「僕たちがやるしかない」、「体験を創出するしかない」という思いから、まずは先生に対して、子供たちへの伝え方や指導方法を教育しているところです。

―“ひろしまハウス”は生徒も先生も成長できる場なのですね。ところで、なぜ、“ひろしまハウス”なのでしょう?

すみません。きっかけや活動の説明に夢中で根本的な説明を忘れていました(笑)。今更ですが、由来をご説明しますね。

設立のきっかけは、1994年に開催された「広島アジア競技大会」です。当時、内戦直後のカンボジアでは、遠く離れた広島に選手を送り出すことが困難な状況でした。しかし、このことを知った広島市民が「ひろしま・カンボジア市民交流会」(「カンボジアひろしまハウス協会」の前身団体)としてカンボジア選手を支援してくださり、無事、大会に参加することができました。大会後、カンボジアの首都・プノンペンにあるウナローム寺院内への“ひろしまハウス”建設の話が持ち上がり、2006年に完成しました。当初は、自国での内戦やポル・ポト派の虐殺によって悲惨な体験をしたカンボジア人に原爆で壊滅した広島の歴史を知ってもらい、復興に向けて立ち上がってほしいという目的で設立されたそうです。カンボジアと広島のつながりはとても長く、そして深いわけです。

なるほど。となると、広島でも何かしら活動をされているのでしょうか?

残念なことに、現在、広島での活動はほとんどできていません。これは、今後の大きな課題の一つです。現状、広島で活動ができていない要因としては、“ひろしまハウス”やカンボジアの認知度の低さがあると思います。“ひろしまハウス”のことを知らない人が多いというのは承知の上ですが、そもそも、カンボジアという国について皆さんご存じですか?『カンボジアってどんなイメージですか?』という質問に対し、何か答えられる人は少ないのではないでしょうか。まずは、この現状をどうにかしたいですね。皆さんご存じないと思いますが、カンボジアにはイオンが3店舗もあるし、日本の醤油メーカーであるキッコーマンもあり、意外と日本人になじみ深いものが多いのです。食にしても、主食は米ですし、味付けは基本薄味なものの、醤油を使うので日本人が食べてウッとなる料理はほぼありません。元々フランスの統治下だったので西洋の文化も多く入っています。このように、日本人にも身近な文化があるということからまず知ってもらい、カンボジアに興味を持ってもらいたいですね。

余談ですが、2020年まで、カンボジアでサッカー選手として生活していたことはお話したとおりですが、その後は、祖父が立ち上げた「友鉄工業株式会社」の社員として、カンボジア出向という形で勤務しながら、協会の活動に携わってきました。今後は、広島で生活しながら“ひろしまハウス”の運営に関わっていくことになるので、今までできなかった広島での取り組みを加速するつもりです

最後に、友廣さんが思い描く未来の“ひろしまハウス”について聞かせてください!

今後、“ひろしまハウス”の活動としては、収益事業に取り組みたいと考えています。現在、活動資金源は日本の会員費用がほぼ100%を占めており、もし、日本からの支援が途絶えたら活動もストップしてしまうことになるので、カンボジア国内で資金調達ができるようになればと思います。具体的には、“ひろしまハウス”で現在使われていないスペースを有効活用し、写真や絵の展示会を開催して入場料をもらったり、レンタルスペースとして賃料をもらったりすることを計画しています。展示会については、昨年、実際に開催して良い感触を掴んでいるので、いろいろと形を変えながら挑戦する予定です。最終目標としては、今、“ひろしまハウス”で勉強している子供たちが大人になって就職したのち、先生として戻り、運営に携わるというサイクルを構築したいですね。こうなると、もう僕たちの手助けは不要であり、多少、支援することはあると思いますが、“カンボジア人の活動をカンボジア人がサポートする施設”が誕生します。これがベストです。

併せて、広島においては、活動にきちんと対価を支払えるような仕組みを作りたい。NPOの活動は、ボランティアというイメージが強く、実際、僕も協会の活動に対する給料はもらっていません。しかし、今後、活動を継続していこうと思うと、活動に参加してくれる人材が必要なので、今の活動をもっと発信して多くの方に興味をもってもらい、活動に参加してくれた方には対価をしっかりお支払いする。こうした仕組みも含めて一緒に考えてくれる人が出てきてくれたら嬉しいです。

●プロフィール

「特定非営利活動法人カンボジアひろしまハウス協会」友廣壮希

1991年8月21日生まれ、広島県出身。
2014年~2020年までカンボジアでプロサッカー選手として活躍。プロ生活中に「特定非営利活動法人カンボジアひろしまハウス協会」と出会い、2017年から同協会の現地マネージャーとサッカー選手を両立しながら活動に従事。
2020年以降、祖父が立ち上げた「友鉄工業株式会社」において、カンボジア出向という形で勤務しつつ、現地マネージャーを継続。
2024年4月に帰広。同社営業部に所属し、引き続き、リモートと出張をベースに同協会の活動に携わっている。
今後は、個人としてだけでなく、友鉄工業のCSRの取り組みの一つとしても協会の活動に関わる予定。

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