【広島人の履歴書】
File.15 小林正浩さん 株式会社アイランドオート 代表取締役 《後編》

【広島人の履歴書 】


広島と縁のある各界のオピニオンリーダー自らが語る今日までの足跡。知られざるエピソード満載の履歴書(プロフィール)には、現在を生きるヒントが隠されています。

クルマ屋に続き、技術者の派遣会社を設立
使命は「人を喜ばせ、感動を与えること」

広島スバル自動車のサービス部門に入社したのち、セールス部門への異動を志願して20年余り。トップセールスとしての地位も確立して順風満帆だった日々に見切りをつけて「自分で何か事業をやってみたい」とすっぱり退職したのは良いけれど、思いが先走っただけで、さしたる目的や計画があるわけではありません。さて、何から始めるべきか?と知恵をしぼっていたところ、同じ大崎下島出身で他社のカーディーラーに勤めていた先輩から「ちょっと話があるんじゃけど」と声をかけられたんです。呼び出されたのが夜中の1時頃、流川のテレフォンクラブだったので、何の話かもわからないまま足を運んでみると、「わしと一緒にクルマ屋をやってみないか」とのお誘いでした。予想もしなかった急な展開に、わたしも一応、スバルのトップセールスになった自負もあり、最初は「やめときます」と断ったのですが…。その後、居酒屋に場所を移して、先輩から口説かれ続けるうちに酒に酔った勢いで、ついつい「カンパーイ!よし、やりましょう」と応じてしまいました。冗談のような話ですが、男の約束なので、これで先輩とタッグを組んで独立することが決定。現在に続くわたしの新しい物語の始まりです。

「アイランドオート」設立

島(=アイランド)育ちの2人に由来して決めた「アイランドオート」を屋号に、クルマ屋をやることにはなりましたが、開業資金はもとより、店舗もなければ、売る車もなし、手元にあるのは携帯電話だけでした。全くゼロからのスタートなので、まずは開業資金を貯めるため、できることからやってみようと着手したのが車の転売です。幸い、わたしにはスバル時代のお客さんを筆頭に知り合いが沢山いたのでマイカーを売りたい、買いたいという情報がいくらでも集まります。しかもセールスに関しては、これまでトップでやってきた自信がありますからね。お客さんが所有する車の売買ならば、店舗も在庫を持たないで済む利点もあるし、ひたすら頑張るのみ。無我夢中で動いてみると、先輩と2人で月に30台くらい売れました。

そんなある日、先輩が安佐南区大町東3丁目にあるクルマ屋が廃業するという話を聞きつけてきました。同業者が使用していた跡地ならば、店舗を開設するのにちょうど良いので大家さんに会いに行くと、以前の借主の廃業で懲りたのか、最初は「クルマ屋にはもう貸したくない」と断られたんです。しかし、わたしがこれまでのスバルでのセールス実績や経歴を伝えて粘り強く交渉すると、安心していただき、よほど信用してもらえたのか「わかった。とりあえず、3か月間は家賃もタダでいいのでやってみんさい」とのこと。大家さんのご厚意に後押しされ、店舗兼事務所を構えると営業に拍車がかかり、資金も順調に溜まっていきました。唯一の気がかりといえば、我が家はまだ子供も小さいので心配かけてはいけないと思い、女房に会社を辞めてアイランドオートを始めたのを何も伝えていなかったことです。独立後も生活費はきちんと渡していたのですが、半年ほど経った頃、ついにばれてしまいました。「あんた会社を辞めとるじゃろ。リストラされたんね!」と詰め寄られたので、これまでの経緯を話すと「じゃあ、私が事務員をするわ」となり、事なきを得た次第です。

こうしてゼロからの船出にもかかわらず、人のご縁に恵まれ、とにかくやる気に満ち溢れていたので休みも取らずに、ひたすら営業したところ、面白いように仕事がとれ、半年くらいで年間の損益分岐点をクリアーできました。そして1年が過ぎる頃には、わたしと先輩に事務員の女房、整備のスタッフ1人も加わり、5人体制に。更なる業容拡大を見据えて2003年3月に個人事業から有限会社に組織変更しました。

「インシストコーポレーション」始動

アイランドオートが初っ端から軌道に乗り、仕事が楽しく充実した日々を送りながらも、わたしの中には、まだまだエネルギーが有り余っているので自動車だけを扱う現状に満足できません。次は自分1人で何か新しい会社をやってみたくなりました。これまでと同様に何をするのか?は決めていないのですが、いま生業としているクルマにも別段興味があるわけではなかったし、どうせなら全く関心のない不得手な分野のビジネスに挑戦してみることに。ちなみに当時のわたしはアイランドオートの事務所にパソコンを導入しても退社する時はコンセントを抜いて帰宅するくらいコンピュータに疎かったので、ふと頭に浮かんだのがパソコン関連の事業でした。なんの根拠もなしに「これからパソコン関連の商いをして社員100人くらいの規模の別会社でも作れば、自分の生きた証ができる」と、無謀な夢を思い描いてしまったんですよ。

さすれば、いつも通り、あるのは“やる気”だけ。何をやるかの具体的なことは一つも決めないまま、2004年12月、やる気と頑張りにつながる意味の英語「insist(=主張する・強調する)」を社名とする有限会社インシストコーポレーションを立ち上げ、クルマ屋で儲かった資金があったので、取り急ぎ西区三篠町のワンルームマンションに事務所を構えました。さて、パソコン関連の事業をするとは決めたものの、わたしは恥ずかしながらYahooで買い物をしたり、アダルトサイトを観賞するくらいで難しい操作はもちろん、パソコン自体がよくわかっていません。アンテナだけは張り巡らしていると、パソコン関連の仕事でCADの指導をされている方と出会い、CADとか3Dがなんのことやらさっぱりわからないまま話をしていくうち、思わず「それだ!」と閃きました。その人はCADの中でもCATIAという最高級かつ高性能な3次元ソフトを使われていたんです。難しいことはこの際、無視して「そうだ、CATIAを使ってCADを教える学校を作れば良いかも」との考えが浮かび、実現するのに必要な設備投資の費用を尋ねてみたところ…。「CATIAを20台くらい用意するには200万円くらいで足りますか?」と高をくくっていたら、なんと2億円以上はかかるとのこと。ひとまず、学校を作るアイデアは白紙にしましたが、代わりに企業にCATIAを指導できる人材を派遣することを思いつきました。

思い立ったが吉日、その需要を確かめるため、広島市内でCATIAを使ったCADを実践している企業を探してみると大手建設機械メーカーのコベルコ建機株式会社に辿り着いたんです。例によって「まずは行動あるのみ」のわたしが飛び込み営業をかけたところ、守衛さんに「アポはとってありますか?」と門前払いされ、あえなく撃沈。しぶとく何度か訪問を繰り返すうちに、知り合いを通じて中国語と英語が話せるCADの指導に適した女性や、コベルコの該当部署にパイプを持つ関係者とご縁ができたり、追い風も吹いてきて、なんとか担当者の方と話し合いのテーブルに着くことができました。流石に神戸製鋼グループの大手企業とあって、そう簡単に話は進みませんでしたが、取引を成功させるため、大急ぎで人材派遣業の許可証を取得したり、派遣スタッフを募集したり、時にはハッタリもかませて対処して、立ちふさがる課題をクリアー。めでたくインシストコーポレーションの社員に雇った女性技術者を派遣第1号としてコベルコ建機に送ることができました。これを機にコベルコさんとの付き合いが始まり、ウチから派遣させていただく技術者の数も10人くらいまで増え、会社としても体裁が整い始めたんですよ。

ピンチはチャンス 俺の時代が来る!

コベルコさんを皮切りに技術者の派遣会社としてインシストが機能し始めた矢先、世界中を襲ったのが金融危機“リーマンショック”でした。製造業などの多くの企業でリストラの風が吹き荒れ、職を失った設計やエンジニアなどの技術職にとって高い時給が見込める人材派遣会社の人気は高く、職安に求人を募集したら山ほど人が面接に来るんですよ。なんだか不況が企業に混乱を招くリーマンショックというピンチは自分にとってはチャンスに思えてきて、事務所で雇ったばかりの事務員さんに「やっと俺の時代がくる!」とほくそ笑むわたし。技術的なことや専門的なことは一切わからないまま、インシストの社長として面接に臨み、1日10人くらい、最終的には50人以上を面接しました。そして、派遣する仕事がまだ1社も決まっていないのに、喋りが上手くて人当たりが良さそうな人を3~4人社員として採用したんです。

新たに社員を採用したのは良いけれど、世間はリストラや派遣切りの真っ只中でした。なかなか派遣する先もありませんが、わたしの場合は、どんな時でも「即行動」が信条です。「待つな!攻めよう!」と社員を鼓舞すると、広島県下の大手企業やメーカーへの営業訪問を開始。それからの1年間は、わたしも社員と一緒にスーツ姿で県内を隅から隅までかけ巡りましたが、営業行脚を続けていたある日、社員の1人がシャープさんの子会社でガラケーの設計の仕事を受注してきました。担当者の方に会って、それまでの経緯などを説明すると、嬉しいことに技術者3~4人を受け入れてもらえたんですよ。その後、リーマンショックが和らぐ頃には、新規採用社員たちがリーダーとして活躍してくれるようになり、インシストの社員も現在は100人まで増えて、会社の基盤ができました。業容拡大に伴い、株式会社に改組した現在(2025年)のインシストコーポレーションの概要は以下の通りです。

《株式会社インシストコーポレーション》
【代表取締役】小林 正浩
【資本金】2800万円
【本  社】〒733-0002 広島県西区楠木町1丁目13-10-101
【大阪支店】〒532-0011 大阪府大阪市淀川区西中島3丁目18-9新大阪日大ビル707
【従業員数】100名(エンジニア派遣60人 請負事務所40人)
【事業内容】
■エンジニア事業部=機械、電気、電子設計・ソフト開発等の業務請負(委託業務)および2D/3D設計・製図作業の請負業務。
■人材派遣事業部=労働者人材派遣業(派34-300511 )
〇自動車関連
ボディー設計 エンジン設計 内装設計 外装設計 空調設計 電子設計 電装設計 ハーネス設計 解析評価 品質
〇機械メカトロ関連

建設機械設計 精密/一般機械 家電製品/OA機器 筐体・機械設計 半導体装置 自動化ライン設備設計 治具設計
〇ハード・ソフトウェア関連
電子・半導体系 制御システム系 ネットワーク系 汎用系 OPEN系
〇CAD研修
3Dモデリング(サーフェイス/モデラー/ドラフティング/アセンブリー)

「みんなの板金屋さん」開業

一方、アイランドオートの方もおかげさまで順調に推移し、2013年19月には対外信用を踏まえて株式会社に改組、従業員も増え、本社に併設した展示場を拡大し「アイランドパーク」を開設しました。地域のクルマ屋として機能強化を目指す中、手狭となっていた駐車場を増やすため、本社にほど近い場所の板金屋の敷地を借りようと訪問したところ、社長と従業員が1人だけのその業者は廃業を考えておられるようでした。なるほど、ディーラーの下請けを手掛けるその板金屋は古びて汚い工場で、話を聞いてみると2年間で来店者はたった1人だったとか。当初は、わたしも板金屋まで手を広げようと考えていませんでしたが、従業員の人が廃業後の進路を決めていないことを知り、彼を採用してウチが引き継ぐことを決めました。

この板金工場を引き継ぐにあたり、わたしが考えたのはディーラーの下請けから直販の顧客のみにシフトすること。職人とお客さんに信頼関係が生まれ、リピーターになってもらえるような店づくりで、女性でも気軽に来店できて、お客さんが「よくやってくれた」と菓子折りを持って遊びに来てくださるような地域密着型の板金屋です。まずは汚く暗い雰囲気の工場を刷新すべく、外観をアイランドオートの基調カラーである海をイメージした鮮やかな青に塗り替えたほか、工場内を徹底的に掃除して設備もリニューアルしました。こうして2015年10月にオープンしたのが板金部門「みんなの板金屋さん」です。サービスの特長は、〇キズやヘコミを即日修理!〇ディーラーにキズやヘコミの修理を依頼すると予想以上の高額な費用に驚くことがありますが、お客様のニーズと予算に合わせてキズやヘコミの修理を行います。〇新品の部品だけでなく、リサイクルパーツであるエコパーツも使用することで部品代の差額を節約し、納得のいく価格と仕上がりを提供します――といったところ。

開業後、店づくりのコンセプトに合わせてわたしが作詞した「価格も納得!仕上がり納得!あなたも納得!みんなの板金屋さん~♪」という軽快なテーマ曲をラジオCMで流してPRしたのも集客の呼び水となったようです。以前は2年間で1人だった来店者が、1ヵ月で30人にまで増えましたからね。もちろん、その中には女性のお客さんも沢山含まれています。

好事魔多し、大事件発生⁉

軌道に乗り始めたインシストに続き、新事業としてスタートした板金部門も好調で「更なる飛躍を」と張り切っていたある日のこと。まさに好事魔多し、「アイランドオートさん、訴えますよ」と事務所に物騒な電話がかかってきたんです。応対すると、半年くらい前にウチが買取した車の代金が未だに支払われてないらしく、電話の向こうで激怒されています。当時、ウチには長男よりふたつ年上で北海道出身の若い営業マンがいたのですが、彼は仕事もテキパキとこなすし、車の事故があれば現場に駆けつけてまで修理の営業をしてくるような優秀な社員だったので、わたしも目をかけて可愛がっていました。信じられないことに、その社員が横領し着服していたのです。大急ぎで、わたしがお客さんの家に駆け付けて土下座しながら、損害賠償などの全責任を負わせていただくことを約束し、改めて彼を問いただしてみると…。出るわ、出るわ、その一件は氷山の一角で、聞くのが怖いくらいほどの横領と着服を繰り返していたのです。その日からウチの役員と一緒に1週間に亘って、深夜ないしは朝まで本人を詰問したところ、被害総額は驚くことに千万単位でした。おまけにわたしの名刺を使って流川辺りで悪事を重ねていたことも発覚したり、もはや詐欺師そのものです。

被害を与えた他の全てのお客さんにも頭を下げて回り、賠償責任を果たしたことは言うまでもありませんが、平気で嘘をつき、時には涙を流して演技する若者に騙されていたと思うと自分がやりきれなかった。その後、北海道の親御さんが損害を肩代わりしてくれることになり、本人が精神的に病んでいたこともわかったので警察沙汰にまではしなかったものの、我が社の黒歴史になりました。今でも彼がカラオケで良く唄っていた松山千春の歌を聞くと腹が立ってきますね(笑)。考えてみると、個人的にも昔から知り合いにお金を貸して返してもらえないことがよくありました。困っている人を助けたくなるのも自分の性分だから仕方ないのですが、これからは、そんな目に合わないよう気を付けたいものです。

人を喜ばせ、感動を与えたい!

それにしもて今日に至るまで本当に様々な出来事がありました。特に起業してからはあっという間に時間が過ぎた気もします。23周年を迎えたアイランドオートについては、共同で創業した先輩とはそれぞれの方向性もあり、違う道をすすむことになりました。代わりに1年半ほど前に次男が入社してバトンタッチする準備ができたし、開業20年を過ぎたインシストコーポレーションの方も信頼できる後継者が育ってくれています。何度も繰り返しお伝えしたようにわたしは、ずっとやる気と行動力だけで生きてきたわけですが、心の中でいつも唱えていたのが「人に喜んでほしい。そして感動を与えたい」ということ。人を喜ばせ、感動させる広島カープと同じように小林ファンになって欲しいんですよ。そのためには車やモノを売るよりも沢山の人に出会い、悩みを聞いたり、人生相談に乗ってあげることの方が自分の本業なのかもしれません。とにかく人が好きで、出会った人を楽しませたいんです。例えば、広島スバルのセールス時代、一度に5組のお客さんの相手をこなしていた展示会の時など、手が回らないのでスーツの胸元の裏地の右側に「いらっしゃいませ」、左側に「ご成約ありがとうございました」とか「ご用が済んだらとっととお帰りください」といった文字の刺繡を施して思わず、くすっと笑われて、場が和むようなことをよくやっていました。そんな些細なことでも人とのご縁が生まれ、続いていけば信用につながっていくものです。

つい最近も、お客さんの葬儀に参列して故人と出会った切っ掛けを思い返してみたら、スバル時代に初めて営業に伺った時にわたしの言動が気に障られたのか「わりゃー!何しに来たんない」と激怒されたことでした。しかし、それからは、なぜか気に入っていただいて子供さんやお孫さんの代までお客さんになってもらえたんです。お客さんの中には、ご自身の遺書に「当家一族が車を買う時は必ず、小林さんのところで買うこと」と記された有り難い方もいらっしゃるんですよ。一方、地域密着型のクルマ屋として日頃からお世話になる安佐南区の方への感謝の意味を込めて、毎年1回、会社の敷地内で「感謝フェア」を開催しています。フラダンスや音楽イベントなど、毎回趣向を凝らして賑やかで楽しい催しを企画すると、土日で700人以上も来場していただけたり、本当に嬉しい限りです。地元に関しては、これまでも会社の近くにある権現山毘沙門天さんにクルマを寄付して感謝されましたが、引き続き、お役に立てることには積極的に貢献していきたいと考えています。

心に羅針盤を持って目的へ進む

アイランドオートを社名に掲げるクルマ屋だけにマリンブルーをイメージカラーとする事務所や展示場の敷地内には、船の備品や椰子の木など、海や島に関わりのあるモノを随所にレイアウトしていますが、中でもお気に入りは実際に使われていた船の羅針盤のコレクションです。なぜなら船乗りの人は嵐や暴風雨に見舞われて真っ暗な海の中でも羅針盤があれば船の進むべき道筋を見つけられます。「夢中に勝るものはない」とばかりに突っ走ってきたわたしですが、心に羅針盤を持っていれば自分の思う目的に必ず辿り着けると思うんですよ。

ところで、夢中になるといえば、仕事となると、思いついたらすぐ行動にしてしまうせいか、ついつい無理もしがちです。わたしの場合、この10年間は正月、ゴールデンウィーク、お盆に10日ずつ休みを取るだけで、大崎下島に帰る以外は日曜日も土曜日もなく会社に出勤しています。結局、仕事というよりも人と会い、人を喜ばせることを考えるのが好きなんでしょうね。そのせいか、不思議なことに毎年休みの初日に決まって体調を崩してしまうんです。例えば、年3回の休日初日にふらっとパチンコ屋に入ると、だんだん天井が回ってめまいがしてきて、「これはおかしいぞ」と病院に行ってみると、気づかないうちに41度の高熱がでていたりしたことも。本来ならば身体を休めて英気を養うはずの休日が逆にストレスになって、どこかに変調をきたす仕事中毒なのかもしれません。還暦を過ぎても、やる気まんまんのエネルギーはまだまだ尽きないので、生涯現役と行きたいところですが、これからは身体のことも労わって少しのんびり人生の良い思い出作りをしようと思います。この履歴書の続きに書けるような面白い出来事や素晴らしい人たちに出会いたいですね。

《小林正浩(こばやし まさひろ)PROFILE》

株式会社アイランドオート代表取締役。株式会社インシストコーポレーション代表取締役。1962年(昭和37年)4月21日、呉市大崎下島(※旧豊田郡豊町)生まれ。広島県立豊高等学校(※1996年廃校)卒業後、広島スバル自動車株式会社(※現・スバル中四国株式会社広島エリア)に入社。整備部門から営業職に転身し、中国地方のトップセールスとして活躍したのち、2003年3月、同郷の先輩と共同で新車・中古車販売を行う有限会社アイランドオート設立。2014年10月、株式会社に改組。2015年7月、一般社団法人日本自動車流通研究所(JADRI)に加盟。買取部門を開始し「買取コールセンター」開設。同年10月、板金部門「みんなの板金屋さん」開設。2016年4月、保険部門設立。2017年10月、1万円リース部門「ジョイカル大町店」オープン。

一方、2004年12月、グループ会社として技術者の派遣事業を行う有限会社インシストコーポレーションを設立(※現在は株式会社に改組)。機械、電気・電子設計・ソフト開発の業務請負(委託業務)およびCAD研修(NX、CATIA-V5、I-DEAS等)を手掛けている。座右の銘「人生は映画。素晴らしい人生を作り上げるのは映画監督の貴方自身」。

【会社概要】
会社名 株式会社アイランドオート
所在地 広島市安佐南区大町東3丁目21-35
TEL 082-831-7890 FAX 082-870-5693
設 立 2003年3月
資本金 5,000,000円
代表者 代表取締役社長 小林 正浩
役 員 育田 真一 原 裕貴
事業内容 各メーカー新車販売、中古車販売、自動車整備、点検、修理、カーエステ(ボディーコーティング、フィルム貼り、ガラスリペア)、自動車買取、オークション代行、保険代理店加盟団体 JADRI/JU広島/TAA広島/HAA広島オートオークション/アイオーク/オートサーバー/一般社団法人 広島県自動車整備振興会
取扱保険 日新火災海上保険株式会社/あいおいニッセイ同和損害保険株式会社
取引銀行 もみじ銀行/広島信用金庫
グループ会社 インシストコーポレーション株式会社        

〇ホームページ
アイランドオート https://island-auto.com/
インシストコーポレーション http://www.insist.co.jp/

〇インスタグラム
https://www.instagram.com/islandauto_hiroshima?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA%3D%3D

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