File.7 佐々木大輔さん 株式会社 SSK 代表取締役 《後編》

多角事業に挑む会社SSKを設立。
自らは35歳で定年、新たな旅へ!

自分で起業する腹が決まると、後は実行するのみ。もともと保険会社には、個人事業主として所属していたので、仕事と並行して独立の準備を行えるのも好都合でした。まずは、何を会社の業務として行っていくか?を具体的に決めようと、知り合いの税理士さんや司法書士さんにアドバイスをいただきながら、とりあえず、独立してやりたい仕事や出来そうな事業を残らず、定款に加えておくことに。こうして2019年2月4日、苗字の佐々木をローマ字で短縮して社名にした「株式会社SSK」を設立、わたしが31歳の時のことです。

定款に書き連ねた業務のうち、現在は、不動産、保険、通信、運輸、通信、飲食の6つの事業を柱に、グループ会社と自動車販売業や建設業など10業種以上を展開しています。時系列で振り返ってみると、開業当初に着手したのが保険業、自動車販売業、通信サービスでした。まず、保険業は前職である大手保険会社の一次代理店など、生命保険・損害保険を扱う業務で、代理店資格を得るためには募集人2人以上を必要としたことから、かつての同僚と2人でスタート。つまり、SSK設立時は、わたしと彼の2人の陣容で船出したわけです。

そして、新会社の所在地など、ベース基地を決める主要事業となったのが、20代半ばから勤めた会社でノウハウを学んだ自動車販売業でした。自動車の買取と販売を行うためには、車が置ける場所を確保せねばならず、立ち上げた時は東区戸坂に駐車場10台分のスペースと倉庫に3台置ける事務所を借りて営業開始したところ、予想以上に引き合いがあり、すぐにその収容能力では業務が追い付かなくなる羽目に。一年もたたないうちに追加して40台は収容できる近所の100坪の土地を借りた次第です。スタートダッシュの牽引車となってくれた自動車販売事業部「リベルテ」(のちに分社)については、広島という地方都市の市場性が追い風になったと思いますね。事務所を構えた戸坂のように公共交通機関が都心部ほど進んでいない郊外の住宅地ではクルマが必需品であり、一家で2台所有される家庭も少なくありません。

需要が見込めるだけに同業者も沢山いますが、わたしの場合、開業した時から基本としてきたのは「弊社に来た話は全部やる!」というスタンスです。例えば、「ベンツのSクラスを1400万円で買い取って欲しい」という話が持ち込まれたら、大半の業者は販売先が見つからず、売れ残った時のリスクを考慮して取引を諦めると思います。まだ30そこそこで若気の至りというか、恐いもの知らずの自分は「考えていてもキリがない。損はしないだろう」と開き直って、迷うことなく商売を進めていたんですよ。たまたまタイミング良く売り先を紹介されたり、運にも助けられましたが、リスクを恐れずに攻めの姿勢で商いに臨んだことが好結果につながった気がします。

一方、通信サービス事業部「アクシア」は、保険会社時代に知り合いのバーのパーティーで再会した高校の同級生が通信関係に勤めていた縁で、携帯電話のイベントをお手伝いして通信業界にパイプができたのが事業化の切っ掛けでした。主な業務は、ドコモとソフトバンクの代理店としてスマートフォンやインターネット回線などを扱う通信関連のサービスです。保険、自動車販売、通信と、業種は一見バラバラにも見えますが、面白いことにどの事業からも他の事業に通じる人のつながりが出来るんですよ。おかげさまで人のつながりを通じて、スタッフの営業活動よりもお客様や取引先からの紹介で仕事が増えていく手応えを独立1年目から感じることができました。

その勢いで、9月21日に開設したのが不動産売買・賃貸管理事業を行う「リアンホーム」事業部です。不動産事業を始めたのは、生命保険会社時代にわたしの車を譲った後輩がひょんなことから通信事業部に入社し、会社に勤めながら4カ月ほど勉強して宅建(宅地建物取引士)の資格を取得したのが発端で「宅建の資格所有者がいるのなら、事業化しない手はない」という流れになりました。現在は売買や賃貸管理に加え、建売住宅の販売なども手掛けています。

こうして事業部も増え、2人でスタートした会社も1年目は毎月2人ペースで社員を採用することになり、結局22人に増えました。仕事が入って来るのは良いけれど、業務を拡張するには資金が必要で、特に自動車販売業は仕入れを行うのにかなり費用がかかります。どう対応していたか?というと、金融機関に毎月試算表を提出して運転資金を借りていました。もちろん最初は「どれぐらい売り上げ見込みがありますか?」と聞かれ、わたしが「初年度の年商目標1億円です」と言ったら、「せいぜい頑張ってください」と鼻で笑われたものです。ただ、非常に優秀な銀行マンの方が担当についてくれたので、強気を崩さずに頑張ったところ、公約通り初年度売上1億3000万円を達成。1期を終えた時点で、すぐに当座貸越枠を設定していただけました。

ちなみに弊社のキャッチフレーズは“SSKはお客様をトータルプロデュースする会社です。お客様のライフスタイル・リクエストに対応できる部門別プロフェッショナル集団です”。人からよく「SSKは何屋さん?」「何の仕事をする会社?」と聞かれますが、様々な業種にトライするので一言では答えられないし、わたし自身は何屋でも良いと思っています。従って、2年目に入ってもさらに事業の多角化を加速していきました。自動車販売を手掛ける関係で、お話をいただいて開始した運輸サービスの「トランスポーターレガロ」事業部もそのひとつ。

ある時、軽配送業で独立された方から伝えられたのが「軽バンのリースができないか?」との要望です。それまで車のリース業務は行っていませんでしたが、ウチにはリベルテ事業部を通じて車がいつでも確保できて、代車や修理にも対応できる強みがあるので、まずは軽バン車両を揃えて取り組むことになりました。以来、ヤマト運輸サービスなど、運送会社向けのアウトソーシングとして人員確保・コスト削減を目的とする企業様に代わり集荷・配達などの業務を自社のドライバーでこなしています。

次に視野に入れたのが、自分自身も学生時代のアルバイトで居酒屋やバーで働いたり、2番目の勤め先でカフェの経営を担当して、現場経験が豊富な飲食業です。ちょうど、友人のお母さんが安佐南区西原のJR可部線下祇園駅近くで30年間営業してきたお好み焼き屋をたたんで、店がそのまま放置されているという話を聞き、地域に長い間定着した店でもあり、我々が引き継ぐことを決めました。

何はともあれ、閉店した店舗を借りて、リフォームを施し、店を任せられる人材を探してみると、妻の姉の旦那さんが「やってみたい」と名乗り出てくれたんです。とはいえ、未経験だったことから独学で焼き方を勉強してもらうことになり、最初の月は材料費を35万円くらい使って700枚以上焼く猛特訓をしたものです。こうして2020年6月17日、「お好み焼き ささ家」がオープン、以前の店の閉店を寂しがっていたお客さんも大勢詰めかけていただき、初日から大繁盛となったのですが…。

開店して3日目、素人からのスタートで、次から次へと来店されるお客さんの対応に焦った義兄が床に落とした卵に足を滑らせて熱い鉄板の上に腕をついてしまいました。手の平から肘までの大やけどを負ったため、お好み焼きを焼く人がいなくなるという緊急事態が発生し、開店早々しばらく休業する羽目になったんですよ。まさに滑ってコケる船出となりましたが、4年目を迎える現在は、おかげさまで地域に親しまれる店として知名度も上がり、順調に推移しています。コロナ禍にあっても、お好み焼きの場合はテイクアウト需要が多いので、ほとんど影響なく、2022年7月7日には安佐南区長束に2号店「鉄板焼き ささ家」をオープンしました。

ところで、まずは軽バン車両を揃えることから始めた運輸サービス然り、とりあえずテナントを借りておいて準備を進めたお好み焼店然り、いつでも先に投資して事業化するわたしに従業員がよく「うまくいくかどうか?わからないのに社長、頭がおかしい!」と言ってきます(笑)。たしかに自分の直感で様々なビジネスを始めていますが、もちろん勝算もあるんですよ。そして何より「仮に失敗しても自分が責任取れば、いいじゃないか」と考えています。わたしの場合、大儲けして贅沢な暮らしや高級品に囲まれた生活がしたいわけでもないし、「自分と家族がご飯を食べるのに最低限必要な額だけ稼げばよい」と思っているので、余裕で生きていく自信がある。この思いが常に頭にあるからこそ失敗を恐れず、新たな挑戦に踏み切るのでしょう。

そんなわけで、以降も新しい分野への進出は続き、次のような事業も立ち上げました。

〇「瀬戸内フィッシングサービス」=1期を終わった頃に2020年の7月に購入したビルの売主の方から「漁業権を持っているので使われますか?」とのお誘いを受けたんです。わたし自身は、釣りにはあまり興味はなかったのですが、知人と3人で船を買うことになり、メンバーの釣り好きの人が「遊漁船をやりたい」と言うので事業に加えました。我々の関係者の利用を目的とするもので収益が目的ではありません。

〇「雑貨バイヤー」=広告代理店の企画にボランティアとして参加していた関係から取り組むことになった事業で、中四国の作家によるこだわりのハンドメイド作品を探し出し、THE OUTLET HIROSHIMAなどのショップに卸して販売しています。モノづくりや物販の世界は、自分も面白さを感じますね。

〇「株式会社K’S Create」=妻の兄が個人で20年くらい建設業をやっていたことから、業務拡大を踏まえて2021年9月に法人化したもので、メガソーラーの設置、外壁塗装、屋根の鈑金、通信基地局の設置など関連工事を手掛けています。

こうして開業2年目には、さらに事業部門が増えたため、東区戸坂に借りていた2か所の駐車場と本社事務所では、機能的に手狭になってきました。家賃もトータルで50万円近くかかっていたので秋頃から移転先を探していたところ、安佐北区落合南5丁目に条件に見合う土地を見つけたんです。広い駐車場を必要とする弊社には理想的な場所なので思い切って購入し、移転準備に取り掛かることに。わたしも正月を返上して、雪がちらつく真冬の道をWキャブトラックで備品を運んで、2022年1月に移転を完了したのが現在の本社所在地です。

スケールアップした自分の城を構えて3年目に突入した後も共感できる仕事があれば、積極的に事業化してしまうスタイルは変わりません。最近で言えば、東京の知人から紹介された人を通じて、故障や事故で動けなくなった自動車を牽引して修理工場などに運ぶ“レッカー事業”があります。この事業は、自動車を扱う関係でウチに積載車があったことに加え、ちょうど「レッカーの仕事をやりたい!」と話していた2級整備士の資格を所有して営業も得意な後輩がいたため、営業許可をとるだけで、すぐに実現できました。しかも2022年の暮れからの活動開始早々、10年に1度の大寒波で地域のインフラを混乱させた降雪により出動を求める電話が鳴りやまず、早速フル稼働。滅多にない寒波が後押ししてくれて、好スタートが切れた次第です。

そういえば、SNSから生まれた面白い出会いもありました。ある日、TikTok(ティックトック)を眺めていたら車で日本1週をしている若者がいて、どうやら彼の車が壊れたとのこと。旅が頓挫するのを不憫に思い、「広島で車屋やってます。会社のPRをしてもらえたら軽自動車を進呈します」と発信してみると、すぐに「お受けします!」と返信がありました。せっかくなので軽自動車をお洒落に全塗装し、ついでにオリジナルステッカーも作製して本人を広島に招いて引き渡したところ、なんと彼は世界一周などの旅の動画で日本一のフォロワー数を誇る有名なティックトッカーでした。もののはずみで“スポンサー”になってしまったわけですが、それまでの旅を通じて世界中に人脈を持つ彼が車の返礼にと、会社のPRはもちろん、ネットワークを通じてドバイにビジネスのパイプを繋いでくれたんです。単純に困っている若者を応援したいと提供した軽自動車1台が世界への扉を開いてくれるなんて、考えてもいなかったこと。ほんと世の中、何が起こるか?わかりませんね。

何が起こるかわからないといえば、人との出会いや運にも助けられ、今のところ事業の方は順調に推移していますが、良いことばかりでもありません。実は2022年8月、わたしに大腸がんが見つかったんです。血便が長く続くので病院を訪ねて精密検査を受けたら初期のがんであることを告げられました。幸い初期の発見で大事には至りませんでしたが、4月に長男が生まれたばかりでもあり、そりゃあもうショックでしたよ。もともと母親が早逝の家系だったので“人生50年”を意識してがむしゃらに働いてきたものの、いざ自分にがんが発症したのをリアルに体験すると考え方もさらに変化しました。人は誰しも「まだ死ぬことはない」とか「明日が必ず来る」と思い込んでいるけれど、病気や事故が原因で「明日死ぬかも、来月死ぬかもしれない」という不安が現実味を帯びてきたんです。

そうなると、「今のままで満足して良いのか?」、「お前は一生懸命生きているのか?」、「まだやれるんじゃないか?」といったワードが次から次へと頭に浮かび、いま生きているありがたさを痛感し、「自分が満足できる生き方をしておかないと、もったいない!」と思う気持ちが強くなりました。例えば、ウチの息子はまだ赤ちゃんですが、ちょっと見ないうちに笑うようになって、ハイハイしていたり、いつの間にかイチゴを食べるようになっていたり、日々成長しています。がんを通じて、当たり前のように“明日が来る”とは思えなくなると、どんどん成長していく息子に比べれば、自分の歩むスピードはまだまだ遅い気がしてきました。「もっとできることがある!」「もうちょっと前進するためには何をすべきか?」を常に念頭に置いて、ビジネスに限らず、やりたいことや夢を追い続ける生き方をさらに加速しなければ!

というわけで、35歳を迎え、今期(2022年度)はひとつの節目となるグループ年商10億円も達成できそうなので、かねてから自分の理想としてきた「35歳で定年し、自由に生きてみたい」を実現しようと思っています。ひとまず、夏頃を目途に沖縄本島か、宮古島あたりへ居を構えてのんびりしてみようか?と考えていますが、現実的には仕事からすぐに身を引くことは出来ないので、広島と半々の生活になるでしょうね。周りからは「あんたは、すぐに飽きて戻って来るよ」と言われています(笑)。しかし、その時はその時です。あるいは引き上げて来て東京に住むかもしれないし、先のことはわかりません。当面は、2023年夏に35歳での定年を気持ちよく迎えるためにも、これまで手掛けてきたSSKの様々なビジネスを後任に安心して任せられるよう、組織の基盤を強化することに全力投球するつもりです。

人に比べて生き急ぐように過ごしてきた35年間を振り返ると、自分のやりたいことを探す旅を続けてきたような気がします。まもなく、ひと休みしてみようと思っていますが、朝から晩まで忙しく動きまわる生活が染みついたわたしのことです。どんな形にしろ、また新しいやりたいことを見つける旅に出るのは間違いないでしょう。昨年2022年は子供が生まれ、大腸がんが見つかるなど、これからの人生に大きく関わってくる出来事もあり、自分の頭の中のほとんどを占めていた仕事以外に考えるべきことも増えました。とりわけ、我が子に対して“親父の義務を果たす”という重要な目的もできたので、息子が成長した姿を見届けるためにも、しばらくは死ぬわけにいかないし、明日を迎えられないと困りますね。いつの日か“やりたいこと探しの旅”や家族の話の続きを、この履歴書に書き加えることができれば幸いです。

《佐々木大輔(ささき だいすけ)PROFILE》

1987年10月14日生まれ。広島県広島市出身。2009年広島経済大学卒業後、大手パチンコチェーンに就職。その後、自動車販売会社、保険会社などへの勤務を経て独立、2019年に株式会社SSKを設立。不動産・自動車・通信・保険・運輸・飲食など6事業を手掛けている。グループ会社の株式会社liberteおよび株式会社K`S Createの代表取締役も兼任。趣味は釣り。座右の銘は「人生一度きり」。

【会社概要】

会社名株式会社SSK
代表者代表取締役 佐々木 大輔
本社広島県広島市安佐北区落合南5丁目1314-7
TEL:082-847-2830 FAX:082-847-2870
設立2019年2月4日
資本金3,000,000円
従業員数17人 (2021年7月1日時点)
主な事業内容不動産売買・賃貸
通信・インターネット附随サービス
生命保険・損害保険代理サービス
運輸サービス
飲食サービス

■株式会社SSK ホームページ
https://ssk-group.co.jp/

■佐々木 大輔 フェイスブック
https://m.facebook.com/daisuke.sasaki.3990

Hiroshima Personの最新情報をチェックしよう!