感染拡大を続けるコロナに、これまでに経験したことのない命の危険にかかわる大雨災害も加わり、今年は大変な夏になってしまいました。みなさま、引き続き、くれぐれもお気をつけください!司法書士法人キャストグローバル広島事務所代表社員の司法書士、岡野慎平です。東京新宿の司法書士法人に就職して士業の第一歩を踏み出した前回に続く第3回目は、新人時代の奮闘の日々を振り返ってみます。
さて、大都会、東京“新宿”にある司法書士法人とはいえ、思い描いていたカッコいい職場とは大きくかけ離れた事務所での実務のスタートは、やはり雑用からでした。事務所に出勤すると、まず耳に届くのは「岡野、トイレを掃除してこい!」という先輩の一言。必死で勉強して司法書士になったのに毎日、会社の便所掃除をする羽目になるとは正直、夢にも思いませんでした。
そして新人の役目とされていたのが法務局へのお使いです。今ではオンラインでのやりとりになっていますが、当時は登記申請などの書類をエリアで管轄が決まっている法務局へ提出しに行く時代でした。わたしが最初に提出先として告げられたのは、忘れもしない埼玉県久喜市の法務局。何しろその日は台風が来た日でしたから。しかも法務局というのはたいてい辺鄙なところにあるんですよ。スマホがまだない頃なので土地勘もないし、東京から離れた久喜市まで電車で行ってバスに乗ったものの、着いたのは全然違う場所でした。台風が接近し、傘が折れるほど横殴りの雨が降り続く中、「おれは濡れてもいいけど、申請書だけは濡らしてはいけない」と鞄をしっかり抱いて歩いて、なんとか目的地に辿り着き、任務を果たすことができました。
一方、仕事を覚えるための日課としてこなしていたのが、登記申請の初歩の初歩である抵当権の抹消などの書類作成です。ちなみに司法書士が作成する書類は、漢字や言葉使い含め、一言一句誤りがあってはいけません。わたしが書いた書類を先輩にチェックしてもらうのですが、「岡野、違うじゃないかよ!」と毎日、怒鳴られてばかり。嫌になるほど、直されました。そもそも大学を中退して資格取得のための予備校に通い、司法書士になったわたしは、アルバイトの経験こそあったものの、社会人経験がありません。電話応対といったビジネスマナーなど全く知らないわけですから、先輩からはそれについてもイチから指導されたものです。特に厳しかったのが、前回お伝えした向かいの机に座る中卒のヤンキーながら猛勉強して司法書士になったという“スキンヘッドのいかついルックス”の先輩です。
ビジネスマナー指導の手始めは電話応対でした。その先輩が「岡野が電話応対に慣れるまでは、かかってきた電話に誰も出るな!」と女性の事務員さんたちに通達したものだから、電話が鳴るたび、とにかくわたしが受話器を取らなくてはなりません。通話を終えると、お約束のように続くのが「こらっ岡野、なんだ今の言葉使いは!」というスキンヘッド先輩の怒鳴り声でした。この頃はすぐに応対しないと、どやされるから着信音が鳴ると、条件反射的にワンコールで電話に出る癖がついていましたね。そんなある日、机で昼食を食べている時に電話が鳴ったため、つい口の中の食べ物をモグモグ咀嚼しながら応対してしまいました。「飯を食いながら電話に出るな!」と鬼の形相で怒られたことは言うまでもありません。
こういったエピソードを連ねると、今の時代ならば、いじめやパワハラのように思われそうですが、そのコワモテのスキンヘッドの先輩は、実はわたしの教育係でした。5歳年上で仕事中は厳しいけれど、普段は優しくて面白い人なんです。同じ立川に住んでいたので一緒に帰ったり、キャバクラに連れて行ってもらったり(笑)、いろいろお世話になりました。
ところで、キャバクラと言えば、就職して初めての給料が出たら、司法書士のバッジをつけてキャバクラに行って女の子にモテてやろうという“密かな夢”というか“浅ましい夢”を抱いていたんですよ。初給料が支給され、期待に胸を膨らませてそれを実行してみたのですが…!?モテるどころか、バッジにも職種にも誰ひとり反応してくれません。弁護士などの士業に比べて、司法書士という自分の仕事は、一般的にまだ馴染みがない、という現実を突きつけられたような気がしました。この出来事により、負けず嫌いのわたしの心に「よおし、まだまだ低い司法書士の知名度をこれからおれが高めてやる!」という大きな目標が生まれた次第です。まずは「一人前の司法書士になるための修業を積まねば」というわけで、この続きはまた次回に!