【広島人の履歴書】
File.15 小林正浩さん 株式会社アイランドオート 代表取締役 《前編》

【広島人の履歴書 】


広島と縁のある各界のオピニオンリーダー自らが語る今日までの足跡。知られざるエピソード満載の履歴書(プロフィール)には、現在を生きるヒントが隠されています。

みかんの島で生まれ育った不良少年が
自動車ディーラーのトップセールスに

生まれ育ちは、島全体にみかんの段々畑が広がる呉市大崎下島(※旧豊田郡豊町)。のどかな田舎の島でやんちゃばかりしていたガキ大将でしたが高校卒業後、自動車ディーラーへの勤務を経て起業、いつの間にか20余年の歳月が過ぎていました。現在は、広島市内で新車・中古車の販売・修理・車検・整備からカーリース・レンタカーまでを扱う株式会社アイランドオートとエンジニアなどの人材派遣を行う株式会社インシストコーポレーションを経営しています。今日に至るまでの足跡を振り返ると、決して平坦な道のりではなかったけれど、わたしの場合は何事に対しても“やる気まんまん”で取り組み、常に「失敗は成功のもと」と開き直るため、危機を迎えてもあきらめないし、失敗や挫折を感じたことがないんですよ。仕事というよりも、とにかく人が好きで「お客さんに喜んで欲しい」ということだけで、これまでやってきたから今があると思っています。還暦を過ぎるまで「まずは、行動あるのみ!」と遮二無二突っ走ってきた自分の半生を綴ってみますので、お付き合いください。

大崎下島の腕白坊主

わたしは昭和37年(1962年)4月21日生まれ。瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島の一角にある大崎下島で、地元出身の両親の間に男兄弟3人の次男として生を享けました。海に囲まれ、豊かな自然が溢れるこの島は、明治時代に早生温州みかんを導入し、大長みかんや大長レモンなど、広島県内有数の柑橘産地として知られています。我が家も父が鉄工所を経営する傍ら、兼業農家を営んでいました。ちなみに自宅は目の前がすぐ海なので2階から竿を振ると、家の中からいつでも魚釣りができるのでクーラーボックスが要りません。外に一歩出れば、あたり一面に広がるみかんの段々畑と穏やかな波が押し寄せる海がすぐそこにあるという腕白盛りの子供にとって、遊び場には困らない環境の中で元気いっぱいにすくすく育ちました。

幼稚園を卒業して豊町立久比小学校(※2002年豊小学校〈初代〉に統合)に上がる頃には、すくすく育ちすぎて?近所でも評判のガキ大将になっていましたね。勉強はさっぱりダメでしたが、幼い頃から家の周りの段々畑を走り回っていたせいか?足が速くて運動神経がいいし、柔道を習っていたのでケンカで負けたことなし。いわゆる“ガンボたれ”で、友だちを泣かせては よく叱られたものです。とはいえ、みんな島育ちの幼馴染なので、ケンカ相手を含め、小学校時代の同級生とは、いまでも全員とLINEでつながっているんですよ。

中学校は島内の久比、大長、御手洗、沖友地区の生徒が集まるので3クラスあった豊町立豊中学校(※現在は廃校)に進みました。相変わらず、やんちゃでしたが、スポーツには自信があるので、とりあえず野球部に入部することに。ところが、みかん畑で鍛えた自慢の足の速さが陸上部の選手を凌ぐほどだったので陸上部に引っ張られ、そのまま入部したんです。自分の得意な競技とあって真面目に練習に取り組むと次第に結果も付いてきました。地区や県の様々な大会で優勝する機会も増え、高校の陸上部から「ウチに来て欲しい」とスカウトの声もかかったくらいです。

高校時代は不良まっしぐら

有難いお誘いもいただきましたが、結局は家から通うのに近い広島県立豊高等学校(※1996年廃校)に進学しました。なぜなら、わたしは高校生になってスポーツや勉強をするよりも「まずは遊びたい!」という気持ちの方が強かったんです。言ってみれば、自分がやりたいタイミングではなかったのでしょう。さて、入学した当時の豊高校といえば、地域のヤンキーや不良が集まる学校として有名で同級生も先輩も地元の知り合いばかり、しかもみんな札付きのワルでした。この環境で勉強やスポーツに励むまともな高校生活が送れるはずもなく、それを承知で自ら飛び込んだわたしも迷うことなく不良の道まっしぐらです。今となっては恥ずかしい限りですが、3年間、教科書を買った覚えがないくらいだし、悪いことも沢山やりました。バイクに乗って仲間と暴走するのは日常茶飯事、担任の先生をぶん殴ったり、大崎下島と仁方桟橋を結ぶフェリーの屋上に隠れて無賃乗船したり…自分がしでかした悪行の数々は、ちょっと思い出すだけでも枚挙にいとまがありません。

悪さばかりしながらも不良仲間と過ごす毎日が夢のように楽しく、まさに青春を謳歌していましたね。先生からはいつも「お前たちはこのままでは世の中に通用せん人間になるぞ」と言われたものです。ただ、学校以外でのわたしは、ご近所のお年寄りやおばちゃんたちに挨拶を欠かさず、明るく優しく接していたので実は意外と評判良かったんですよ(笑)。あと余談ですが、時を経て同窓会を開いた時、自分が殴った先生にも来ていただいた時は感無量でした。こうして普通ならば退学になってもおかしくないほど、悪さをしたり、遊び惚けた高校3年間も卒業の時期を迎え、端から大学進学などできるわけないので選択の余地は就職のみ。特にやりたいこともなく、「さて、どうしようか?」と迷っていると、親がコネを使って福山市のトラック販売会社の整備部門への就職を決めてきたんです。

整備士の仕事に就く

わたし自身、整備の仕事など全く興味もないし、無理矢理入れられたようなものですが、まずは仕事を覚えるために朝から晩まで真っ黒になって現場で作業していました。しかし、もともと、やりたい仕事でもないので日が経つにつれ、5年後、10年後の自分の年齢に当たる先輩たちの姿を見ていると、「このままでいいのか?」との思いが頭をめぐり始め、この会社で働くのが嫌で嫌でしょうがなくなってきたんです。結局は、その思いが抑えられなくなり、1年も経たないうちに退職してしまいました。無職になったので、一度故郷、大崎下島に帰り、しばらくはパチンコに興じたり、畑仕事を手伝ったりしてプラプラ過ごしていたのですが、流石にその状態をつづけるわけにもいきません。自分のやりたいことをなかなか見つけられないので、差し当たり職業安定所に足を運んでみることに。職探しの窓口で1年足らず携わったトラックの整備業の職歴を伝えると、経験が生かせるということで広島市の広島スバル自動車株式会社(※現・スバル中四国株式会社広島エリア)を紹介されました。

それまでと同様に自動車関連など興味のない分野で、スバルとダイハツが同じ会社だと思って友だちに笑われたくらいですが、職安に紹介された手前もあり、勢いのまま面接に向かうと…。何しろ、この頃のわたしは田舎の島の不良上がりで社会人としての常識など無縁な人間です。就職の面接にスーツを着ずに普段着のまま、しかも足元はゴム草履で臨んでしまいました。面接担当者の人も驚き、眉を顰められたことは言うまでもありません。ところが、人生何が起こるか分からいないもの。履歴書の趣味の欄に書いておいた“陸上競技”の文字に1人の部長さんが目を留められ、「あなたは陸上経験者ですか?自分の息子も陸上の選手だったのだけど、知っていますか?」と尋ねてこられました。「面識があります」と応えると、すぐ息子さん本人に連絡してわたしのことを調べたようで「足が速いので有名な選手だった」と伝えられたとか。結果的には、これが決め手になって広島市西区中広の本社の車検整備部門に採用されたんです。たまたま運に恵まれて知名度のあるカーディーラーに入社、この会社で培った経験が自分の人生を切り開く礎になるとは思いもよりませんでした。

営業に転身、トップセールスへ

入社後、20歳過ぎの数年間は、広島スバルの自動車のサービス部門の整備士としてクルマの点検や車検、修理などに従事していました。ある時、ネクタイを締めてスーツ姿の電話会社の営業の友人が遊びに来た際に、なぜかその姿がうらやましくなり、自分も作業服を脱いでスーツ姿で営業の仕事がしたいと思うようになったんです。当時この会社では、サービス部門からセールス部門へ異動を申し出る者はおらず、腹を決めて営業部長に移籍をお願いしてみると、すぐに断られました。それもそのはず、髪型からして不良丸だしのリーゼントだし、ケンカっ早い奴と評判のセールスマンとしてお客さんの前に出せるはずがありません。それでも「なんとかセールスにして欲しい」と食い下がると、渋々ながら「キャンペーン中に10台の客先を紹介できたら考えてもいい」という条件を提示されたんです。与えられたチャンスを無駄にするわけにはいかないので早速、例の電話会社の友人に連絡して彼の電話の営業先をわたしが紹介する代わりにクルマの客先紹介を頼んだところ、なんと半年くらいで課題を達成できました。移籍するための条件をクリアーし、希望が叶った次第です。

念願のセールスに移ったわたしは、まずは恰好から入ろうとスーツを新調し、ネクタイを締めてやる気まんまんでした。「気分一新、張り切って仕事に取り組むぞ!」と威勢だけは良いのですが、営業研修などの教育を受けずに現場に飛び出したのでセールストークもよくわかっていません。事務所にかかって来た電話に元気いっぱいに「広島スバルなんですが!」と対応して、「なんですが!なんて対応があるか」と上司から大目玉を食らったりしたことも。まずは喋り方から勉強しないといけないと気を引き締め、先輩に同行した客先で後ろから先輩が応対する様子を見て、気づいた点を考えてみたりするうちに、自分なりに営業のテクニックを身に付けたいと思うようになっていきました。

セールスとなって1ヵ月ほど過ぎると新規顧客のネタも底をついてしまいます。何か打つ手を模索していると、スバルでは社員にクルマを売っても成績になるという情報を耳にしたんです。このシステムを知ったわたしは古巣でもあるサービス部門に差し入れのカップヌードルを山ほど抱えて顔を出し、かつての整備の同僚に向けての営業をスタート。みんな気心が知れた仲なので1人に売れたら連鎖反応も生まれ、2カ月目にして10台売ることができました。その話が当時の社長の耳に届き、朝礼で「サービスからセールスに異動して来たばかりの小林君が顧客のネタもないのに社員に10台販売した。これはすごい!」と褒めていただけたたんです。社長の激励で自信がついたわたしは、3か月目から営業先のお客さんと対話する際に「どうすれば売れるのか?」をより深く考えるようになり、「売るためには人に喜んでもらうことが一番大切だ」という持論に辿り着きました。この考えを実践していったところ、1年後には広島の営業所で一番よく売るセールスマンになれたんですよ。

一方、プライベートでは、セールスに異動した25歳の頃に大崎下島の幼馴染で16歳の頃から付き合ってきた女房と結婚し、2人の息子を授かりました。家族ができて励みになったのか、仕事の方もそれまで以上に波に乗り始め、スバル(※当時は富士重工)のディーラーの中でシルバー賞やゴールド賞といったトップセールスを表彰するタイトルも受賞。自分の仕事が評価され、自信がついた勢いで3年目には中国地方のスバルで一番よく売るセールスマンになることができました。その後も月に15~20台の販売ペースが続き、ついには自分が目標としてきた全社でトップセールスを5~6年続けるといただける「スバル大賞」も受賞できるなど、セースルの現場に立つのが楽しく、毎日が充実していましたね。そして35歳くらいで課長のポストにも就けたのですが、ずっと目標にしてきたスバル大賞も取れたし、40歳を前にして、この会社でのひと区切りがついたような気がしてきたんですよ。同時に「自分で何か事業をやってみたい」という思いも膨らんできました。起業して何をやるべきかはまだ全く考えていませんでしたが、日増しに独立したい気持ちは募るばかり。自問自答した結果、いつもの如く「まずは行動あるのみ!」で、20年ほどお世話になった広島スバル自動車に別れを告げて、新たな挑戦に踏み出すことを決めました。《後編に続く》

《小林正浩(こばやし まさひろ)PROFILE》

株式会社アイランドオート代表取締役。株式会社インシストコーポレーション代表取締役。1962年(昭和37年)4月21日、呉市大崎下島(※旧豊田郡豊町)生まれ。広島県立豊高等学校(※1996年廃校)卒業後、広島スバル自動車株式会社(※現・スバル中四国株式会社広島エリア)に入社。整備部門から営業職に転身し、中国地方のトップセールスとして活躍したのち、2003年3月、同郷の先輩と共同で新車・中古車販売を行う有限会社アイランドオート設立。2014年10月、株式会社に改組。2015年7月、一般社団法人日本自動車流通研究所(JADRI)に加盟。買取部門を開始し「買取コールセンター」開設。同年10月、板金部門「みんなの板金屋さん」開設。2016年4月、保険部門設立。2017年10月、1万円リース部門「ジョイカル大町店」オープン。

一方、2004年12月、グループ会社として技術者の派遣事業を行う有限会社インシストコーポレーションを設立(※現在は株式会社に改組)。機械、電気・電子設計・ソフト開発の業務請負(委託業務)およびCAD研修(NX、CATIA-V5、I-DEAS等)を手掛けている。座右の銘「人生は映画。素晴らしい人生を作り上げるのは映画監督の貴方自身」。

【会社概要】
会社名 株式会社アイランドオート
所在地 広島市安佐南区大町東3丁目21-35
TEL 082-831-7890 FAX 082-870-5693
設 立 2003年3月
資本金 5,000,000円
代表者 代表取締役社長 小林 正浩
役 員 育田 真一 原 裕貴
事業内容 各メーカー新車販売、中古車販売、自動車整備、点検、修理、カーエステ(ボディーコーティング、フィルム貼り、ガラスリペア)、自動車買取、オークション代行、保険代理店加盟団体 JADRI/JU広島/TAA広島/HAA広島オートオークション/アイオーク/オートサーバー/一般社団法人 広島県自動車整備振興会
取扱保険 日新火災海上保険株式会社/あいおいニッセイ同和損害保険株式会社
取引銀行 もみじ銀行/広島信用金庫
グループ会社 インシストコーポレーション株式会社        

〇ホームページ
アイランドオート https://island-auto.com/
インシストコーポレーション http://www.insist.co.jp/

〇インスタグラム
https://www.instagram.com/islandauto_hiroshima?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA%3D%3D

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