地産地消で広島を盛り上げたい!
広島でステーキといえば青ひげ
わたしが東芝メディカルシステムズの本業とダブルワークのアルバイトとして働くことになったお店は東京都内で多店舗展開する老舗鉄板焼き店でした。平日は夕方、会社の仕事が終わると店に入って終電まで、そして土日は終日お店で働く日々の始まりです。ところで、人を元気にする飲食の世界に夢や憧れを抱いてはいたものの、大学時代に居酒屋でのアルバイト経験こそあれ、料理なんて自炊も1度もやったことがありません。飲食店での修業は、ホール担当からスタートし、慣れてくると調理補助や仕込みを手伝わせてもらうようになりましたが、覚えることも多くて本来、不器用で手が遅い自分にとっては、なかなか大変な作業でした。ダブルワーク中は、会社にも迷惑をかけないように毎晩終電で帰宅しようと早朝出勤して退社時間までに仕事を済ませていたし、「限られた時間内に成果を出すには2倍頑張らねばいけない!」と気合を入れて奮闘したものです。目が回るほど忙しいのに気が張っていたせいか、その期間は身体の弱いわたしが風邪ひとつひきませんでしたよ。
修業を終え、広島へUターン
ダブルワークをしばらく続けると、やはり飲食の道に転身して開業したい気持ちが固まったので会社に退職する旨を伝えました。在職中は何かとお世話になって楽しかったし、後任の引継ぎのことなども自分なりに考えて会社には早めに辞める時期を伝えておくことにしたんです。こうして1年ほど、ダブルワークしながら9年間勤務した東芝メディカルシステムズを退職、飲食店のアルバイトで働くだけになりました。その頃には肉を焼かせてもらえるようになっていたし、念願の調理師免許も取得したので、本気でこれからのことを考えると、人の数も多い東京で店を開いた方が場所とコンセプトさえしっかりしていれば商売は成り立ちそうだけど、ここで開業してお金儲けして何か意味があるのかな?と思うようになりました。
同時に自分が広島を離れてから、海と山に囲まれ、お好み焼きと牡蠣だけでなく牛肉や穴子など他の海産物にも恵まれている広島の魅力を再認識したことで、広島を盛り上げたいという使命感に駆られてきたんです。飲食店を開くなら広島に帰ろうと決意し、それから半年くらい務めて鉄板焼き店での修業にピリオドを打ちました。広島で開業する腹が決まると、人生で初めて自分のやりたいことができたせいか「まだ知られていない広島県の良さを発信したい」とか、鉄板焼き屋で修業した2年間で感じた人材雇用面など、企業に比べて飲食店や業界の遅れている点も自分が事業を起こす場合は「福利厚生面なども大手企業並みにしっかり整備しよう」とか、思いは募るばかりです。そして、後半はずっと慌しかったけれど、修業させていただいたオーナーのおかげで多くの経験を積んだ東京に別れを告げ広島へ。2018年6月、35歳を迎えた頃のことです。
開業準備、コツコツは勝つコツ
わたしは熊野町出身なので広島市内はなじみが薄いのですが、広島を盛り上げ、魅力を発信するにはやはり市内中心部でなくてはいけません。東京で修業した鉄板焼き店を開くことにしたものの、開業するには資金も必要です。ダブルワークの時は多少余裕もありましたが、会社を辞めてアルバイト1本となった半年間の生活費で貯金も目減りしたので切り詰める必要があると思っていた矢先、高校陸上部やり投げ時代の同級生でSE(システムエンジニア)として働く友人に相談すると、ちょうど独身同志で家賃も軽減できるし、市内で一緒に住もうかという話になりました。こうして中区広瀬町に住み家もできたので、彼にも手伝ってもらって早速、店舗物件を探しに出かけてみたところ…。
不動産屋を回って、鉄板焼き店を開きたいので最適な物件を探している旨を伝えると、誰かの紹介でもないし、冷やかしの若造と思われたのか40~50軒訪ねても3軒くらいしかまともに相手にしてもらえませんでした。3か月くらい足を運んで、ようやく親身になってくださる中区大手町のビルの大家さんと出会い、お世話になることに。なお、この不動産屋回りをしている期間は、広島の飲食業界を知るための勉強も兼ねてアルバイトもやりました。ちょうど、大手町に本店を持つお好み焼きの蔵屋さんが紙屋町に新店舗を出す準備を進められていたので面接を受け、出店先が決まるまでアルバイトさせて欲しいという事情を話すと、紙屋町店のオープニングスタッフとして雇っていただけたんです。自分が開業する前に地元人気店のオープンのお手伝いが出来たのは大きな収穫でしたね。あと、お酒の知識も増やしておこうと午前中は酒類卸販売の住田株式会社さんでもアルバイトさせてもらいました。どちらも広島で店を構える上で良い経験になったことは言うまでもありません。
創業する物件の目途がついたので自己資金500万円と金融機関での借り入れ2000万円を元手に、いよいよ店舗作りのスタートです。実は、この物件に決める時、大手飲食会社に勤める同級生からは、入居するビルの立地場所が紙屋町エリアの端っこにあって人目につきにくいことや、メニューがステーキなど高単価で店に客がつくまで時間がかかるのに入りやすい1階でなく2階であることなどを指摘され、「場所が最悪!」と反対されましたが、わたしにとすれば「ここでやってみてダメなら、どこでも同じ」と納得済みでした。なぜなら、食事をしている間は外の喧騒を忘れてゆっくり楽しんで欲しいというのが信条なので、創業店舗については周りの騒音が聞こえず、外の景色や通行人の視線が気にならない2階で十分だったのです。そのぶん、元喫茶店だったスペースをスケルトンにして改装した店内には細部までこだわり尽くし、いろんな工夫を採り入れましたから。
わたしは子供の頃に小学校の家庭科の先生から聞いて自分の生き方にも通じるため、なんとなく腑に落ちた「コツコツは勝つコツ」という言葉を大切にしています。何ごともコツコツ地道に積み重ねていけば成功につながる、ということですが、飲食店も創意工夫をコツコツ積み上げていけば、お客さまに届いて必ず道は開けるはず。そのためには食の安全を徹底し、心ゆくまでくつろげる空間作りが必要です。まずは、お客さまと一体感でやっていきたいという思いから個室は作らずに鉄板を囲むカウンターとテーブルで焼きながら店内の全てが見渡せるようなレイアウトを採用しました。
ホテルなど鉄板でお客さまの目の前で肉を焼くところだけ見せるケースは多いけれど、自分の店では肉を焼くのはもちろんのこと、食材の仕込みやドリンクを作る工程、洗い物をする様子までフルオープンで丸見えのスタイルで「正々堂々と勝負したい」と考えました。ただ、全てを包み隠さず、見てもらうには美観と衛生面に配慮する必要があります。店内に入るとひときわ目立つL字型の鉄板については当時、この形状の鉄板は長方形の鉄板を2枚合わせて並べるのが主流でしたが、つなぎ目にゴミが挟まると汚くて不衛生だし、掃除も大変。つなぎ目をなくせば見た目も美しくなるので大型船舶にも使われる特殊な鉄板を使用して製作した日本初の大型L字鉄板です。また、お客さまがお金を使って食事しに来て良かったと思えるように照明や椅子、テーブル、ワインセラーなどの調度品にも高級感を出すように努めました。それをキープするために開業後はポスターなどの不要な物は貼りません。
「ステーキ青ひげ」オープン
こうして全ての準備が整い、2019年(平成31年)2月9日の肉の日に「ステーキ青ひげ」が船出しました。よく店名「青ひげ」 の由来を聞かれますが、決してふざけているわけではなく、 経営理念に定めた「凡事徹底」に由来しています。スタッフが掃除・挨拶・身だしなみ、約束を守る、悪いことをしたら素直に謝る、嘘をつかず正直に行動するなど、当たり前のことを当たり前にし続けることができたなら、明るい未来が待っているのではないかという信念に基づいているんですよ。わたし自身、色白でひげがとても濃いのでひげを剃ると青ひげ面 になります。「今日1日ぐらいはひげを剃らなくても良いだろう」と耳元で悪魔がささやいた時に「今日もきちんとひげを剃って青ひげでがんばろう!」と戒めてくれる天使のような屋号だと思っています。
店のコンセプトは「地産地消の考えから広島県の食材にこだわって、遠方や海外のお客様へ広島県の食材のすばらしさを伝えたい」。広島牛のステーキを主体に瀬戸内のシーフードや野菜、地酒などを提供していきます。看板メニューの広島県産和牛にこだわるステーキは、サシの多いA5ランクではなく、サシと赤身のバランスが最適だと思うA4ランクの肉を厳選。海鮮・魚介は、瀬戸内で獲れたカキ、あなご、伊勢海老など。中でも瀬戸内でとれたアワビは肉厚で味が濃く、磯の香と歯ごたえが抜群です。地酒は、わたしの故郷・熊野町の歴史ある地酒「大号令」を筆頭に、お世話になっている先輩から紹介された「賀茂鶴」など、地元の銘酒を多数取り揃えています。
オープン時は、わたしの他に熊野筆の会社を営む同級生の妹さんとアルバイトの陣容でスタート。開業して2月、3月は知り合いを中心に客足も伸び、売上げも順調な滑り出しとなったのですが、問題が一つ浮上しました。自分がやりたいことをようやく実現できたことから、とにかく必死のわたしがあれこれ考えては、朝令暮改のように店のシステムを変更し、矢継ぎ早に指示を出すのでアルバイトがその変化に対応できなくなって、すぐに辞めてしまうんですよ。決してきつい言い方をするわけではないのですが、仕組みがコロコロ変わるのでついて行くのがしんどくなるのだと思います。アルバイトが定着しないので困りはじめていた4月頃になると開業景気もひと段落したのか?客足もピタッと止まってしまいました。「これはマズイ」とゴールデンウィークの前からディナーだけだったメニューにランチを追加することに。ランチ営業の開始と合わせてわたしの母にも皿洗いなどを手伝ってもらうようになりましたが、それから1年半くらいは、調理、接客、会計をわたしが1人でこなさねばならず、昼夜働いて1日も休みませんでした。母や当時のスタッフがサポートしてくれた甲斐もあってか、少しずつ客足が戻りはじめた頃、世界中がコロナ禍に見舞われたんですよ。
法人化を機に積極展開に拍車
コロナ禍により世の中に自粛ムードが蔓延し、飲食業はもとより、様々な業種が未曽有のダメージを受け始めたわけですが…。ウチの場合は、店を開業した年の4月に広島商工会議所青年部(YEG)に入会していたおかげで逸早く助成金などの役立つ情報や人脈、協力サポートを得られたので無事に乗り切ることができました。ちなみに補償の関係で飲食店が休業や時短を強いられる中、開業して間もないのに休業にするとお客様に忘れられる気がして、わたしはいつも時短を選んでいましたね。コロナ第1波の時はスタッフを全員休ませて自分1人で営業しましたが、この時ほど来店して下さるお客様、そして一緒に働いてくれるスタッフのありがたさを感じたことはありません。あと、時短ながら休まず営業していたので仕入れ業者さんから「休業する店舗が多いのに、細々とでも注文し続けてくれてありがとう」と感謝されたり、YEGの友人が緊急事態宣言の前日に余ったお酒を飲みに寄って、励ましてくれたのも嬉しかった。今思えば、開業2年目で少し軌道に乗ってきたので勘違いして足元をすくわれかねない時期に、お客様、スタッフ、業者さん、友人など、自分が周りの人に生かされていることを再認識できたのはコロナのおかげかもしれません。
良い意味でコロナ禍が節目となり、開業して丸2年経ったことで個人事業からの改組に伴う消費税の優遇制度や、飲食店を皮切りに多角的な事業を展開する上での対外信用面も踏まえて2021年(令和3年)2月に組織を法人化して「青ひげ株式会社」を設立しました。法人成りを機に新たな事業にも乗り出そうと、この年11月、中区本通の広島本通商店街の一角に出店したのが精肉店 「ビーフ青ひげ」です。コロナ禍でテイクアウト需要が増えたことに伴い精肉や弁当を販売するのを目的にオープンしましたが、現在は需要の変化もあり、弁当配達専門店として営業しています。事業を拡大する上で、人を信じて仕事を任せる「他力本願」の大切さを知ったこともあり、その後も新規出店には積極的に取り組んでいるので、時系列で概要を紹介してみると、
〇2022年9月(令和4年)「青ひげ公式オンラインストア」開設。
青ひげのステーキ肉を全国各地へ広めようと立ち上げた通販サイト。
〇2023年3月(令和5年)「青ひげ本店」オープン。
店舗が2階にあるため、階段を上がるのが辛い高齢者などが利用しにくいことや、個室がないため、接待利用などが難しい1号店「ステーキ青ひげ」の課題を解消するため、中区八丁堀の古民家を改装したワンランク上の味わいを楽しめる純和風空間。
〇2023年6月( 〃 )弁当総菜店「広島牛青ひげそごう広島店」 オープン。
デパ地下初出店。広島そごう地下2階で広島牛や各種総菜を販売。
〇2024年10月(令和6年)広島牛専門焼肉店「広島牛焼肉青ひげ」オープン
今まで「ステーキ」というジャンルに敷居の高さを感じていた方にも気軽に広島牛を楽しんでもらおうと広島駅周辺エリアで利便性の良い南区的場町に出店。
〇2025年 3月(令和7年)弁当総菜店「広島牛青ひげミナモア広島店」 オープン。
リニューアルした広島駅ビル「ミナモア」で広島牛を使用した焼肉重、ステーキ重や弁当ほか、精肉も販売中。
創業6年目で6店舗体制となり、おかげさまで売上も好調に推移してはいるものの、創業時と同様に思い立ったらすぐ行動に移すわたしのスピードにスタッフがついて来られなくて定着しないといった課題など、改善すべき点も少なくありません。一緒に汗を流してくれている現在のスタッフに感謝すると共に、次のステージに進むためには、青ひげの労働環境を整えて経営理念に共感して一緒に頑張ってくれる人材の募集をはじめ、まだまだ頭を悩ます日が続きそうです。
青ひげ、そして家族の未来
青ひげの企業理念では、「広島でステーキといえば青ひげ」→「広島牛といえば青ひげ」→「広島といえば青ひげ」→「青ひげといえば広島にある世界を代表とする起業!」とステップアップすることを未来像と合言葉に掲げています。これを有言実行するためにも「みんなが楽しめて、笑顔になれる場所を作りたい」との思いでわたしがやりたい、やらなくてはいけないことは沢山ありそうです。実現する時の自分の年齢や目標も含めて、これから次のような事業を進めていこうと考えています。
◇精肉ギフトの卸売と会議・冠婚葬祭等の高級弁当の配達(〜45歳)
◇こだわり広島牛を育てたいので牧場経営(〜45歳)
◇1頭買いを行い、広島牛のBBQや焼肉ができる施設作り(〜45歳)
◇熊野町に県内・県外の人を集客できるハイパー銭湯作り(〜45歳)
◇熊野を活性化するために高齢者・障害者施設等と一緒に工場化(〜45歳)
◇会社の理念に共感してくれる社員を100名雇用する(〜45歳)
◇自他ともに青ひげで働くことを誇りに思うような会社にする(〜50歳)
既にいくつかの事業については準備に着手していますが、自分1人では出来ないし、みんなで出来たら喜びもひとしおです。さて、どこまで実現できるか?乞うご期待!
趣味が仕事で、これといった特技もないけれど、自称「何とか生きていく天才」のわたし。プライベートでは、東京から帰広した際に9歳年下の女性と結婚しました。彼女とは広島を離れて何年ぶりかに仕事を通じて再会し、その時に道の駅で飲食業に従事していたことや、出身が偶然、同じ熊野町だったことなど共通点も多く、意気投合したのが馴れ初めです。目下、夫婦の2人暮らしですが、嬉しいことに今年12月、待ちに待った子供を授かることになりました。家族が増えた暁には、自分は旅行が好きなので、国内ならば寒い時期の北海道、海外ならば、いつもまた行きたいと思うハワイに足を延ばして2、3週間、ファミリーでのんびり過ごしたいですね。ただし、仕事とプライベートの区別がないのが自分の日常ですから、バカンスの間も将来的に視野に入れている青ひげの海外出店に向けてマーケティングやリサーチを開始したり、ホテルでバイキングを食べる時に「広島県産の食材でやってみたらどうか?」なんて、言いだすのは間違いなし!きっと妻や子供も一緒に楽しめるはずです。ともあれ、まずは青ひげの事業を通じて「広島を元気にしたい、広島に観光に来た人を楽しませたい、広島に住む人の自慢店になりたい、広島を活性化していきたい」のが大前提なので、身体が元気なうちは働き続けます。この履歴書の新しい頁にどんな足跡が加わるのか?自分でも楽しみです。
《谷太輔(たに だいすけ)PROFILE》
青ひげ株式会社 代表取締役。1983年(昭和58年)6月1日生まれ、広島県安芸郡熊野町出身。広島県立安芸南高等学校卒業後、広島修道大学国際政治学科を1年で中退し、広島国際大学診療放射線学科へ編入し診療放射線技師資格を取得。広島国際大学大学院卒業後、東芝メディカルシステムズ株式会社入社し、中四国支社及び首都圏支社に勤務。学生時代に確信した「飲食業には人を元気にする力がある」という熱い想いから飲食業への転身を図るべく、9年間勤務した同社を退社して東京の老舗鉄板焼き店で修業。平成31年(2019年)2月に故郷・広島で“広島牛のステーキ”が看板のレストラン「ステーキ青ひげ」をオープン。2021年に法人化し、青ひげ株式会社設立。現在は広島市内で精肉店や総菜・弁当を扱うデパートのテナントなど6店舗の他、広島牛オンラインストアの運営なども手掛けている。趣味は仕事、寝ること、温泉、サウナ。座右の銘「凡事徹底」「コツコツは勝つコツ」「他力本願」。
《所有免許・資格》 〇そろばん準段 〇書道1級 〇普通自動車免許 〇中型自動二輪免許 〇診療放射線技師免許 〇第一種放射線取扱主任者免許 〇調理師免許
■会社概要
会社名 青ひげ株式会社(AOHIGE CORPORATION)
代表 代表取締役 谷 太輔
創業 平成31年(2019年) 設立 令和3年(2021年)
資本金 300万円 従業員数 45名
事業内容 ・広島牛鉄板料理店の経営 ・広島牛焼肉専門店の経営・広島牛専門精肉店の経営 ・広島牛弁当、総菜の製造販売・広島牛オンラインショップの運営・その他、広島牛の販売・卸売等
本 社 〒730-0051 広島県広島市中区大手町1-7-23-2F
TEL:082-244-6611
■店 舗
【レストラン】
「青ひげ本店」
〒730-0013 広島県広島市中区八丁堀8-11
TEL 082-211-5811
「ステーキ青ひげ」
〒730-0051 広島県広島市中区大手町1丁目7-23 ラフォーレビル 2階
TEL 082-244-6611
「広島牛 焼肉青ひげ」(青ひげ精肉店含む)
〒732-0824 広島県広島市南区的場町1丁目5-10
TEL 082-262-8989
【弁当・総菜店】
「ビーフ青ひげ」
〒730-0035 広島県広島市中区本通5-12
TEL 082-241-1999
「広島牛青ひげ そごう広島店」
〒730-8501 広島県広島市中区基町6-27 そごう広島店B2F
TEL 082-512-7865
「広島牛青ひげ ミナモア広島駅店」
TEL 082-569-5881
〇ホームページ
◇青ひげ株式会社 https://www.aohige.jp/
◇青ひげ公式オンラインストア https://hiroshimabeef.jp/