前回のとおり、我が家はお気に入りの地域にご縁で「移住」できたことから、当地の生活や文化、それを取り巻く環境として気候や景観などをより具体的に感じることができました。さらには実際に生活する中で、当たり前ですが人との繋がりもますます拡がり、その中からまた新しいご縁も生まれるものです。
そうした過程でもいろいろ楽しいことがあったのですが、今回からは少し展開を早めて、我が家が「定住」に至った経緯を振り返っていきたいと思います。と、その前に、ここでまた悪い癖ですが(笑)、特に里山暮らしを目的とした場合の「移住」と「定住」の違いと、その違いをもとにできれば予め検討しておくべきことを確認しておきましょう。
「移住」も「定住」も住む場所を変える、移すという点では同義ですが、一番大きな違いは移り住む、あるいはその予定としている「期間」の認識ではないかと思います。両者の具体的な期間の定義については諸説あるようですが、ここでは小田切(2014)に基づいて、10年をひと区切りに整理してみましょう。要するに10年を超える「移住」は「定住」(ここでは「永住」と同義とする)としておきます。
この10年という単位は、モノ・コトの区切りとして昔からよく使われますが、特に子育て世代が里山に「定住」して暮らす場合、実に意味のある区切りだと思っています。それぞれの家族・家庭の生活ステージと移住のタイミングとの関係はもちろん多様ですが、子どもが小学校入学までになんとか移住できたとして、中学や高校への入学がちょうど10年目あたりになりやすいですよね。※写真:特に小学校や児童クラブには長い間お世話になることになります。
つまり、子育て世代がとりあえず里山地域に移住を決行できたとしても、そこから10年以上暮らす、つまり定住するとなると,子どもの進学の問題がネックになるかもしれないということです。もちろんそうした問題も様々ですが、少なくとも里山暮らしを満喫できる中山間地域の多くは過疎地域でもあり、高齢化や児童・生徒の減少が進行しています。学校の統合や交通手段の合理化によって長時間・高額の通学を強いられる、さらに希望する進学先によっては早くから子どもが親元を離れて暮らすことにもなるという現実に向き合わなくてはならないタイミングとも言えます。※写真:長男は自転車通学ができるのは中学までとなってしまいました。
また、移住の際に土地を購入して住宅を新築した場合には、10年経過といえば住宅ローン控除期間がちょうど終わる時期(現在は13年間)ですよね。しかも住宅設備や当時揃えた家電なども、そろそろ不具合が出始めるかもしれないし、何より自分自身の社会的な身の振りかたやカラダそのものにも何かと心配ごとが増え始める時期でもあります。このような家計や健康の問題なども併せてライフステージの転換点が、その10年の節目とちょうど重なるならば、「定住」の意味を再検討するような場面が多くなるでしょう。
とはいえ、10年も同じ地域で普通に暮らしていると、子どもたちを通じて地域社会・組織との繋がりも深くなるにつれて、いろいろな役を任されることも多くなってきます。過疎・高齢化の進行した中山間地域では、おそらく10年も経過すると重要な役も必ず回ってくるわけで、子供会やPTAばかりでなく地区の振興会(自治会)の役員に夫婦揃ってお務めするようなことになりがちです。そうなると「定住」の可否など問答無用で、むしろ地区の将来に関わる人材として巻き込まれていくような様相になっている可能性が高いです。※写真:地元神社の秋祭りでは幟への寄付だけでなく今年から総代になりました。
実は我が家が、まさにちょうどその状態でして、当時からほぼほぼ予測できたであろうはずの諸問題と今さらながら向き合っています。もちろん想定外の展開もありました。我が家の場合、スポーツに真剣に取り組んでくれている子どもたちのサポートのために、当地に「定住」する意味までも掘り下げていろいろと悩み、考えています。ワークライフバランスを変えたり、将来に向けてむしろポジティブな投資や新しい活動も始めていますが、まさにリアルタイムすぎる話題なので、いつかまた詳しくご紹介できたらと思います。
いずれにしても強調したいのは、「移住」から「定住」に至る過程で、10年という区切りを早めに意識しておくと、意思決定に役立つかもしれないということです。ただし、前述のとおり移住に向けて取り組んでいる時は、とにかく人との繋がりを最優先に前のめりで行動しているし、決断も迅速に行う必要があるので、なかなか難しいかもしれませんね。
ということで、次回は定住に向けての最も決断力の必要な場面である土地探しに関する話題です。これも難儀したんだよなぁ…。
※引用文献:小田切徳美著「農山村は消滅しない」(2014)岩波書店