「Afterコロナの住まい方」

広島県は転入者よりも転出者のほうが多く社会減が全国ワースト1ということです。特に若い人が転出しているということですが、私は逆に20歳の時に岡山から広島に来て35年になりますがとても住みやすい街だと感じています。全国転勤のあるお客様が地元でない広島に家を建てたいという話は過去何度も聞きました。理由は「程よい大きさで、住みやすい」ということです。「魅力ある広島人を通じて地域の魅力を発信する」この「Hiroshima Person」の想いに共感して一人でも多くの方が広島で住まれることを願っています。

しかし、この広島も2月下旬から一変しました。新型コロナウィルスの影響です。「マスク着用」「手洗い消毒」「ソーシャル・ディスタンス」と新しい生活様式が根付き、いつの間にかテレビのコメンテーターはオンラインとなり、出演者の間にはアクリル板が設置され、再放送が流れるようになりました。

私も今まであまり見なかったYouTubeを見るようになり、自宅トレーニングや料理を手伝うために動画を見るようになりました。コロナ禍では外出もままならず、毎日家で食べていたおかげか3か月で6kg痩せ、人間ドックでもいい数値になったので決して悪いことばかりではないようです。

「STAY HOME」であらためて家の大切さを感じました。本来家は家族の命や健康を守るべき場所で心安らげる場所でもあります。しかし、毎日暗いニュースが流れたり、先が見通せないと、どうしても人は不安になりストレスが溜まるのでしょう。

首都圏ではテレワークによって「果たしてオフィスは必要か」と論議されるようになりました。大手の中にはすでに縮小する発表もされています。また、密集した都会を離れて地方暮らしを選ぶ人が増えています。6月に行われた内閣府調査では、20代の35%が地方移住への関心が高くなっており、あらためて中古住宅を買ってリノベーションされる方が増えています。

過去、不動産の歴史では価格高騰によって都心からの転出者が増えました。1960年代の高度経済成長期都心に人が増え、工場やオフィスが建設され、地価が上昇しました。その反面、大気汚染などで都心部からの引っ越しが相次ぎ、郊外に人口が増えていきました。この流れはバブル崩壊まで続き、その後、地価は急落しました。

円高により競争力を失った工場や倉庫は湾岸部から撤退し、代わりにタワーマンションが建設され、また人が集まってきました。しかし、そのタワーマンションがコロナや災害によって今見直されています。

住まいの価値観が変化しています。テレワークによって、ワークスペースの設置や玄関への手洗い設置が増えています。巣ごもり生活の影響で「太陽の光を浴びたい」と屋上リビングやガーデニングも注目されています。「少し狭いけど、仕事場に近いし便利」から「少し遠いけど、やや広くて快適」に変わるかもしれません。バブルやリーマン前の地価は上昇し続けると思われていましたが、そうではないことを歴史が証明しています。Afterコロナが不動産や家の住まい方にどんな影響を及ぼすでしょうか。

社内では、ここ数年「DX(デジタルトランスフォーメーション)」をテーマに掲げていました。DXとは「デジタルの浸透が、人々の生活をあらゆる面で、より良い方向に変化させる」というものです。ふり返れば「身近にIT」が当たり前の時代になり、それがコロナにより一気に加速しました。

お客様に来店してもらうことができなくなり、非接触でオンラインを使うようになりました。具体的にはZoom(ズーム)というソフトを使ってテレビ会議のように打ち合わせや相談を行っています。

現場見学会もオンラインに移行し、設備の取り換えなどは現場調査にLINEを活用しています。スタッフが写した動画をパソコンやスマホで自宅にいながら見ることができるということで、気軽に参加していただいています。

私も以前は出張でよく東京など行っていましたが、めっきり行かなくなり、研修や勉強会などはZoomで行うのですが、慣れると「これでいいのでは」と思うようになりました。まるで「どこでもドア」を手に入れたようです。

「100年に一度の災害」「100年に一度の経済危機」が最近では5~10年おきに起こっているのではないかと思われます。「バブル崩壊」「リーマンショック」「東日本大震災」「広島土砂災害」「新型コロナウィルス」と最近の出来事だけでも数多く見られます。もう災害や経済危機は来るのが前提で準備をしておかなければなりません。

カミュの「ペスト」が再注目されました。人類の歴史は、感染病や災害との戦いですが、必ず打ち勝つことができます。生きるためのヒントは歴史に学ぶことでしょう。広島には復興の歴史があり、先人が戦後何もないところから奇跡のような復興を成し遂げて頂きました。何もないところから復興できたのは「夢」と「希望」があったからだと思います。これからも「夢」と「希望」だけは忘れずにAfterコロナの住まいづくりを行っていきます。

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