【中国武術への道 】
Vol.24 外三合 脱力と陰陽論(後編)

【中国武術への道 】


中国武術の各門派を修行し、陳氏太極拳を専門として嫡伝の伝承者となった桂峰生氏があなたの知らない中国武術の世界をレクチャーいたします。

前回は、上下・昇落・前後・左右といった動作の方向を陰陽の対(つい)として分類した。陰陽の動きを「大きく」「ゆっくり」と等速度で循環させることにより、脱力のコツを体得しようとするものだった。今回は、剛柔・快慢・鬆発・緩急・蓄発など動作の質を陰陽の対として用いた。同じ技法の中で動作に強弱や速度の変化をつけることにより、筋力のオンオフや脱力のコツを体得しようとする方法だ。

Vol.6 太極拳と易(前編)では変化と循環がテーマ、今回は相対と対比がテーマである。陰から陽へ、陽から陰へ連続して変化・循環することは、易の理論でも紹介した通りだ。「易」には、循環・変化だけでなく相対・対比・相反・相済(そうさい)とさまざまな意味がある。一般的に太極拳とは、脱力してゆっくりと行うというイメージが先行しているかもしれない。しかし、こうしたイメージは、太極拳の一面でしかない。勁力の発揮を陰陽の理論に照らすと、脱力やゆっくりした動作は「集中(緊張)」や「速い動作」への準備と分類できる。

「つよく・かたく」(剛)するために一旦「やわらかく」(柔)する。柔になる前に剛となる。「はやい・すみやかな」(急・快)動作の準備として「ゆっくり・おそく」(緩・慢)する。鬆発・緩急・蓄発では、発する前に脱力したり、「ゆるむ」(弛)ことにより力を蓄えることができる。日本語では、「緩慢」は「のろのろしている」「のろい」「手ぬるい」などとネガティブはイメージがあり、「メリハリがある」「機敏である」ことと対照的だ。

快速・急行というと日本人は、列車やバスをイメージして各駅停車よりも便利で格上のイメージを持つかもしれない。しかし、沿線の利用者の目的地は、各駅停車の駅の人も多い。ゆっくりだからこそ大切なことを発見し、丁寧に見ることで見落としにくいというメリットもある。対立・相反しているだけではなく相互に補完している。易の理論では、陰陽互根と伝えられている。

ここで注意すべきことは、「ゆっくり」(慢)だから「やわらかい」(柔)とは限らず「はやい」(快)から「つよい」(剛)わけではない。「ゆっくり」だから力が「ぬけている」のではなく、「はやい」(快)から力が「入っている」わけでもない。柔・慢・鬆・緩の区別は、老師による実伝とともに弟子の修行による体験の両輪が必要と思う。

「柔」と「鬆」の二つの口訣に注目してみたい。「柔」は、「柔能く剛を制す」(柔能制剛)が知られている。出典は、『孫子』『呉子』『六韜』に並ぶ中国古代を代表する兵法書『三略』(※)である。『三略』は、剛柔・強弱の四者について「柔弱な者であっても柔軟性としなやかさによって、かえって剛強なものを押さえつける(制する)ことができる」と説いている。この続きをみると剛柔・強弱の四者は、相反しているようで、相容(あいい)れる所がある。弱であっても用いどころ(役立つこと)があり、強であっても加えるところ(補わなければならないこと)がある。この四者を兼ね備えて使い分けることが大切である(宜しきを制する)。

剛柔もどちらが欠けても成立しない。「初心の柔から入り、真の剛を極めてこそ真の柔を知ることができる。」と武術の先人は説いている。「柔能く剛を制す」の対義語として「剛よく柔を断つ」も知られているが、『三略』には記されておらず、これは、後世の造語と思われる。

続いて「鬆」の字に注目してみたい。「鬆」の音読みは「ショウ」で、松の葉の重なりから向こうが透けて見えるさまから来ている。鬆の字は、骨粗鬆症に使われているように、大根・ゴボウなどの時期が過ぎて芯に細かい隙間が入ることを「鬆(す)が入る」「鬆(す)が立つ」と表現される。粗く脆い状態で隙間があることにより、ゆるんでリラックスできるという意味であるが、個人的にはこの解釈に違和感がある。私の独断ではあるが、髟(かみがしら・かみかんむり)の毛髪状の軟らかさと細く芯のある松の葉の組み合わせが鬆の字を象徴していると考えている。

初歩の段階で陥りやすい落とし穴に「粘りがなく芯が通ってない」ために「腑抜けた軟らかさ」がある。「粘りがある」ことで強靭さを持ち、「芯がある」ことによって柔らかではあるが、しなやかな強さを示す口訣として「鬆」を解釈している。私は、「放鬆」(ほうしょう・fàngsōng)(太極拳の脱力のポイント)について、老師の示された動きから衝撃にも似た強烈な印象を受け取り、口訣のイメージに重ね合わせている。

修行の入り口にある弟子は、自分がどのレベルの柔・慢・鬆・緩なのかを正確に知ることは難しい。脱力だけでなく、凝りや緊張の癖は、人によって実に千差万別、いろいろである。また、原因も外面の身体的な癖や歪みだけでなく、内面の心理的な傾向やストレスが関係することもある。凝りや緊張の癖を知ることで、はじめて正しい力の入れ方を知る準備ができたといえる。脱力が最終目的ではないのだ。癖と個性の見極めも難しい。正しい脱力、正しい力の入れ方の指標となるのが老師である。老師の方から指導してくれると思って単なる受け身で待っていてはいけない。

弟子は、老師の動作や動きの質を観察して少しでも近づこうとする不断の努力が必要である。老師は、いつも弟子の求めに応じて手本を示してして下さるわけではない。何気ないほんの一瞬の動作や手本を見逃さず、自身の理想のイメージとして追求していく。目標や理想となる老師の教えや動作のイメージをいつも想い、追求することを「黙念師容」と伝えている。当然ながら初心者と熟達者の「鬆」は、レベルが異なる。剛柔・鬆発・緩急・蓄発も同様である。脱力と集中の練習を繰り返しながら、より高度な「鬆」へと到達できるのだ。

【注釈】

※『三略』は、老子の思想を基調として書かれた「武経七書」の一書。「略」は「機略」(臨機応変の策略)を意味し、上略・中略・下略の三巻に分かれている。後漢(25年〜220年)から隋(581年〜618年)頃に成立。

(原文)

軍讖曰、柔能制剛、弱能制強。
柔者徳也、剛者賊也。
弱者人之所助、強者怨之所攻。
柔有所設、剛有所施、弱有所用、強有所加。
兼此四者、而制其冝。

※写真解説

前回、紹介した写真は簡化二十四式太極拳の白鶴亮翅(はっかくりょうし)の定式。白い鶴が両翼を広げて亮(披露)するという意味の技法名である。定式では、左手は手の平(掌)が下を向いており、これを陰掌という。掌が上を向くことを陽掌という。陰陽に照らせば左手は「陰」、右手は陽掌ではないが指先が上を向いているため「陽」となる。下盤(足腰)の架式(立ち方)について、白鶴亮翅を例に説明しよう。重心の掛かっている右足の「実」に対して左足は踵が浮き、つま先だけがわずかに地面に触れている(置いている)だけであるため「虚」となる。この架式を「虚式」(きょしき)または「虚歩」(きょほ)という。

今回の写真は、簡化二十四式で白鶴亮翅の次に来る摟膝拗歩(ろうしつようほ)。

上の一枚目は、過渡式前半の「蓄」勁の状態。防御によって相手の攻撃を無力化し、同時に相手の態勢を崩し逃れることができないようにした上で、今からまさに攻撃の体勢に転じようとする所。太極図の陰が極まるが、陰の中に陽の芽があることにより、陰から陽へ一気に転じようとしている。攻撃の直前の陰と陽が等分で拮抗している状態=Vol.3 簡化太極拳雑話(前編)で紹介した簡化二十四式の野馬分鬃(のまぶんそう)3枚の内、2枚目と同じ状態=。

下の写真は、相手を打った直後の攻撃が極まった摟膝拗歩の定式。陽の極まった状態であるが、陰の芽が内蔵されており、次の敵の攻撃に対する防御の準備が始まっている。摟膝とは膝を抱えるという意味。陳氏太極拳の老小架においては、摟膝の字のように独立式にて膝を抱えている。Vol.1 良師との出会いの2枚目の写真参照。

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