人との繋がりを大切に「お試し」移住のススメ

里山暮らしのための「移住」のノウハウや土地・建物の物件選びについては、最近では専門の雑誌やサイトも増えて具体的な検討がしやすくなりました。とはいえ、我が家の経験からアドバイスするなら、まずは気に入った地域に何度も通って、「人」との繋がりをつくることが一番重要だと思います。

やはり、希望や期待が先に来てしまいがちで、特に子どもと一緒に移住となると、保育園や小学校へのアプローチのタイミングなどで、どうしても焦ってしまいますよね。それでも、だからこそ、まわり道してでも当該地に実際に暮らす人との情報交換が結果的に吉と出るはずです。

我が家も今暮らす北広島町には、移住する前にも休日ごとによく通っていました。ボランティア活動で里山や草原の整備作業にも参加していましたし、お気に入りの飲食店には節目にお世話になっていました。中でも特にお世話になったのは、洗練された家具や雑貨を扱うショップのK社長さんでした。

Kさんは本当にホスピタリティ溢れる方で、伺うたび陶器や木製品のことだけでなく町の話題、特にJAZZのライブ開催などの話を嬉しそうにしてくれました。お話をする中で、家族で当地に移住を考えていることを伝えると、たいへん喜んでくださりました。※写真:我が家のダイニングテーブルはKさんのショップで購入したもの。

ある日、いつものように家族でショップに伺うと、「町内の電気屋の社長さんに話をしたら、その人が管理している借家がちょうど空くらしいよ。一回見てみたら?連絡してあげようか?」(実際は北のほうの広島弁で…)と伝えてくれたのです。

実はそれまで、町や不動産業のホームページを毎日入念にチェックしていても、なかなか良い情報に出会えてなくて、正直諦め掛けていたのです。幸い、紹介いただいた社長さんも素晴らしく優しい方で、よそ者にもかかわらず親切に物件を案内してくれました。

その借家は、思い描いていた里山暮らしのイメージとは程遠い、町の小さな住宅団地の中にある典型的な昭和の造りの一軒家でした。それまで古民家やログハウスなどに住むことを理想としていたので、人づてで辿り着いたとはいえ、最初はちょっと違和感を感じてしまったのが正直なところです。

それでも、せっかくの繋がりを大切にしたい気持ちと、現実的にこれ以上探しても、当時2歳の長男の入園のタイミング的に今しかないという事情から、その家に住んでみることにしました。それが結果的に良い意味で里山暮らしの「お試し」になったのです。※写真:山側の窓から見える景色は里山景観そのものでした。

それまでは都市近郊の住宅地のアパートに住んでいたので、周りに農地がある環境ではありました。ところが、3月末に移住した先は家のすぐ近くに田んぼがある環境で、1か月後に経験した夜中のカエルの大合唱にたいへん驚かされました。

さらに住宅団地とはいえ、周囲はまさに里山の環境で、長男を連れて近所を散歩するのは本当に楽しかったです。歩いて数分の奥の谷川で安心して川遊びができたり、初夏の夜に蛍の乱舞の鑑賞ができたり、芸北の深い山にしかいないと思っていた渡鳥アカショウビンの鳴き声が早朝聞こえてきたりと、新鮮な驚きの毎日でした。※写真:長男の「川ガキ」ぶりはここで養成されました。

また秋の夜には、近くの山の上の神社から、地元神楽団の練習の音が聴こえてくるのも嬉しい誤算でした。当時、神楽にハマってDVDを見続け、太鼓や舞いの真似をとにかく飽きることなく繰り返していた長男が興奮して、なかなか寝なかったのは、良い思い出です(笑)。

また、この一軒家には小さな庭も付いていて、その一角で簡単な家庭菜園を試せたのも良かったです。というのも、夏場にはすぐ雑草が繁茂してしまったり、気付いたら作物が育ちすぎていたりして、途方に暮れる経験ができました。当時、憧れていた田畑とセットの里山暮らしは、子育てしながらの共働きで、旅行やキャンプ好きな自分たちでは、当分無理だということに気づかせてくれたからです。

そして何より、2階の窓から毎日見える八重三山のなだらかな稜線に、この地で暮らす喜びを改めて感じることができました。季節ごとにその景色は魅力的で、特に冬場の厳しい寒さや積もる雪に苦労しながらも、周囲の景観が充分に和ませてくれました。

※写真:家から出てすぐにこんな風景にも出会えるのは最高でした。

このように我が家は、「お試し」で里山暮らしに近い体験ができたことで、ゆっくり理想と現実を具体的に擦り合わせることができました。これも最初のきっかけを作っていただいた、今は天国でJAZZ三昧であろうK社長さんのおかげですね。

次回は、当地に移住してから4年後に、いよいよ「定住」することになった経緯を振り返ってみたいと思います。もちろん、その過程でも「人」との出会いや繋がりがポイントになりました。今振り返っても、偶然なのか、必然なのか、わからないくらい、不思議なご縁だったのです。

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