不動産取引に立ち会う!

10月に入り、緊急事態宣言が解除され、広島の街も少しずつ活気を取り戻してきました。コロナに振り回される日々は、まだまだ続きそうですが、みなさまお変わりありませんか?司法書士法人キャストグローバル広島事務所代表社員の司法書士、岡野慎平です。今回は東京新宿の司法書士法人での修業時代の日々を綴ってみます。

期待に胸を膨らませて士業の第一歩を踏み出しながら、事務所の便所掃除を皮切りに法務局へのお使い、書類作成、電話番といった、いわゆる“丁稚仕事”に追われる日々が現実だったことは前回お伝えした通り。司法書士として客先に赴く最初の仕事となったのは、先輩に同行しての不動産取引の立ち会いでした。

不動産売買が行われる場合、不動産物件を売ってお金をもらう側の「売主」と、売主からその物件の所有権をもらう側の「買主」が一堂に会し、司法書士が所有権を移転する書類を整えて、はじめて売買が成立する流れとなっています。司法書士は、法律家として書類の内容を確かめると同時に、両者の意志を最終確認して所有権を移転できるようにする、すなわち取引を担保する役割を担っているわけです。

この取引には売主、買主、司法書士ほかに、不動産業者と金融機関の担当者が加わり、普通は銀行の応接室などで行われています。不動産の売買で大金が動くことから張り詰めた雰囲気の中、必要な書類を不備なく整えて、買主の金融機関の融資が実行され、売主の通帳口座に入金されたのを確認するまでがわたしたちの仕事です。

仲介する不動産業者は「金融機関に買主の購入資金の融資を早く実行してほしい」し、融資する金融機関は「司法書士のGOサインがないと融資が実行できないので早く書類を整えて欲しい」。両者の要望が交差して、わたしたちには目に見えないプレッシャーがかけられます。特に気を遣うのが、融資されるまでの待ち時間のトークです。和やかなムードで「夢のマイホームですね!」といったフランクな会話ができることもあれば、ピリピリしびれるような空気の中で時間を過ごすことも少なくありません。

最初の頃は、先輩に同席してもらいましたが、心強いというよりも「緊迫する場で不用意なことを口走ったら叱られるだろうな」と逆に緊張していましたね。今では、わたしが新人司法書士を連れていく側になり、緊張してトークを上手く続けられない新人の様子を見て「何をしゃべっているの?」と頭を抱えますが、それは、まさに当時の自分の姿です。緊張感とプレッシャーに輪をかけているのは、隣に座るわたしで間違いないでしょう。

ともあれ、先輩のお供で1~2カ月、現場経験を積んだのち、いよいよ一人で出陣することに。銀行の応接室なんて、20代半ばの若造がそうそう出入りできる場所ではないし、取引の場に集う人たちはみんな目上の人なので、「この若い司法書士さんで大丈夫?」とよく言われたものです。早く到着して、わたしだけが応接室で待っていると、金融機関の担当者に「司法書士の先生が来られたら呼んでください」と伝言を頼まれたこともありました。もっとも、40歳前になった今でも、見た目のチャラさが災いして「この人で大丈夫か?」と心配されることがたまにあるのですが…(笑)。

幸いなことに、客先では今日に至るまで「やってしもうた!」といった大きな失敗はありませんでしたね。ただ、一度だけ司法書士法人の当時の社長に大目玉を食らったことがあります。東京は電車が事故やトラブルでよく遅れるんですが、電車が遅れたある朝のこと、わたしは社長も出席する社内の会議に遅刻してしまいました。ひとまず、会社には事情を電話していたので、10分か20分ほど遅れて会議室に入いったところ、いきなり「お前、なめとんのか!」と社長のカミナリが落ちてきました。続いて「司法書士が立ち会って大金が動くような大事な決済の場面に遅刻したらどうするんだ。常に不測の事態が生じることを想定して動くように注意しておかんかい‼」と怒鳴られる羽目に。社長の虫の居所も悪かったのか、いつにない怒声に身がすくむ思いでしたが、言われたことは至極ごもっとも。それ以降は、いかなるアクシデントがあろうとも遅刻だけはしないように、しっかり余裕をみて早出を心掛けています。

こうして東京新宿の事務所で司法書士の基礎を学びながら2年ほど過ぎた頃、わたしに転勤の話が持ち上がりました。次の赴任地は、なんと北の大地、北海道“札幌”です。舞台は歌舞伎町からススキノへ―再び、歓楽街が手招きするような場所で司法書士修業に励むことになったわたしに人生の転機が訪れます。次回も乞うご期待!

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