雨とフライと、魚の小骨

2020年暮れ、漫画家の水島新司(81才)が引退を発表した。『男どアホウ甲子園』、『あぶさん』など、画業63年、野球漫画の第一人者だった。『野球狂の詩』は、このコラムの第一回でも取り上げた。水島の経歴は、インターネットに溢れている。詳しく知りたい読者にはそちらを検索してもらうとして、少し違った角度から水島漫画を探りたい。

水島の野球漫画の特徴はなんだろう。『なんとかの星』のように、超人的な魔球や特訓といったものは出てこない。人物も、一人だけをクローズアップすることはない。漫画なので、多少の誇張はあるにしても、だ。水島の作風のひとつに、「ルールの判然としない部分を取り上げて物語を作る」という点があるように思う。わかりにくい、飲み込みにくいそれは、のどに刺さった小骨のようだ。

そのひとつ、印象的なシーンを紹介したい。『ドカベン』(秋田書店)30巻、184ページから。明訓vs土佐丸、3-3同点で迎えた5回の表。守備妨害すれすれのプレーで出塁した土佐丸の犬神は、ツーアウトながらも三塁に進む。迎えたバッターの二球目、明訓エース・里中の変化球がワイルドピッチとなった。三塁ランナーの犬神は、これを見て猛然とホームに突っ込む。慌ててボールを押さえにいったキャッチャーの山田が主審にぶつかった。この衝撃で、主審が持っていた予備球がベース付近に散乱した。

「ボールがどうして4つも5つもあるんだ」

当惑する里中に、どれでもいいから掴んでタッチを、と指示する山田。里中はその中からひとつ、ボールを掴んで犬神にタッチするも、主審の判定はセーフだった。実際にあった場合は、セーフだろうかアウトだろうか。筆者は、セーフだと思う。本物のボールがわからなくなった時点で、ボールデッド。その場合は、ランナーにひとつベースが与えられる。……ような気がする。

続いて、カープの話。

2009年7月18日、vsヤクルト10回戦。3-3と同点で迎えた8回表。カープのピッチャー・青木勇人は、打者3人に対しヒット1本。アウトを二つとって、シュルツに交代した。シュルツは、打者2人に対してヒット1本。このヒットで、青木が出したランナーを返して3-4と勝ち越しを許した。しかし8回裏、カープは長打と四球をからめ一挙に5点を奪い、8-4と逆転に成功。最終回、永川勝浩を投入。ヒット1本を打たれたものの、9回表を0点に抑えてチームを勝利に導いた。

問題。「この試合、勝ち投手は誰か?」

勝ち星は、先発なら5回以上投げてリードした状態で交代した場合につく。リリーフなら、勝ち越しまたは逆転した時点(この試合の場合、8回表)で投げていた投手に権利がある。

正解は、永川勝浩投手。青木勇人が出したランナーをシュルツが返し、これがヤクルトの勝ち越し点となった。勝ち投手の権利の文章に、「先発に勝ちの権利がない場合、チームの勝利に最も有効な投球をしたと公式記録員が認めた投手」というのがある。

『ドカベン』のボールが多い場合の判断は主審にあったが、勝ち投手が誰かのジャッジは公式記録員となる。

もうひとつ、カープの話。

2015年5月4日、vs巨人6回戦。2-2と同点で迎えた9回裏、カープは先頭の野間がセンター前ヒットで出塁。天谷、會澤が続き、巨人の守護神・マシソンに対して一死満塁と、サヨナラのお膳立てができた。打席には大瀬良の代打・小窪。1球ボールの後、小窪はマシソンの外寄りのストレートを、高々と内野に打ち上げた。この打球は、塁審によりインフィールドフライが宣告された。取っても取らなくてもアウトというわけだ。これを、ファースト・フランシスコとサード・村田修一がお見合いし、キャッチできなかった。フランシスコはボールを拾いホームベースを踏むが、サードランナー・野間峻祥がホームを陥れた。一旦はアウトとなったものの、カープ・石井琢朗コーチの猛抗議、緒方孝市監督も加わって、判定が覆った。

3-2。カープのサヨナラ勝ちとなった。

これもややこしい。小窪は内野フライを打ち上げた時点でアウトだから、サードランナーのホーム突入はタッチプレーになる。この場合、フライが捕球されていないので、タッチアップにならない。実は似たような試合があった。1991年6月5日、横浜大洋vs広島戦(横浜スタジアム)だ。このときは、広島のキャッチャー・達川光男がインフィールドフライを落として、サードランナーのホームインを許している。当時、石井琢朗は横浜大洋の選手だった。緒方孝市は広島カープの選手と監督として、石井琢朗は横浜大洋の選手とカープのコーチとして、同じような場面に二度出くわしたことになる。

最後に黒田博樹の話をする。

2013年6月3日、ヤンキースの黒田は、地元ニューヨークでのレッドソックス戦に先発。4、5、6回と1点ずつとられ、ヒット8本で3失点。味方の援護は、空模様と同じく湿り切っていた。ヒットはわずか2本で得点0。試合は6回の表、レッドソックスの攻撃中に雨足が激しくなり、コールドゲームとなった。この日の黒田は5回1/3を投げ、3失点で負け投手となった。

ここでひとつ疑問がわいた。黒田は3点取られたが、ヤンキースは6回の裏の攻撃をしていない。この場合、6回表のレッドソックスの1点は無効になって、2-0になるのでは? すぐに通信社の野球担当に電話を入れたが、「ちょっと調べてみる」と回答待ちになった。追って届いた結果は、「回の途中で終わったとして、その回の表裏の得点がその前の回までの勝敗に影響しない場合は、途中時点のスコアで試合終了」。

わかりにくい。噛み砕くとこうだ。この試合、5回裏終了時点で、レッドソックスが2点リードしていた。6回表にレッドソックスが1点追加したところで、コールドゲームが宣告された。勝敗(の根拠)は5回裏終了時の2-0が採用され、記録上は6回表のレッドソックスの1点が残る。結果、3-0というわけだ。黒田は自責が1点増えた。しかもこの1点は、勝ち負けに関係ないという。あまり、すっきりしない。

のどに魚の小骨が刺さったような話をいくつか書いた。ちょっとすっきり飲みこめない気がする。そんな時は、こう考えてみたらどうだろうか。これを読んでいるあなたが何かに取り組んでいるとしたら。うまく飲み下せないところは、ひょっとしたら何かのヒントかもしれない。丁寧にほどいてやると、大事なものが見えてくる。あなたが、芸術家や職人だった場合の話? いや、ビジネスマンや主婦だってそうだ。のどに小骨が刺さったら、そこにあなたのヒントがあるかもしれない。

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