核兵器をなくす活動をライフワークとし、「当事者の声が政治を変える!」をモットーに広島市議会議員を務める中村孝江さん(安佐南区、会派・日本共産党)。今回は、中村議員が政治の道に進んだきっかけや自身の政策、目指している広島市などについて聞いてみました。
―初めに、プロフィールをお聞かせください。
1985年、広島市南区で中村家の一人娘として生まれました。小学校5年生まで比治山小学校に通い、湯来南小学校に転校、その後は砂谷中学校に進学しました。自分でも未だに理由が判然としないのですが、小学校3年生頃から学校にあまり通わなくなり、中学校にはほとんど行っていないという過去があります。人と接するのは楽しくて大好きだけど、極度の人見知りな子でした。「人見知りなのに人と接することは好き」、そのギャップに疲れていた小中学校時代だったのかもしれません。年頃ということもあり、無謀な考えをしていた中学生の私は、卒業後には就職しようと意気込んでいたようですが、親や先生からの説得もあり、大手町商業高等学校(2021年、広島みらい創生高等学校に統合)の定時制に進むこととなりました。
―高校生活はいかがでしたか?
中学時代と比べて学校に行くようになり、放課後に友人と楽しくお喋りしたのが良い思い出です。定時制ということもあったので、時間のあるお昼にはコンビニでアルバイトをしていました。
また、高校生の頃から、青年団体の活動に参加し始め、広島市内のいろいろな高校生や大学生の先輩たちと一緒に署名活動などを行いました。広島経済大学に進学してからも、空きコマの時間を利用して青年団体の活動に精を出すという学生時代でしたね。
―大学卒業後の進路は?
広島医療生活協同組合に就職して、広島共立病院の事務職を担当することとなり、医学生や医者関連の事務、広島共立病院と地域の病院の連携を図る仕事に従事しました。病院に6年間勤務した後、続けていた青年団体の責任者に専念することを決心し、5年間、責任者を全うしました。その後、元の職場に戻ることも考えましたが、党の職員として働く道を選んだんです。
―それまでの生活とは一変して、“政治”という道に進んだきっかけは?
2021年、広島県知事選挙に立候補したことです。当時は新型コロナウイルスの猛威に見舞われていた時期でした。広島県民の生活に新たな選択肢を提示するため、党から選挙に出るよう要請があり、初めて選挙に挑戦する運びとなりました。
また、翌年2022年には、参議院議員選挙にも立候補しました。しかし、県知事選からのスパンが短かったため、世間から、「ただ目立ちたいだけ」、「県知事選は売名行為だったのか」などと見られかねないと思い、要請を受けた時には正直、一瞬迷いが生じましたね。今となっては、広島県全体が選挙区となる県知事選、参院選を通して、広島県が抱える問題の現状を自分の目で見ることができた経験は本当に実りあるものだったと感じています。
―そして、昨年の広島市議会議員選挙に出られたわけですね。
これは本当に迷った、というのが本音です。参院選の選挙活動で約半年の間、広島県内の様々な地域において、私を支持してくださる方々への挨拶周りなどの選挙活動を行った結果、55,000を超える票を得ることができました。県知事選、参院選と私を応援してくださった人々に対して「今度は安佐南区で選挙に出ます!」なんて到底簡単には言えませんし、少し無責任な気がしてしまって。また、個人としては、ジェンダー平等などに関する組織改革を推進させたいタイミングでもあったので、選挙で多忙になると実現できないのではないかと思い、私が出るべき理由などについて何度も何度も職場のトップと意見交換をしましたね。
―意を決しての市議選で大変だったことは?
これまでの選挙では、安佐南区での選挙活動をあまり行っておらず、私の知名度は皆無に等しかったので、街頭宣伝をかなりの回数行いました。また、国政選挙と比較して、市議選は地元密着型の選挙なので、地方政治や自身の政策をどのように語るかが鍵となります。政治に関する知識を補うためにも、多くの人々から話を聞いたり、議会の傍聴にも通ったりして勉強に勤しみました。
最も大変だったことは、SNSの発信です。県知事選や参院選を通して投票率の低さを痛感していたので、市議選では、自身の支持層を広げると同時に、投票率自体も上げる必要があると思っていました。ただ、SNSが得意ではない私にとって、この二つを果たすためにできる効果的な活用方法が分からず苦戦しましたし、限られた文字数でセンセーショナルな政治というものを分かりやすく伝え、かつ、投票率を上げるということはハードルが高くて。「分かりやすさは大事だけど、政治を分かりやすさだけで伝えていいのか?」と一人心の中で試行錯誤した選挙活動でしたが、いざ始まると、「もうやるしかない!」という気持ちで完遂しました。
―議員になられて努めておられることは?
議案の基となる制度について深く理解しておくことです。浅い知識では議会での質問が円滑に行えませんからね。例えば、令和6年第2回6月定例会において、若者の就職支援事業である「UIJターン就職学生支援事業」に関する質問をしたのですが、私の掘り下げが足りなかったせいで上手く追及できず、専門家である理事者に追いつけるぐらい勉強することの重要性を痛感しました。
また、国と広島市両方に関連する制度については、市だけではどうにもできない部分はあるのですが、「広島市には国の制度を活かしてどうにか前進してほしい!」という思いが強く、一つの質問をとっても、質問する角度を変えて様々な答弁を引き出せるよう努めています。
―中村議員の政策についてお聞かせください。
私は次の6つの政策を掲げています。
1. 子どもと学生が安心して学べる教育と支援を進めます
□中学校2・3年生も35人学級と給食費無料の実現を
□子どもの医療費補助は高校卒業までに
□広島市独自の奨学金制度の実現を
2. 安心して暮らし続けられる地域づくりを進めます
□中小企業振興条例を広島市にも実現
□高すぎる国民健康保険料や介護保険料の引き下げを
□高齢者の補聴器購入の補助制度の創設へ
3. 一人ひとりが大切にされるジェンダー平等の広島市へ!
□非正規雇用の女性が多い保育士・介護士・放課後児童クラブの指導員の職場を、正規雇用が当たり前に
□リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の立場で、学校や公的施設へ生理用ナプキンを恒常的に設置し、生理の貧困の解決を
4. 防災対策と一体に気候危機打開へ取り組みます
□災害復旧と土砂災害防止対策のため防災予算の大幅増額を
□避難所の整備と被災者の生活再建の支援の充実を
□再生可能エネルギーの普及促進へ
5. 平和文化都市にふさわしい公共施設の整備を進めます
□中央図書館・こども図書館・映像文化ライブラリーの移転方針や青少年センターの規模縮小計画にストップを
6. 核兵器をなくす先頭に立つ広島市へ力を尽くします
□日本政府が核兵器禁止条約に参加することを求めます
□「黒い雨」被爆者の疾病要件の撤回・被爆者手帳の早期交付
―これらを政策にされた理由は?
青年団体での活動、県知事選、参院選で訴え続けてきたことばかりが反映されている、私の特色が詰まった政策です。ジェンダー平等でいえば、正規雇用の女性を少しでも増やせるような活動を進めていますし、このほかにも、若者支援、子どもの安全な成長、社会保障制度、包括的性教育についても重視しています。
例えば、社会保障制度一つをとっても、年金が減ると高齢者は安心して暮らすことができず、現役世代の負担が増えるばかりです。社会保障が充実すれば、介護問題や世代間の分断が起こらず、赤ちゃんから高齢者まで安心した生活を送ることができる上、補聴器の問題なども解決できれば、家族間のコミュニケーションも格段に良くなると思いませんか?
―中村議員ならではの強みは?
青年団体の活動などを通して多くの“生の声”を聞いてきたこともあり、私であれば、当事者の声を広島市に届けることができると思っています。進学校の高校生、アルバイトを頑張って大学に通う学生、夢に向かって一生懸命努力している学生など、多種多様な現場の声に耳を傾け、「どのような思いで学校に通っているのか」、「将来、どのような大人になりたいのか」、「何のために頑張っているのか」などという思いを広島市議会で最も掴んでいるのは私だという自負があります。
子育て世代に関する政策は他の議員の方々も掲げておられると思いますが、若い世代への具体的な支援策として、給付型奨学金制度や奨学金返済支援制度、青少年センターの問題を取り上げているのは、広島市では私ぐらいでしょう。今後は、理事者の方々に「中村は学生支援やジェンダー平等に関する質問を必ずしてくる!」という認識になってもらえるよう取り組んでいきたいですね。
―議員になっての手応えは?
子どもの医療費補助制度の拡充について、SNSで私を応援してくれている方にインタビューを行い、委員会で取り上げたことがあります。通常の場合、担当局の課長が答弁を行うのですが、その際には担当局長が答弁を行い、しかも前向きな内容が返ってきたんです。答弁として不十分だと感じる部分はあったものの、“市の認識を発展させることができ、一歩前進した”と、政治を動かすということを肌で感じ、嬉しくなりましたね。
―議員として心掛けていることは?
他の議員の質問や答弁を踏まえて、自分の質問をブラッシュアップできるように心掛けています。私の政策と重なる議案の際には、自分とは異なる切り口での質問に注目していて、仮に自分であればどのように質問するかも考えるようにしています。そのためにも、時間が許すかぎり、自分の担当以外の委員会の傍聴にも足を運ぶようにしていますよ。
―今後の意気込みをお聞かせください。
若者に「広島市ってめっちゃ、いいじゃん!広島に住み続けたい!」と思ってもらえる広島市にしていきたいですね。賑わいありきでの市の開発ではなく、若者たちが広島市で生活し、転出することなく、この街に住み続けたいという希望を抱ける街にしたい。活気があれば、自ずと街も賑わいますよね。もちろん、高齢者が安心して暮らせる街づくりをすることによっても、若者が広島市に住み続けようと思う保証にもなるでしょう。やっぱり、私は広島が大好きなので、「広島市だったら希望が持てるよね!」と思ってもらえるような街にしていきたいですね。
●プロフィール
中村孝江(なかむらたかえ)
1985年、広島県広島市生まれ。
広島市議会議員(安佐南区、会派・日本共産党)
【事務所概要】
●事務所名 中村たかえ事務所
●所在地 〒731-0136 広島市安佐南区長束西2丁目11-16-103
●連絡先 Tel (082)846-4638 Fax (082)846-4639
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