【中国武術への道 】
Vol.22 外三合 番外編 日中刀剣小考

【中国武術への道 】


中国武術の各門派を修行し、陳氏太極拳を専門として嫡伝の伝承者となった桂峰生氏があなたの知らない中国武術の世界をレクチャーいたします。

前回まで3回にわたって外三合の前段階として「勁」の特徴を紹介してきた。今回は、外三合のシリーズを一旦お休みして、刀剣事情の周辺について触れてみたい。こうした刀剣の類は、槍や戟、弓矢をはじめとする武芸十八般の中で主力兵器の一角を占めている。中国武術の発展や門派創出において兵器法(※1・以下、中国武術の説明部分は兵器で統一)と素手(徒手空拳)の武術では多くは密接な関係を持ってきた。外三合や勁との関係に限らず、今後も刀剣をはじめとするさまざまな兵器法を話題に取り上げてみたい。前半部分は、兵器法と徒手空拳の関係について、後半部分は簡単ではあるが日中の刀剣事情について触れてみよう。

道具は、人間にとって身体の能力を拡大したもので「道具は身体の延長」といえる。人類進化の過程で重要な役割を果たしており、道具によって人間の身体や認知の能力を補完するだけでなく、飛躍的に拡大したことで文明の発展に寄与してきた。同時に道具を使ったり作る作業、新しい道具を創造しデザインすることは、手先を器用に用いるだけでなく脳の発達を促進したと考えられる。

武術家の間では、「兵器は手の延長」と古来より伝えられている。中国武術では、素手(徒手空拳)の武術と兵器法は、密接な関係を持っており、それぞれの門派には兵器法が付随することが多い。各門派で得意とする兵器法、例えば槍や刀法の技術や原理が徒手空拳の技術に応用された例も多い。そのため兵器法がそれぞれの門派の特徴を表すことも多い。逆に各門派ごとの勁道の理解のために兵器法を練習することが役立つといえるだろう。それぞれの門派の名前を冠した兵器法として太極門(※2)であれば、太極刀・太極剣・太極槍などが知られている。例外的に三才剣など門派を超えて練習される場合もある。

道具操作に熟練してゆくと自身が道具と一体であると認識し、手足の一部のように扱うことができる。身近な例として私達が毎日のように使う「箸」をみてみよう。箸を持って食べ物を挟(はさ)んだり摘(つ)まむと、直接食べ物を指で触らなくても軟らかさや硬さを感知することができる。箸の先端が食べ物に触れて感じ取るには、ほんの一ミリも動かさない。実に繊細な感覚で感じ取ることができる。毎日のように扱っているからこそ、この感覚を身につける事ができるのだ。

熟練した武芸者は、自己と武器が一体となって自在に扱うことができる。刀の操法において刀を振る方向と刃の向きや角度を正確に合わせて斬撃することを「刃筋を立てる」という。手の内(柄の握り)が甘く、手元がわずか数ミリ狂えば、刀剣の刃先は数センチどころか10センチ以上狂ってしまう。素手だと気づきにくい位置のズレや方向の甘さを兵器を持つことによって改めて確認することができる。刀の操法を精確にする練習で精妙な勁道を得ることができる。技に「切れ」が出てくるのだ。

【日中刀剣事情】

日本の刀剣も元は、大陸からの影響を大きく受けているが、その後独自の発展を遂げた。共通点と相違について以下の3つのポイントを押さえながら読んでいただくと良いと思う。

①直刀と湾刀(曲刀) 

②両刃(諸刃)と片刃 

③片手(単手・隻手)と両手(双手)

日本では、奈良時代以前の刀は【上古刀】(じょうことう)(※3)と呼ばれ、中国大陸より日本へ伝播した大陸様式の直刀となっている。この時代は両刃の剣と片刃の直刀が混在しており、実戦とともに神事や儀礼にも用いられた。日本刀独特の反りを持つ湾曲した片刃の姿として成立したのは、平安時代中期以降と言われている。武士が勃興し、騎馬武者同志の戦場において片手で抜きやすく、突きだけでなく斬る操作が発達した。互いに刀をまじえて斬り合って戦うことから「切り結ぶ・斬り結ぶ(きりむすぶ)」という言葉も生まれた。

源平の合戦の時代において、騎馬武者は刀の刃を下に向け腰帯に吊るしていた。これを「太刀を佩く(はく)」という。室町時代中期以降、戦国の世が訪れると、それまでの一騎打ちから集団戦へと変化した。刀の形状も変化し、打刀(うちがたな)(※4)といって太刀とは逆に刃を上に向けて帯刀するようになった。太刀から打刀への変化によって日本刀としての刀の斬ることを主体としながら剣の突くこともできるという両方の特徴を併せ持った独特の技術がさらに進化していった。剣術のみならず居合術・抜刀術などの刀の操法も進化して日本刀の姿を形作っていった。

中国刀の代表的なタイプを柳葉刀(※5)という。柳の葉の形に似ており、柄は短めで刀身は先端に向かって幅広となっている。片刃で湾曲した形状は、斬ることを主体としている。漢(紀元前206~220年)の時代に騎馬民族の匈奴との戦いで機動力のある騎兵の強化が始まった。それまでの突きを中心とした直刀から片刃の湾曲した刀へと変化した。また、次第に騎兵だけでなく歩兵も刀を標準で装備するようになった。日本刀が、騎馬上では片手だが地上では両手(双手)で扱うことを基本としているのに対し、中国では、刀も剣も片手(隻手・せきしゅ)で操る。柳葉刀は、重心が刃先寄りにあるため、遠心力で振り回すだけでも威力を発揮しやすく、歩兵の訓練も比較的容易である。訓練に時間がかかり、生産費用も高価な剣は、歩兵が持つことはない。

剣(つるぎ)は、両刃(諸刃)で真っ直ぐな形状で、不動明王の右手に持つ剣をイメージするとわかりやすい。剣は、軽妙な歩法により相手の攻撃をかわすと同時に鋭い突きにより動脈を打ち破って致命傷を負わせることができる。反面、両刃であるが故に相手の兵器の攻撃をまともに受けた場合、刃を痛めたり折れたりすると同時に自らの剣で我が身を傷つける危険性をもっている。一長一短の意味を持つ「諸刃の剣」(もろはのつるぎ)とは、相手にダメージを与えることもできる反面、自分も傷を負う可能性があるという意味である。

「百日刀、千日槍、万日剣」の諺がある。刀よりも剣が習得に時間がかかることの例えである。また、日本の刀剣(とうけん)を同じ分類としているのに対し、中国では刀(かたな・とう)と剣(つるぎ・けん)は、それぞれ別な兵器として発達したことをこの諺は表わしている。また、「月棍、年刀、一輩子槍、宝剣隨身蔵」とも伝えられている。一輩子とは、一生涯の意味で、それだけ槍の技術が奥深いという意味だ。

古来より、高貴な士は、冠とともに剣を帯びることが正装とされてきた。後漢以降、白兵戦での意義は失われたものの、高い位の武将や軍師または統率者であることを象徴している。また、文人や官僚の教養のある階級の間でも崇高で高尚な精神を表わす象徴であった。「宝剣隨身蔵」は、このことを表わしている。こうした風潮によって唐代以降、文人学士の間で剣を嗜む(たしなむ)ことが流行した。詩人李白もこの一人である。

【注釈】

※1 日本では、刀剣を武器と呼び、兵器というと現代の軍事的は火器を含めた装備をイメージするが、中国武術では、武器のことを兵器という。刀剣の類は、武器(兵器)の代表格ではあるが、合戦の場において必ずしも主役ではない。このことは、日中で共通である。

※2 太極門とは、素手の徒手空拳と兵器法の総合的な伝承の門派を指し、少林門・形意門・螳螂門などという。太極拳という場合は、徒手空拳の套路や技術体系をいう。

※3 【上古刀】(じょうことう)とは、古墳時代に始まり奈良時代以前に作刀された刀剣で直刀を指す。 「大刀」(たち)の字が当てられ、厳密にはまだ日本刀とは呼ばれていない。

※4 打刀(うちがたな)は、太刀とは逆に刃を上に向けて帯刀するもので、腰の帯に差したところから「刀を帯びる」「刀を差す」という。大小二本の帯刀の内、短い脇差の方は、敵将の首を取り、首級(しるし・しゅきゅう)を持ち帰って大将のもとに献上した。江戸時代には、武士の証しとして打刀と脇差の大小を、差料(さしりょう)として腰に差すことを定めた。

※5 柳葉刀(りゅうようとう) 日本では、中国刀をしばしば青龍刀と誤解しているが、青龍刀とは、柄が長く、形状は日本の薙刀に近い。又の名を青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)ともいい、三国志の関羽のもつ関羽大刀と同じ分類とされる。陳氏太極門では、春秋大刀として伝承されている。中国では、柄の長い薙刀の形状を大刀というのに対し、日本では、太刀が生まれた古刀以前の上古刀の時代において大刀(たち)の字があてられた。厳密には、大刀(たち)まだ日本刀と呼ばれる以前の反りのない直刀を指す。

※6 写真の上は、柳葉刀で陳氏太極刀。下は、陳氏太極剣。

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