File.11 平岡優一さん 広島市議会議員(中区) 《後編》

「武将隊」結成を機に、政治の世界へ。
目標は世界に誇れる広島のまちづくり!

NHKの大河ドラマ「平清盛」と連動して広島県の観光を喚起しようとスタートした大型プロジェクトで数々のプランやイベントを企画させていただいたことで、自分なりに手応えを感じていると、広島県の〝清盛プロデューサー〟の役目を終えたのも束の間、今度はその流れで広島市観光課から依頼がありました。お題は「広島城の観光活性化」。もちろん私の返事は「かしこまりました」です。

「安芸ひろしま武将隊」誕生!

そして提案させていただいたのが「安芸ひろしま武将隊」でした。当時は、名古屋市が「名古屋おもてなし武将隊」を結成したのを皮切りに、全国で同様の観光PR武将隊が続々と誕生していました。武将隊の多くは地元の城を本拠地として、甲冑を身に纏って、歴史上の武将に扮し、殺陣や劇、ダンスといった演舞を披露したり、歴史ガイドをしたりします。これを広島城でもやろうと考えたのです。企画は広島市の観光事業として採択され、運営もうちの会社で行うことになりました。メンバーを募り、甲冑を買い揃えました。活動は週末だけということで、自らも毛利元就として出陣することに。

正直、最初は「会社の実績になれば」と1年間だけの思いでスタートしましたが、熱心なお客さんも付きはじめました。毎週のように来てくださる地元のお客さん、それに仙台、東京、名古屋、大阪、神戸、福岡、熊本などなど、全国から会いに来てくださるお客さん。みなさんが楽しんでくれている姿を見るうちに、自分の中にも使命感のような気持ちが芽生えてきました。

活動内容は、毎週土曜日が広島城内練り歩き、日曜日が広島城二の丸での演舞です。演舞では刀も振れば、ロックも歌います。実のところ、20kgの甲冑を身に纏ってのパフォーマンスは、とてもキツイですよ。夏は暑く、冬は寒いし、それでも暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も、全身全霊、力の限り演舞をする。大の大人が汗だくになりながら真剣に演舞をする。だからこそ、観ている人の心を打つのだと思います。実際、わたしたちの演舞を見ることでお客さんが笑顔になってくれる、元気になってくれる、感動してくれる…。演ずる側としては楽ではないし、しんどいけれど、そういったみなさんの姿を見るたびに、「本当にやっていてよかったな!」と思います。

武将隊では、県内外の様々なイベントにも出演しました。フラワーフェスティバルやフードフェスティバルといった県内の大型イベントを皮切りに、マツダスタジアムにもエディオンスタジアムにも立ちました。何万人というお客さんの前でパフォーマンスする経験もできたし、県外についても東北から九州まで全国を巡って、いろんな方と出会い、いろんな方と仕事をさせていただきました。わたし自身、タレントを目指していたわけではありませんが、本当にありがたいことです。普通に生活していたら、まず経験できないようなことをずいぶんと経験させていただきました。

ついには日本を飛び出して、アメリカ、タイ、フランスにも遠征したんですよ。フランスでは「JAPAN EXPO」に3度ほど出演させていただきました。「JAPAN EXPO」は例年7月に開催され、4日間で25万人を動員するフランス国内でも2番目に大きなイベントです。茶道、華道、武道といった伝統文化からアニメ、漫画、ゲーム、コスプレといったポップカルチャーまで、日本文化を幅広く紹介するイベントです。空前のクールジャパンブームもあり、「JAPAN EXPO」でも武将隊は大人気で、思った以上にバカ受けし、現地メディアからも次々と取材を受けるなど、大いに盛り上がりました。

こうして新聞、雑誌など様々な媒体に取り上げられる機会も増え、テレビにもずいぶん出させていただいたものです。ラジオではレギュラー番組を持ち、フリーペーパーにもコラムを連載させていただいたり。歴史をテーマに講演の依頼も多かったですね。武将隊としてはCDも5枚出し、カープ公認応援ソングも3曲歌っています。活動はどんどん広がり、武将隊の自主公演や、映像とパフォーマンスを融合させた体感型劇場、外国人観光客向けのナイトエンターテインメントなども手掛けました。

ただ、これだけのことをやっていくためには、時には持ち出しも必要で、かなりお金も使いましたね。文字通り、身も心も魂も削りました。得たものも多かったけれど、失ったものも多かった気がします。と、言いつつも毎週来てくれるお客さんの笑顔を見ていたら、「もう少し頑張ろう!」とか、「みんなの笑顔のために、広島のために頑張ろう!」と思えるんですね。その思いだけで、その満足感だけを支えに、ただ、ただひたすら走り続けてきました。

政治の世界への誘い。

その頃からです。政治への興味関心が芽生えたのは。わたし自身、大学は法学部政治学科の卒業ですが、これは偶然のことで、それまで政治に興味関心があったかといえば、まったくありませんでした。たまたま、ある人から「平岡さん、政治に興味ない?選挙に出たら絶対に当選するよ」と言われて、本人は全然興味もなかったのですが、言われたら言われたで、気になるものです。また、こういった話は不思議と同時期にいろんな方に広まるみたいで、誰かと会うたびに「平岡さん、選挙に出るん?」「あなたは政治家、絶対に向いとるよ!」とかの声が聞こえてきます。そんな日々が続くと、少しずつ興味や関心が芽生えてきたのですが、といっても何をやったらいいかもわからず、時間ばかりが過ぎていきました。

結局、気がついたら選挙一年前です。ただ、その年は妻が飲食店を2店舗リニューアルオープンさせたことから、これも初めての経験だったので慌しいことこの上なく、暦を見ればもう年末です。選挙まで残すところ3か月。それでも出るか出ないか決断できなかったので、とにかく信頼できる人に相談してみようと、いろんな方に話を聞いてみたんです。その結果、みなさん「絶対に出たほうが良い」と返答されるので、いつしか迷いが消えて出馬することを決心しました。出馬表明したのは、なんと選挙の3週間前。この時の自分の心境としては「勝てそうだから出るとか、負けそうだから出ないというのは、武士じゃない。勝とうが負けようが、とにかく全力でやってみよう」で、あとは「絶対に通る」なんて思ってもいなかったし、「天命があれば通るし、天命がなければ落ちる」くらいの感覚でした。

広島市議会議員として。

そして平成31年(令和元年)統一地方選挙当日を迎えることになりましたが、おかげさまで結果は当選。広島市でいちばん最後、夜中過ぎに当確が出ました。以来、右も左もわからない政治という世界に飛び込み、今日まで、ただただひたすらがむしゃらに走ってきたわけです。今年(令和5年)4月には、ありがたいことに前回の票数の軽く2倍を上回る票をいただき、2期目の当選をさせていただきました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これからまた4年間、市政発展のために尽力いたします。ちなみに、わたし平岡優一が実現すべき政策を毛利元就公のエピソードに準え、「三本の矢」として掲げているのは以下のとおりです。

【観光】世界に誇れる観光都市ひろしまに!
原爆で失われた旧国宝広島城天守閣の木造復元を実現します。インバウンドを促進し、地域経済の活性化に直結するまちづくりを目指します。

【教育】未来を担う子供たちのために!
感謝の心、思いやりの心、平和を尊ぶ心を大切にします。広島のことがもっと好きになり、郷土に誇りが持てるような教育の実現を目指します。

【福祉】高齢者・障がい者の方に優しいまちづくり!
ご高齢の方も障がいをお持ちの方も誰もが安心して暮らせるまちづくり、誰もが活躍できる社会環境の実現を目指します。

この〝三本の矢〟とする政策を推進するため、地域の問題解決に努めながら、自分自身が掲げる次のようなテーマについても取り組んできました。みなさま方のお力添えもあり、いずれも実現もしくは実現に向かって進んでいます。

■広島城天守閣の木造復元…再建後60年を過ぎた天守閣は、近年急速に老朽化しており、このままではいずれ解体せざるを得ない状況です。そこで本格的な木造復元を提案。これにより、現在、広島市としても天守閣の木造復元の実現に向けた取り組みを強化しています。

■平和記念式典の正常化…例年8月6日は全国からデモ団体が広島に集結し、拡声器を使ったデモを実施。その声は式典会場にも響き渡っています。広島にとって8月6日は「慰霊の日」です。条例制定などを通して、平和記念式典が厳粛の中で行われることを求めています。

■給食の完全実施…広島市で給食が実施されている中学校は全体の3割しかありませんでした。そこで市民団体と共に署名活動を展開。令和8年度までにすべての中学校で給食が実施されることになりました。中区では国泰寺中学校が令和5年春から、その他の中学校は令和6年度から給食が完全実施されます。

■食品ロスの削減…広島市から排出される食品ロスは、年間約3・2万トン(令和3年推計)とされ、これはマツダスタジアムの約1・3杯分に相当します。この状況を改善すべく、政策立案検討会議の一員として〝食品ロス削減推進条例〟の策定に携わりました。

■動物愛護・地域猫活動…過去、広島市では20万頭以上の犬猫が殺処分されてきました。現在は、原則殺処分は行われておりませんが、それに伴い、野良猫の増加など、様々な問題が起きています。人と動物が共生できる社会を実現すべく、実効性のある提案をしています。

■スケートボードパークの整備…街中をスケートボードで縦横無尽に走る若者たち。歩行者にぶつかれば大けがを負わせかねない危険行為です。一方で、スケートボードは近年、オリンピックの競技にもなり、人気も高まっています。そこでスケートボードを安全に楽しめるよう街中にスケートボードパークを作ることを提案。旧市民球場跡地に整備されることが決定しました。

このほか、対処すべき重要課題には「地域コミュニティーの活性化」もありますね。コロナ禍を経た今、地域コミュニティーの再生・活性化はこれからの大きな課題となります。わたしは地域に伝わる歴史・伝統・文化を大切にしていきたい。先人たちが苦労して作り上げてくださったものをわたしたちが守り、次の世代に伝えなくてはなりません。そのためにも地域のみなさまと共に汗を流させていただき、全力を尽くしていきます。

わたしは、広島をさらに素晴らしいまちに、子供たちが夢を感じる、誇りが持てるようなまちにしていきたいです。そして、わたしたち現役世代がバリバリ活躍できるまちにもしたい。思いを同じくする方は、是非とも力を貸してください。夢を感じられるような、ワクワクするような世界に誇れる「最高の広島のまち」を作り上げていきましょう!

内助の功に感謝。

政治という世界に身を置いたことで、辛いこともたくさんありますが、ずいぶんと濃密な時間を過ごさせていただいております。わたしの発言で実際に市政が動いたり、大変な仕事ですし、責任重大ですが、それだけに醍醐味とか、やりがいを感じます。自分にとって政治家は、人生における集大成のようなもの。人生の後半となる、これから十年、二十年は、みなさんのために、そして広島市のために走り続けたいと思っていますが、ともすれば頑張りすぎてしまうわたしをいつも傍でサポートしてくれるのが妻の美幸です。

少し妻についても紹介させていただきましょう。彼女は、中華人民共和国陝西省の省都である西安生まれの中国人です。「全日空ホテル西安」に就職後、成績優秀だったことから海外研修社員に選ばれ、アメリカか日本のどちらかでの研修を勧められたところ、桜が好きだという理由で東京での研修を希望して平成9年(1997年)に来日しました。東京の全日空ホテルで働き始めたものの、来日当初は、日本語の読み書きもままならず、友だちもいない日本で古ぼけたアパートとホテルを往復する日々だったとか。馴れない異国での暮らしに寂しい気持ちを抱えながら、ある日、駅を降りて一軒のラーメン屋の前を通りかかった際に店内から中国語が聞こえてきたことから、思わう、その店に飛び込んで店長に「ただでも良いから働かせてください」と頼み込みこんだそうです。

翌日から昼はホテル、夜は無償でラーメン屋で働くことに。彼女が最初に覚えた日本語は「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」「お会計です!」の3つでした。その後、飲食業の現場で日本語や接客をマスターし、1年ほど務めたのち、一念発起して独立。地道な努力に加え、もともと備えていたスキルの高さもあり、東京でマッサージ店を4店舗経営するまで頑張ったようです。その後、縁あって広島に活動の場を移し、平成19年(2007年)くらいから本格中国料理店「膳坊」のオーナーとして活躍していたところ、知り合いに連れられて店を訪ねたわたしと出会ったというのが夫婦の馴れ初めです。自ら飲食店の経営者でもある彼女ですから、パートナーとして心強いことは言うまでもありません。選挙活動中も陰になり、日向になり、わたしを支えてくれ、政治の道へ進む強力な後押しをしてくれました。今の自分があるのは、妻の〝内助の功〟のおかげだと感謝しています。

そういえば、令和4年(2022年)には夫婦であるコンテストに挑戦したんですよ。それが、地域の社会貢献や社会問題に自主的に取り組んでいく人たちを全国で育成することを目的に開催される「ミセス&ミスターオブザイヤー」大会です。おかげさまで、「ミセスオブザイヤー2022広島大会」に出場した妻はプレシャス部門の準グランプリを、「ミスターオブザイヤー2022西日本大会」に出場したわたしは、サムライパフォーマンスを披露してグラシャス部門でグランプリを受賞。続く日本大会では準グランプリを受賞させていただきました。同じひとつの目標に夫婦で取り組み、共に受賞できたことを励みに、これからも妻と二人三脚で人生のレースを走り続けていくつもりです!

人生は本当におもしろい。

自分の足跡を振り返ってみてつくづく思うのは、「人生は本当におもしろい!」ということ。子どもの頃に夢に描いたことが、大人になって意外なカタチで叶っていたり。その時々の経験や、興味・関心がのちのち振り返ってみると、「すべてつながっていたんだな」と感じることがあります。

人生には失敗がつきもの。失敗のない人生なんてありえません。わたしもずいぶんと失敗しましたし、恥ずかしい思いも沢山してきました。ただ、大切なことは、たとえ失敗しても、そこでめげずに、失敗をバネにして、糧にして、活かして、いかに次につなげるかです。もし失敗をしたくないというのであれば、何もしないこと、何も挑戦しないことです。しかし、それでは人生、おもしろくありませんから。失敗を恐れることなく、いろんなことに挑戦していきたいですね。

とはいえ人生には、いつか終りがやってきます。5年、10年なんて、あっという間、いやいや10年、20年は、あっという間です。時には辛いこと、苦しいこともあるかもしれません。けれども〝明けぬ夜はない、止まない雨もない〟です。今の悩みなど、時間が過ぎてみれば、たいしたことはありません。わたしもこれまで死ぬほど辛い思いをしてきました。「万事休す、八方ふさがり。今日で人生おしまい!」の言葉が頭に浮かぶこともあったし、辛くて、悔しくて、悲しくて、夜も寝れないことが何度もありました。しかし、今でも生きています。何があっても大丈夫です。

〝人間万事塞翁が馬〟。良いこともあれば、そうではないこともあります。楽しいことばかりの人生、嬉しいことばかりの人生を送る人なんて、まずいません。誰にも等しく辛いこと、苦しいことはやってきます。季節に春夏秋冬があるように、辛いこと、苦しいことも大切な経験です。すべては経験であり、何事も糧とすることが大事なんです。失敗を恐れず、挑戦し続ける。努力をし続ける。とにかく何事もやり続けることです。あとは、時には流れに身を任せてみたり、人に任せてみるのもよいかも。気を楽にして〝お任せ〟の境地です。

その時、最悪だと思う出来事も、のちにはそれが、きっかけとなって良い方向に向かうこともあります。下手にジタバタと焦ってしまうと、状況をさらに悪化させてしまうこともあります。自分にとって悪いと思える状況であっても、逃げることなく、素直に受け入れる。あとはお任せです。そうすれば〝成るように成る〟というか、何とかなるもんです。意外とうまくいくもんですよ。人生何が起きるか分かりません。何がどうなるか分かりません。お楽しみは、まだまだこれからです!

《平岡優一(ひらおか ゆういち)PROFILE》

昭和43年3月25日生まれ。修道中学・高等学校卒業。関西学院大学法学部政治学科卒業。広島市で生まれたのち、父親の転勤で関西へ。幼稚園・小学校時代は関西で過ごす。中学校からは再び広島に戻り、中高6年間を過ごしたのち、大学進学で再び関西へ。広島に帰郷し、株式会社鷗州コーポレーションに入社。塾教師を経たのち、人事部で採用・研修業務を担当。さらには新規事業として英語幼稚園、上海の大学の日本校、AICJ中学・高等学校の立ち上げに携わり、学校法人AICJ鷗州学園理事、AICJ中学・高等学校副校長となり、学校運営を経験する。40歳で独立、インフォライズン株式会社設立。広告制作事業やプロデュース事業をスタート。宮島街道プロジェクト、広島県平清盛プロジェクト、安芸ひろしま武将隊プロジェクトなどを手掛ける。さらには社会福祉法人において人事コンサルティング、小学校、大学、各種団体において講師を務める。

平成31年4月に実施された広島市議会議員選挙(広島市中区)にわずか3週間前に出馬表明し、初当選を飾る。現在、会派は自民党・市民クラブ。総務委員会(副委員長)、都市活性化対策特別委員会(副委員長)、広報委員会(委員長)、議会運営委員会に所属。

【事務所概要】

●事務所名 平岡優一後援会事務所 
●所在地 〒730-0846 広島市中区西川口町1-8 益国ビル
●連絡先 Tel (082)555-8212  Fax (082)555-8213

◎公式サイト https://hiraoka-yuichi.jp/
◎公式フェイスブック https://www.facebook.com/hiraokayuichi.kouenkai/
◎優Tube【平岡優一公式YouTubeチャンネル】https://www.youtube.com/channel/UC8a9tG6DSxmB9G2ZctIWnEw

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