球宴の夜、乾杯した君に

もう5年がたった。NPBパシフィックリーグ統括だった、仲野和男と初めて飲んだ晩からである。

仲野は1979年オフ、千葉県立我孫子高等学校から、ドラフト外で西武ライオンズに入団した。ドラフト外入団は1990年まで続いた制度で、当時は指名されなくてもプロ入りする手段であった。ちなみに、ドラフト外入団で最後の選手は、88年オフ横浜大洋ホエールズに入団した石井琢朗で、2012年までプレーした。引退時の所属が広島東洋カープだったのは、言わずもがなである。

2015年のその日は、広島でオールスターが開催されていた。蒸し暑い夜だった。セ・リーグの先発は、前年暮れ、ヤンキースからカープへ電撃移籍を発表した黒田博樹。打者の内外角に投げ込む変化球は、フロントドア・バックドアと呼ばれ、広島のローカル放送局の番組タイトルにもなった。黒田はメジャーから、投球術を持ち帰った。

黒田は、パ・リーグの秋山翔吾(西武ライオンズ-シンシナチ・レッズ)、柳田悠岐(福岡ソフトバンクホークス)ら打者9人を相手に2回を投げ、ヒット3本、失点0と抑え込んだ。イニングが変わって3回、球場全体が大きく揺れた。黒田の次のピッチャーがコールされた。背番号18、前田健太だった。ファンは、揺れたあとに酔った。酔い痴れた。広島を愛した黒田が最後の球団にと、カープに戻ってきた。その黒田が先発し、前田が後を受ける。この試合のクライマックスだった。

試合が終わり、仲野と合流した。プロ野球関係者らが定宿にするホテル近くの居酒屋だった。仲野を紹介してくれたのは、別の西武OBだった。もう長く付き合っている。彼については、いずれ書くことがあるだろう。

仲野はよく食べ、よく飲んだ。心臓にけっこうな持病があるとは聞いていたが、まるで感じさせなかった。初対面だったが、すぐに打ち解けた。この夜、野球の話はなぜか何ひとつしなかった。

別の知人に聞いたことがある。2、3年でプロ野球を馘首(くび)になった元選手は、実社会に対応できる。そこそこ長く、年数で言うなら10年ほどプロ野球のチームに所属した人物は、なかなかにコミュニケーションがとりにくい。スターであった自分が忘れられないそうだ。それは、組織人としてのサラリーマンになるのが難しいという話だ。選手本人も、受け入れる周囲の人間も。

仲野は、選手として実績がない。79年オフに西武に入団、一軍公式戦の出場がないままに、82年に引退した。縁あって88年にパ・リーグ事務局に就職した。その後二十数年、パシフィックリーグ統括就任は、目が出なかった選手時代を補っても余りある大出世である。

仲野を紹介してくれた知人の西武OBから、こんな話も聞いた。仕事柄、名門ゴルフ場でのゴルフコンペも数多くあった。仲野はそこに軽自動車で乗りつけたそうである。駐車場に並ぶのは、高級車ばかりである。それも4桁越えの値段の高級車。これがいつの頃の話なのか分からないが、仲野は短い選手生活を終え、パ・リーグ事務局に就職するのに6年かかっている。高級車に手が出なかったのはうなずける。名門ゴルフ場に臆せず軽自動車で乗りつける仲野に、一本芯を感じる。

話をオールスターに戻す。2015年の7月だ。このとき、メジャー帰りの黒田博樹から前田健太へのリレーは、先ほど書いた。前田もその二年前に新聞記者らの前で、メジャーの話題を振っている。シーズンオフの契約更改後のことだった。彼の中にあるメジャー志向が、隠せなくなっていた。

そしてあの球場が酔い痴れた晩、その場面を目撃した多くのファンが、未来に思いを馳せたのではないか。いずれ前田もメジャーに行く。きっと長く活躍するに違いない。しかし最後はカープに戻って欲しい。カープで選手生活にピリオドを打って欲しい。その花道は、黒田と前田が見せたオールスターのリレーではないか。

2014年、背番号14が入団してきた。彼は侍ジャパンの主力メンバーとして、2018年、MLBオールスターズの先発・前田健太に立ちはだかった。5回を投げ、打たれたヒット2本、自責点1の堂々たる内容だった。

2020年、今度は背番号18が入団してきた。入団一年目にして、早くも無四球完投勝利を成し遂げている。新人王の呼び声も高い。エースの系譜は切れることなく連綿と続く。なあ、仲野さん。見ているかい?

あれから仲野和男と飲むことはなかった。2018年8月、拡張型心筋症、心臓弁膜症のため亡くなった。心臓が悪いのは、聞いていた。だが、もう一度盃を交わす機会があるはずと、楽観していた。

一周忌の去年の夏、仲野を思い出した。5年前のオールスターの夜、ただ一度きり会った仲野和男を。オールスターに出場するのは、言うまでもなく選ばれた選手たちである。プロ野球界全体から見ると、ほんのひと握りの。仲野は選ばれなかった。それどころか、一軍の試合にただの一度も出場していない。仲野和男は選手としてではなく、組織人として花開いた。背広組の野球人として、長く選手たちを見守るはずだった。それが仲野和男のポジションだったはずなのに。

今年は新型コロナウィルスの流行で、プロ野球の開幕は延期。オールスターは開催されなかった。だが新聞の見出しに選手たちの活躍の文字が躍ると、仲野を思い出す。 

夏の夕間暮れ、仲野と酒を酌み交わした店の前を通ってみた。すでに違う店になっていた。

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